ミスタードーナツ長崎築町ショップ(282号店)

今日なにげなく検索をかけてみて、私がフィニッシャーさん(働きさん)として当時の全精力をつぎ込んだといっても言い過ぎではないほどの思い出の場所のミスドが2004年の10月31日に(つまりとっくの昔に)閉店してることを知って、ばかばかしいほどに傷つきました。最近傷つくなんてこととはほど遠いお気楽生活をおくっていたから、きっとこんなどうでもいいことに深く傷ついてしまうんでしょうけど、2時間ほど青くなって座り込んでいたので、かなりの衝撃だったんだと思います。こんな歳になって単に数年アルバイトしただけのファーストフードのお店が閉店したくらいで、と思いますがミスドって外部から見たら、ちょっと感じが悪いくらいに内輪的な盛り上がりがあると思うんですよね。仲良しのTさん(結婚して何て名前になったんだっけ)のご主人が店長さんだったんですがどこにいったんでしょう。S東美店はまだやってるらしいのでそこにうつったのかもしれませんが。

検索なんかでこれを当時(1991-1993)の誰かが見つけてくれたらいいなと思ってタイトルをショップのフルネームにしてみました。特に連絡とってくれないかなと思うのは、大きな目がカワイかったM子ちゃんとか、私がドリカムのCDを取り上げたり、よくバイクで海まで一緒に行っていたりしたYくんとか、スカイラインに乗ってたKさんとか、真田広之にしか見えなかったYさんなどでしょうか(本当に仲良しだったKとかTとかAちゃんとかCちゃんは多分まだ連絡取れる状態にあるので大丈夫)。当時のCMキャラだった所さんそっくりのT副店主と美人の元彼女さんとか、ああ懐かしい。万一(あーないだろうなー)これ見て、ヤマハビラーゴに乗って朝の6時からフィニッシャー人生に明け暮れていた遠山真佐美を思い出したらメールくださいね。待ってます。築町ショップがなくなったショックで立ち直れないので、思い出話を一緒にしてくれる方を募集中です。

とかいっても誰も連絡してくれることはないだろうと思うのでひとりで思い出をちょっと。そういえばキッチンに微妙なタイミングで入ってしまうと、うっかりオーブン係という暗黙の係になってしまってたなーという事を思い出しました。そうなるとパイをせっせと焼いて1日が過ぎ去ってしまうんですよね。まずは冷凍の四角のパイ生地をパイ作業シートに並べて微妙に解凍。その間にオーブンをあっためてオーブンのパンにエビグラタンパイ、カレーパイ、ハンバーグパイ用の丸い生地を並べる。さささっと卵黄を塗って、それぞれのパティを真ん中に埋め込む。「埋め込む」のが大事なんです。のせるだけだとあとでズレちゃうのでグっと押し入れる。それをラックで解凍している間に、微妙に溶けた四角のパイ生地にテリヤキチキンパイのための型押し。テリヤキチキンパティを並べて水を糊代わりにテリヤキチキンパイ生成。これがぎゅっとやりすぎると細身のテリヤキチキンパイになってダサいので、感じよく整形。そしてそれをパンにのせてしまったらまたパイ生地を並べて解凍。その上にフランクフルトソーセージを並べ、並べ終わったころに良い固さに解凍できるので、また水をつけてフランクロールを生成。全ての整形しおわったパイに卵黄を塗ってあとは焼くだけ。卵黄は、良いタイミングを見計らって、フレンチクルーラーのための卵割りをせっせとしているドーナツ係の人から奪うんです。「あ、ちょっとください」という感じ。

そういえば「おやじのげんこつ」ってあった!あれって実はミキサーも使うしオーブンも使うしで、うちの店はかなり売れていた方だったのでオーブンを使うタイミングがすごく難しかった気がする。しかもげんこつグループは一回焼くのに30分とかかかってたし(パイは10分から15分)。うっかりパイを売り切らせてしまうとげんこつやってる間は作れないのでかなりの計算が必要でした。おやじのげんこつ、中身のクリームも別だてだし、上にふるパウダーシュガーも別だし、作るの面倒でした。フィニッシャーがやるかオーブン係がやるかでも微妙な作業範囲だったし。

フィニッシャーの作業で私が一番好きだったのはチョコファッション。チョコをいかに一滴もダラーっとならないように、しかもすばやくやるか、というのは私のフィロソフィーでもありました。フィニッシャーさんの作業台の真ん中にアーモンドとチョコのコーナーがあって、そこに入れる大元のチョコを入れるタイミングも大事だったし。ドーナツにいれるクリームを泡立てるのも大事だったし。

でもやっぱり嬉しかったのは失敗作のフレンチクルーラー(できたて2分後とか)やハニーディップが熱すぎてビヨーンとなってしまったものをみんなで分け合ったり、プチフレンチキッスを販売したときには失敗作のプチフレンチを使って勝手にプチエンゼルフレンチなんかを作ったりしてかわいい働きさんにプレゼントして「きゃー遠山さん器用!(本当は誰でもできる)ありがとうございます!」と言われて得意がったりしました。

エンゼルフレンチやエンゼルショコラを仕上げる作業ではクリームの絞り方が非常に上手になりました。ドーナツに絞り口を近づければ近づけるほど上手になります。絞るとき、ドーナツの表面も味方に付けて結構勢いよくぐいっと絞る感じ。はみださず、立体的に絞れて、しかも閉じたときに絞り金の模様が横からキレイに見えてかなり満足でした。そしてチョコの量もこだわっていたし、キレイにラインが着くように、タレないように、という感じ。カスタードフレンチやカスタードショコラは私としてはアーモンドのパンチが微妙だと思っていたのでアーモンド多めにつけてましたね。ああなんて楽しいフィニッシャー人生だったんでしょうか。

シェル(と呼んでいましたが、要は「〜クリーム」という名前がついた白っぽいドーナツ)に絞り口をつけるためにバスッバスッバスッバスと穴をあける作業もかなりストレス発散(失礼)でした。ヨーグルトクリームっていうのがなかなか売れないのでいつも2列(10コ)とか3列(15コ)とかしかつくらなかったんですが(比率としてはエンゼルクリームを1トレイ半(1トレイに20コ)、カスタードクリームとチョコカスタードクリームを1トレイ、ヨーグルトクリームを半トレイ、という感じ)たまに「ヨーグルトクリーム大好き!」風のお客さん(なぜか男性に多い)がやってきて「あ〜このヨーグルトクリームってやつ?を、15コ」と、まとめ買いしてしまって「あ〜あ、遠山さん、計算狂いましたね、まだ空シェルあります?」と接客してる働きさんに言われたりしたこともありました。

ホームカット系はドーナツの表面温度を見極めて、シナモン(これはシナモンとお砂糖を事前に決まった割合で混ぜておく)を作るのが非常に重要でしたね。セカンダリーグレーズをつけて、急いでバタークランチ>ココナツという順序で仕上げるのは結構大変でした。手もベッタベタになるしね。ああなつかしい。私がいたころは、ホームカットはハンドカットをちょうどやめて、マシンカットにしたころだったんですが、今はまたハンドカットになっていると聞きました。大変だろうなぁ。

私、もし日本で主婦できたらミスドでパートしたいですね。フィニッシャーさんをさせてくれるのであれば。若い子におばさん扱いされるんでしょうけれど、それでもやっぱりあのドーナツをせっせと仕上げる作業って何故か非常に魅力的です。大学に行くまえの数時間、甘い香りにつつまれてコツコツ仕事して、講義に出るときに「うわー真佐美ちゃんすっごいドーナツの香りする!」と言われて嬉しかったのも思い出しました。

あの築町ショップがなくなったと思うと、いつも行願(という名前の掃除)をやっていて「えらいねぇ」と声をかけてくれていた18銀行の支店長さんやカメラ屋さん(ミノルタの一眼レフを買った)のおじさんたちは、どうしてるんだろう、とふとまた寂しい気持ちになりました。あーあ、もうあそこに帰っても築町ショップないんですね…。なんて感傷的になったりして私ってバカみたいかもしれないんですけど。

6 Replies to “ミスタードーナツ長崎築町ショップ(282号店)”

  1. ミスタードーナツのこと、本当に残念ですね。一生懸命やったところであればあるほど、愛着というのが強いし。僕は大学時代、東京のある本屋でバイトをしていて、この前帰っていってみたら別のお店に変わってしまってました。僕の場合はボケっとしながらバイトやってたんですが、、、それでも閉店したらショックでしたからね…。
    でも、僕もあとになって、マサミさんのようにいろいろなことが思い出せるように、毎日を楽しんでいければと思います。微妙に本屋でのバイトのこと思い出せないんですよね…。暇なとき、手作りのしおりとか作ってたことくらいしか…。

  2. お古い日記ですが、「おやじのげんこつ」で引っ掛かりまして読ませてもらったらあまりにもド真ん中でしたので、感動してコメントさせてもらいました。(人のブログへのコメントはほとんどしたことないのですが)
    私(男です)も1989年-1993年の間、北九州市の到津ショップ(676号)でバイトしてました。ほぼ同じですね。うちはオーナーがJR九州だったので、佐賀、熊本、宮崎には行ったことが有りますが長崎築町ショップは多分行ったこと無いです。私も土日はフィニッシャーでしたので、あまりにもリアルな表現に繰り返しますが感動しました。私は「チョコリング」のひっぱり上げて、ポンッ。の方が好きだったかな~。
    長々とスミマセン。お互い青春でしたね。
    あ、最近主婦の友達で復活した人いますので、日本にお帰りの際は是非・・・。

  3. ピンポンダッシュさん:おお、ど真ん中でしたか。嬉しいです。本当に青春ですよね。いろんな人と出会って仕事して語り合ってドーナツ作りあって(?)飲み会して、なんて楽しいバイトだったんでしょうか。ピンポンダッシュさんはJR九州フランチャイズさんだったんですね。長崎築町は泣く子も黙る(?)ダスキン直営でした。
    チョコリング、そうそう!と思い出しました。ひっぱりすぎると型が崩れるけれどうまくいくとキレイにできるんですよねー。あれを浅くつけるのがすごくキライで、リングの揚げ目(なんて言葉あるんでしょうか)の線ギリギリまでつけて、ぽんっ!とするのにこだわってました。アーモンドの方はわりにさらっとしてるんですよね。張り合いややなしですね。
    古い日記でしたがおかげさまでまた思い出して青春にひたりました。またフィニッシャーさんしたいです…。
    Shinyaさん:結構前にコメントもらっていたのに返事してなくてごめんなさい。私はこういうのはかなり覚えてますよー。好きだったことは事細かに。どうでもいいことはすごく都合良く全部忘れるのに不思議ですけれど。

  4. お返事ありがとうございました。直営でしたか。僕もオープンスタッフだったので、ダスキンのアーミーズエンジェル(だったかな?)にしごかれましたよ。おかげで3年目でショップリーダーになって泣く子も黙らせてました(笑)。
    また暇な時でも思い出を書いて下さい。築町の方に見つけられるといいですね。
    合掌。

  5. 私は2006年くらいから数年間、長崎S東美ショップでアルバイトしていました。当時のスタッフで、築町ショップが閉店になったため、移籍してきたというN.Mさん、Oさんという人がいたのですが、知らないですよね?

    1. huさん、こんにちは。個人のお名前は伏せさせていただきましたが、私が長崎を離れたのが1994年なのでちょっと存じ上げないです。ごめんなさい。私の知っているTさん(旧姓)のご結婚後のお名前でもなさそうでした。それにしても長崎S東美ショップのことはすごく覚えています。オープンする時に応援で2回くらい行きました。広くていいなと思ったのを覚えています。ミスドのアルバイト楽しかったです。コメントありがとうございました。

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