希望の2021年とソーシャルメディア

大変遅くなりましたが皆様あけましておめでとうございます。2021年も細々とではありますが、このブログも継続して書いていこうと思っておりますのでどうぞよろしくお願いいたします。

新しい年を迎えると、どんな年にしようか(短期的)、どんな方向性を持ってやっていこうか(長期的)、そのためには今年はどんなことを始めたり続けたりしないといけないかな(中期的)というようなことをなんとなく考えたりしますよね。最初の短期的目標のようなものは割と即物的というか、幼稚というか、ぱぱっと思いついたりするものですが、長期的ゴールはある時頑張って考えないとなかなか難しいですよね。私の場合は10年ほど前にウンウン唸りながら考えたゴールというかミッションというかビジョンのようなものがあって(このプロセスには延べ3週間、期間で言えば3ヶ月くらいかかりました)、それを4、5年前に大幅アップデートしたので、年頭に行うこの作業はそれを見直して調整するというものになります。で、その中の一つの方向性を保つために、中期的なアクションプランとしてソーシャルメディアとの付き合い方を真っ向勝負というか、ガチにしていこうというものがあるので、それについていくつか思うことを書いておこうと思います。

ところで私は2015年に「デジタルIDをより良く」というポストを書いているのですが、その最後の方に、私個人のソーシャルメディアへのスタンスのようなものを書いているので興味がある方はそちらから読んでいただけると助かります。でも長いし、読むのが面倒だと思われる方はいらっしゃると思うのでマルっとまとめちゃうと、当時から新しいもの好きな私はいろんなソーシャルメディアにアカウントを持ち、ヘビーユーザーにはなれないし、アクティブに使っているとはとても言えないけれど、大体の使い勝手のようなものを片っ端から試していて、別に主義とか思い入れとかそういうのはありません、というようなことを書いています。でも文脈でわかってくださる方もいらっしゃるかもしれませんが、わざわざ能動的に「ソーシャルメディアはくだらない」とか「ソーシャルメディアに興味ない」とかおっしゃる方々にはちょっとピリッとします。

それは何故かというと、一言で言ってその考え方が私の気に触るほど「ナイーブ」だと思ってしまって個人的に少しだけ苛立ってしまうからです。ちなみにすっかり日本語になってしまっている「ナイーブ」という言葉ですが、日本語のニュアンスだと、かよわくて繊細な、どちらかというと肯定的なイメージがあるかもしれませんが、英語圏で「ナイーブ」と言われたら完全にディスられていると思って間違いありません。「生まれたまま」というのが言葉の元々の意味なので、つまり「幼稚」「世間知らず」「おマヌケさん」「考えが甘い」「騙されやすい」「現実を知らない」というような意味です。英語圏で人にうっかり「あの人ナイーブだよね」なんて言わないようにしないとバリバリの悪口ガール(ボーイ)だと思われるので気をつけましょう。ちょっと話がずれましたが、なぜこの「反ソーシャルメディア」の考え方がナイーブだと思うのかというと、今世界を牛耳っている人々のプロフェッションが何かまずは考えるべきだからです。IT業界だと思いますか?電子工学の人々だと思いますか?政治家ですか?俳優やアートですか?音楽やエンタメでしょうか?違うんです。確かにいくつかの業界はかぶっているかもしれませんが、世界に影響を与える人々のほとんどが、コミュニケーションと情報、そしてそれを扱う技術、プラットフォームを持っている人々です。

もちろん、車、鉄道、交通業界が一番お金持ちな時代もありました。その頃車や電車が「危ない」と非難した人々がいたでしょう。私の祖母は運転免許は持っていませんが、いつも「車なんて危ないから運転なんかしないほうがいい」と言っていました。1990年代にインターネットやパーソナルコンピューターが浸透し始めてから「インターネットは危ない」という人がたくさんいました。インターネットに時間を費やすくらいならぼーっと過ごしたほうが有意義だという意見をみた時には、個人的に「インターネットに時間を費やす」という意味がわからず呆然としたこともあります。何が言いたいかというと、このような人々は、「危ない」という警鐘を必要以上に大掛かりに鳴らすことによって彼らのナイーブさをすっかり露呈している、と言いたいのです。もちろん車は危ないです。インターネットを通した犯罪もあります。でも当たり前なんですが、車が関係ないところでも危ないこともあるし、インターネットが関係ないところで危ないこともあります。それでも車やインターネットを使わないでいたい人々はそうすればいいと思います(それができるのならば)。では危ないのを承知で車やインターネットを使う人がたくさんいる、しかもマジョリティーの人々がそうしているのは何故か、と言うとそれは「便利さ」が「リスク」を上回る社会になっているからです。100万人住む街に車が1台しかなくて、その車が事故ばかり起こしている社会だったら「リスク」が「現実」を上回る形になるでしょう。やっと結論に達しますが、私の目からは、現在の社会ではソーシャルメディアの「現実(利用者数や利用方法など)」あるいは「便利さ」がその「リスク」を上回っているとしか思えないわけです。

そこでこのブログポストのタイトルの話にやっとたどり着くのですが、じゃあどうやって現実的にソーシャルメディアと付き合っていくのか。ソーシャルメディアというものが社会のマジョリティの人々が使っているツールである以上、私も社会の一員として仕事をしている以上、ちゃんと真正面から付き合う必要があると思っているわけです。でも、いわゆるソーシャルメディアの「害」のような部分はなるべく避けたいですよね。中毒みたいになりたくはないし、人から嫌われるような行動は現実でもオンラインでもできるだけ避けたい。でもソーシャルメディアって、その性質から、「批判されやすい」「嫌われやすい」ものらしいんです。そういう要素があるからこそ「害」となり得るわけです。素敵なインスタの写真とかずーっと見ちゃうことありますよね。そんなに仲がいいわけでもないけれどなんとなく繋がってる人のストーリーとか流れてきて惰性で見ちゃったりすることもあって、驚くほどの時間が経ってしまっていることがあります。そういう意味での「付き合い方」というものをしっかり決めておくのは時間管理という意味でも人生の優先順位を決めるという意味でも大事なことかなと思っているんです。ということで去年から引き続き、2021年もソーシャルメディアのことをもっとポジティブに、もっと便利に、もっと楽しく扱えるようになれたら、というようなことを考えました。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

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