シャトーカミヤ(牛久)

シャトーカミヤ2週間ほど前に家から30分くらいのところにある、写真のシャトーカミヤにランチに行ってきました。もしかしたら見覚えのある方もいらっしゃるかもしれませんが、堀北真希さんが主演した「花ざかりの君たちへ:イケメンパラダイス」の学園のロケ地になったところです。茨城県牛久にあります。ここは国指定重要文化財で、明治時代に神谷傳兵衛がという人が作った日本で最初の本格的ワイン醸造場だそうです。
震災の影響で、残念ながらこの明治のレンガ造りの建物はかなりの被害を受けてしまったようで、シャトーカミヤの敷地内の半分ほどが危険ということで立ち入り禁止になっていました。茨城県は3月11日の3つ目に来た直下型の地震でかなり影響を受けてしまったんですよね。
その影響でクローズしていたレストランのうちのひとつ、キャノンレストラン(フレンチ)が、比較的影響の少なかった芝のガーデンを使って、晴れた日はランチとディナーを出しているということだったので行ってきたのでした。こちらがそのガーデンレストランの様子。
シャトーカミヤ車で来たので私はシャトーカミヤで造られたブドウジュース、Aさんはシャトーカミヤの赤ワインをいただいて、そしてコース料理はとにかく地元の素材をふんだんに使った和風フレンチ。鴨と地元の特産の美味しいネギに甘辛いオニオンソースの前菜、メインは私は、つくばもち豚ロースステーキで、Aさんは牛ロースステーキ。もち豚ほんとうにもちもちふわふわでホワイトミートの美味しいところが出ていてジューシーでした。写真がそのポーク。一番手前の一切れはAさんがくれた牛肉です。このあともち豚は半分くらいAさんの胃袋に収まりましたが。すべてのメインディッシュはすぐ横のアウトドアグリルでシェフががんがん焼いてました。ステーキは焼きたてが一番美味しいですよね。そして手作りバゲットも美味しかった(シャトーカミヤベイカリーもあります)。デザートは甘さ控えめのシャーベットみたいなアイスクリームにベリーが数種類。コーヒーで〆てなんとお一人様1500円の破格。
後日ここのことを、青森は八戸出身の友達のHに「ねぇシャトーカミヤっていうのが茨城の牛久にあるんだけど」と話し始めたら、「えーシャトーカミヤってどこにでもあるの?八戸だけのものだと思ってた!」と驚いていましたが、シャトーカミヤは牛久と八戸にしかありません。どうやらHのお母様がお花を活けに八戸のシャトーカミヤに行っていたらしいです。どうやら牛久のシャトーカミヤが100周年を迎えたときに記念に建てたみたいですね。
ここに堀北真希さんや小栗旬さんが来たかと思うと、結構びっくりするような田舎にありますが、芝生のテーブルでいただくランチ、気分も良かったし美味しかったです。ぶどう園への散歩も楽しかった。今度は同じ敷地内にあるカフェレストランに行ってみたいと思います。

山下清さんの見たヨーロッパ

千葉県立美術館週末はぎりぎり雨が降らないでいてくれたので、Aさんと山下清展を観に千葉県立美術館までドライブしてきました。途中葛西周辺が、ディズニーランドへの渋滞があって少しゆっくりでしたが、朝の9時半頃到着。180点ほどの充実展覧会で、かなり感銘を受けました。私たちは実はエッフェル塔の絵がメインになったこの展覧会のポスターを見たので、なんとなく行きたい気分になったのですが、こうして入り口からイタリアはヴェネチアのサンマルコ広場の絵で、到着早々かなり気分が上がって興奮しました。これは美術館の説明の受け売りですが、山下清さんは、彼が有名でなかった頃は、その場で景色をスケッチすることはほとんどなく、強烈な記憶力でその景色と、それを貼り絵(ちぎり絵)にした状態の絵という2つのイメージを脳裏に焼き付けて、家(や学園)に帰ってからせっせと創作活動をしていたそうなんですね。人間の脳ってほとんど使われてないそうですけど、多くの人間が使わない脳の一部がとてもアクティブだったということなんでしょうか。感動します。
この写真の看板にはちょうど使われていなくて残念ですが、このドゥカーレ宮殿の紋章が抜き型になって上にずらっと何十個も並んでその穴からさらに海側の壁に並んだその抜き型の紋章が見えるところをこの絵では山下清さんは描いているんですが、それはまさに心のフォトグラフといった感じで、本当に感動します。「そうそう、そこが感動ポイントよね!」と思わず絵に向かって話しかけたくなってしまうのです。真ん中に立っているのは山下さん本人でしょうか。サンマルコ広場はいろいろな画家に描かれていますが、私は間違いなくこの絵が一番すきだと思いました。「日本人が見た外国の風景」というのを一括りにしてしまうのはちょっと乱暴かもしれないとは思うんですけれど、うまく説明できないそういった感覚が私にもあって、イタリア人が見たヴェネチアよりも、ずっと近い感覚だと思えたんです。
ほかにもロンドンタワーやタワーブリッジなどのイギリスの風景や、スイスの山間の町の風景など、とてもいやされる絵がたくさんあってかなり充実だったし、千葉県立美術館の、静かで素朴なたたずまいも良かったです。もちろん、彼のシグニチャーアートとも言える細かいちぎり絵(紙をこより状にして立体感を出していたりして驚きです)も必見です。

宇土櫓から見る熊本城天守閣

熊本城もう2週間も前のことですが、熊本の実家で朝食を終えて父を仕事に送り出したあと、母が「熊本城に行こうよ」というので母の車に乗って連れて行ってもらいました。
このサイトでも1999年から熊本城を愛する気持ちを綴っていますが(2005年にも)、何度来ても郷土愛を強く呼び戻してくれる熊本城、本当に圧巻です。熊本城(復元)の美しさはやはりその武者返しの石垣と、お城をその石垣の上に作ったという建築上の美も大きいと思うんですが、私が勝手に想像して気に入っているのは、秀吉や清正などの武士的な強さと戦いの歴史と、細川氏という名門武家の居城となった時代の芸術や家具など、そしてもちろん西南戦争の舞台としての歴史など、それぞれの時代を超えて、まわりの風景は変わりながらもお城は同じ場所で、築城、増築、修復、消失、復元、そしてまた修復というように時を経てきたことが実感できるところです。
熊本城には復元募金の一環で一口城主制度というのがあって、一口1万円以上から、城主になることができます。城主には1万円=1年の熊本城へのフリーパス、家族や友人への招待券などがもらえるのはもちろんですが、素敵な小さな芳名板に名前を入れてくれて、熊本城の天守閣に掲示してくれるのがうれしいんです。また熊本市が持っているいくつかの施設にも城主手形でフリーで入れるらしいので、熊本に住んでいる人には嬉しいシステムですよね。そして当然、本来の目的である熊本城のさらなる復元や修復に貢献できます。今回母と私は、母の孫であり私の姪であるMちゃんを熊本城の城主にしちゃおうということにして申し込みをしてきたのでした。夏が終わるころには彼女の名前がしっかり天守閣に納められるので、これから彼女が熊本に遊びに行くときの楽しみのひとつとなることでしょう。
上の写真は、唯一オリジナルが残っている宇土櫓の最上階の窓から見た熊本城天守閣です。宇土櫓の中の階段は昔のままなので、かなり急で細く、危ない感じがしますが、しっかり雑巾がけを何万回も繰り返したであろうピカピカの床板に貫禄があって、私は好きです。熊本城のすぐ下には私が小さい頃、夏休みになると毎日毎日通った「城内プール」という市民向けのプールがあったんですが、今はちょっとした観光客用のスポットになっているみたいです。私は小学生のときは熊本城からそう遠くないところに住んでいて、姉と一緒にバスに乗って50円払って降りて(当時熊本のバスは後払いでした)城内プールに50円払って、と一日100円で夏休みを満喫していたことを思い出します。そんな城内プールが面影もなく全くなくなっているのはちょっと悲しい気もしますが、熊本の観光スポットのためなら仕方ないですね。これでもっとたくさんの観光客が来てくれて熊本城を好きになってくれたらいいなと思います。
熊本城には外国からの観光客もたくさん来ていて、熊本では道路案内板に英語がついたのだってつい最近だから観光役は大変だろうなと勝手に思っていたんですけど、熊本城のいろいろな施設にたくさんいらっしゃるガイドのみなさんが外国からの観光客のみなさんにも普通に英語で対応していらっしゃるのを見て、確実に時代が変わっているのを実感しました。本丸御殿の予約制の再現昼食も異常に美味しいみたいで、大人気みたいです。今度熊本に行ったら私も絶対予約して行ってみようと思います。

京都・嵯峨野の竹林

Kyoto

ご無沙汰しています。5月後半は西日本を旅していました。といっても主人のAさんが京都で学会発表をするというので、くっついて行ってAさんの実家の大阪に2泊しつつ、義母と一緒に京都に遊びにいったり、これまた義母にお願いして一緒に梅田まで行ってもらって、アメリカにいたときの友人のEちゃんとその息子ちゃんのHくんとランチしたり、そのあと、夢にまでみた九州新幹線に乗って新大阪から熊本まで3時間ちょっとという驚異的な電車の旅のあと故郷の熊本に帰って実家で心ゆくまでだらだらするという日々だったのでした。写真は京都の嵯峨野の竹林です。世界遺産の天龍寺の庭園北門を出てすぐのところがスポットです。

Continue reading “京都・嵯峨野の竹林”

21世紀を実感できる日本の生活

なんだか大げさなタイトルですが、生活の質のギャップがありすぎるイタリアに慣れすぎているせいか、日本で生活していると、急に未来に来たような気分になります。本当に大げさに聞こえる(見える)かもしれませんが、本当です。つくばの田舎に住んでいてそう思うのですからかなり本気です。
まず、我が家のテレビ。この時代テレビごときで感激するなと言われそうですが、テレビ自体に感激したのではないのです。Aさんとここ数年ほど「ああ、地デジになっちゃうねぇ、私たちあんまりテレビみないからどれがいいか分からなくて困っちゃうねぇ、テレビどうするぅ?」とだらだらとテレビの買い替えを渋っていてつい先週まで小さなアナログテレビでなんとかしていたんです。そうこうしているうちにエコポイントのあまりの面倒臭さに制度を利用することもなく3月は終了してしまい、こうなったらぎりぎり7月までにはなんとかしなきゃねぇということになりました。そしてそんなある日、ふと近所の電器屋さんに立ち寄ってみて私、驚愕しました。うちの近所のモールに入っている名もないローカルな電器屋さんなのに、イタリアの首都であるローマのど真ん中にあるシナジーや巨大モールにはかならずあるサターンにおいていあるテレビの少なくとも2世代は後継機ががーっと並んでいます。しかもひとつのブランド、たとえばヴィエラとかレグザとかブラビアとかそういったブランドに対しておいてある種類が少なくとも一番一般的な32インチで5台ずつはある。セキュリティコードもなく50台ほどのテレビが並んでいる光景は、まるでテレビ博覧会のようです。それなのに、ここは茨城の超ローカルモール。しかも、それぞれのテレビにはやれハードドライブを接続しませんか、と手のひらサイズのハードドライブがおいてあったり、やれテレビ接続用のUSBのワイヤレスデータ通信端末はいかがですか、と商品が箱積みされていたり。それぞれの接続用にぴったりのケーブルもばっちり並んでかけられていたりします。何もかもがまさにいたれりつくせり。うちの近所でこの状況ということは、それぞれの市町村にこういった風景が繰り広げられているということですよね?イタリアではまず、ありえない。一番進んでいる(といわれる)ミラノでも、分からないところです。
ちなみに私たちはテレビの機能はできれば最小限のものが良かったのでいくつか見た目の良いものをピックアップし、値段をチェックしてから家に帰りました。そしてAさんがネットで検索してみると、その電器屋さんより1万円ほど安い金額で送料無料のショップを発見。さっそく注文。気になる方のために書きますが、買ったのはソニーのブラビアのCX400の32V型です。ついこの前発売になったばっかりらしいのに、お値段は思ったより手頃で、4万円ちょっとでした。画質とか難しいことは全く分からないし、店頭で見た映像もこれといって違いがよくわからなかったので、私たちの決定ポイントは、家具としての見た目だけです。テレビは翌営業日には到着して、Aさんがさくさくと組み立て、私がさくさくと接続して、タイムカプセルを通じてもアップルのエアポートを通じてもホームネットワークにすんなり入れました。ハードドライブと接続すれば番組の録画もできますが、私たち夫婦は今までの人生を通じてテレビ番組の録画というものを片手の指で足りるほどの回数しかやったことがないので、これからもやることはあまりないんじゃないかという話をしています。DVDも、多分これからはストリーミングかダウンロード中心になるんじゃないかと思ったので、手早くアップルTVなんかを考えようかという話をしているところ。何もかもすべて少なくとも2ヶ月はかかるイタリアで、私のイタリア人の友達にこのすべての話をしたら、目を丸くして驚くだろうなぁ、と思ってやっぱり日本の生活は質が違うなと思ってしまいました。こんなことくらいで大げさかもしれませんが。あともうひとつびっくりしたのが、新しいテレビの前で物珍しくてしばらくはテレビをみていたAさんが、やっぱり途中で飽きてうたた寝を始めたんですが、寝始めてからしばらくして画面が真っ暗に。どうやら「人感センサー」というのがあるらしく、人の気配がないと節電モードにはいるんですね。いやぁすごいですね。それでも動かなかったらテレビはプチンと切れてました。便利。
あともうひとつ、電化製品つながりで、今回新しいラップトップを買ったんですが、アップルがキャッシュバック付きでプリンターを売っていて、そろそろホームプリンタが欲しいなと思っていたのもあって、これまた機能最小限でかつ家で場所をとらないプリンタを、と思って何も考えずに一番薄型っぽいHPのenvy 100というプリンタを買ったんですが、これが異常にすごいです。こんなことに驚いていて、本当にタイムマシンで過去から来た人みたいかもしれませんが、とにかく何もかもがあっという間。箱から出して、包装を外して、組み立てて、電源を入れるだけで設定終了。自分のコンピュータからプリントしたい書類を開いて「プリント」を選ぶと勝手にこの新しいプリンタを選択して勝手にドライバを設定してひゅーっとプリントしてくれました。裏表プリントもできるし。そして、何より驚いたのがAirPrint機能。私の新しいiPhoneから書類を開いて「プリント」を選ぶと、勝手にこのプリンタを選択してスルスルとプリントアウトしてくれました。Bonjour対応で設定もBoujourを介してブラウザでできる手軽さ。「なにこれ!なんなのこれ!」と一人で大騒ぎしました。注文してから手元にくるまでたったの1日半だったし、日本以外の国でこんなことが可能な国はあるんでしょうか。
最後にまた感動したのがネットスーパー。この時代、食料品をネットで買えるくらいで驚かなくてもいいな、と自分でも思いますが、普通に驚きました。昨日はどしゃぶりの雨で車はAさんが使っていたのでなかったのに「牛乳もアップルジュースも買いたい、お米も買わなきゃなのに重いだろうなぁ」と思っていて、そうだ、ネットスーパーとやらを利用してみようと思いつき、コンピュータの前に座りました。今日の特売品、おすすめ商品、値引き商品、今時のネットスーパー、なんでもあるんですね。しかもこれ、すっごいローカルなスーパーなんですよ。茨城県を中心として、東京を除く関東北部に展開している「カスミ」というスーパー。すべての産地も書いてあるし、肉、魚、野菜、乳製品、卵、日用品、なにもかもあります。年会費も月会費もなく、会員になったらすぐに注文できます。朝の10時までに注文すればお昼頃にはもってきてくれるという素晴らしさ。割高なのかと思いきやびっくり安くて手軽。3000円以上の注文であれば手数料すらないです。しかも親切で力持ちのお兄さんが駆け足でやってきてくれて、冷凍のもの、冷蔵のもの、などなどとサクサクと渡してくれてその効率の良さはもはや感動的ですらあります。こんなに便利でいいんでしょうか。私なにか間違えているかもしれない、という後ろめたい気分にすらなります。雨だろうがなんだろうが、スーパーくらい歩いて行きなさい、と誰かに怒られちゃうような。
さて、そして思ったこと。こうしてインフラの整った、組織立った社会は確かに本当にすばらしいのですが、このような社会に暮らしていると本質を見失いがちであるということは確かだと思います。イタリア生活6年目で、いろいろと不便な生活の中でイタリアに住んでいると、本当に大事なことは何かというようなことを日常的に学ぶ気がするんです。日本にいると、こうしてネットに向き合って何でも注文できて誰にも頼らずに誰とも話さずとも普通に生きていける錯覚に陥りますが、イタリアでは何をするにも、誰かと話をしてお願いして、頼っていく必要があります。目の上のたんこぶ的な親戚のおじさんおばさん、口うるさい近所のおばあさん、いつも調子のいいことばっかり言ってる友達、ディナーパーティが好きな世話好きの友達、いつも愚痴ばっかり言う同僚、などなど日本の社会では敬遠しがちな人々にも、私はローマではほぼ毎日頼らざるを得ません。友達や家族、親戚や近所のネットワークがイタリアでは絶大なるパワーを持つからです。友達の叔父さん、同僚の近所のおばさん、などという日本では考えられない関係の人に私は助けられたことが何度もあります。
イタリアでは私の友達は、何か問題に直面すると、みんな携帯を取り出してひたすらみんなに連絡して、時には唾を飛ばしながら自分がいかにひどい目にあっているかを力説します。最初私は、これはイタリア人なりの一番簡単なストレス発散法だと思っていて、心理学的にも「話をする」「話を聞いてもらう」ということは大事だし、これによってストレスは「溜まらない」だろうし、だからこそイタリア人の自殺率は低いんだろうなと勝手なことを思っていたんですが、実はこうして知ってる限りの人に現状を話すことによって実質的な解決策がもたらされるということがだんだん分かってきました。たとえば、私が法外な水道代の請求書を手に水道会社に出向いて受付のおばさんに「苦情はここじゃないわよ」と言われ、「じゃあどこに言えばいいんですか」と聞くと「知らないよ、とにかくここじゃないから」と突き放されたときなんかがそうです。私もイタリア人のまねをして、携帯を取り出し、友達のマウリッツィオに電話して「聞いてよ!」とやったところ、マウリッツィオのお隣さんの叔父さんがその水道会社のお偉いさんだったんですね。マウリッツィオが「心配しなくていいよ、聞いてあげるから」と言って、しばらく待っていると折り返しがかかってきて、なんと、請求書を持ってきてくれればなんとかしてあげる、ということだったのでした。それでコピーを控えた上で、請求書をその人に渡したところ、2ヶ月後には魔法のようにちゃんと調整された金額になっていたんです。イタリア人の助け合い精神とコミュニティー力、半端ないです。そして解決のやりかたが裏社会的なところもイタリアっぽくてびっくりです。蛇の道は蛇、というか。
私がちょっとした病気のときに病院に行って、先生に「じゃあ注射を処方しておくからね」といわれ、動揺しながらもプリスクリプションの紙に書かれた薬品を受け取っているときに薬局の売り子のおばさんに「注射器は買う?」と聞かれた時も同じです。さっそく携帯で同僚のイラリアに電話し、注射というものは自分でやらなければいけないことを知り、絶句していたところ、イラリアが「大丈夫、私のおばあちゃんが住んでるフラットの上の階の人は看護士さんだから聞いてみてあげる」と言って5分後には「今夜8時にこのアドレスにくれば注射してくれるって。注射器は液を吸い出す中くらいのをひとつと、自分に打つためのちょっと細めのをひとつ買っておいて、だって」というsmsが届きました。そのときの安堵感は「安堵」を100回くらい書かなければいけないほどの巨大な安堵感です。だってもうすでに注射を打たなければならないほど病気で弱っているときには、そんな小さなストレスでも巨大なストレスに感じるのです。こんな感じでイタリアでは、友達・近所・親戚・同僚ネットワークはとにかく解決への第一歩なのです。それに改めて感心していると「でも人は助け合わなきゃ生きている意味がないでしょ」とローマ人は平然と哲学的なことを当たり前に言うのです。いや、「生きている意味」だなんて哲学的だなと思ってしまっているのは私だけで、当たり前のことを当たり前に言ってるだけかもしれないんですけどね。自分が本質を見失っているかもしれないということに気づく大事な瞬間です。
と、自己反省をしたところで、やっぱり日本の社会の質は最高だな、というのが実際のところ私の本音です。テクノロジーなどはもちろんですが、とにかく人が柔らか。イタリア人も情が厚いところがありますが、その情は自分の関係者に向かっているので逆からみれば排他的ともいえます。自分に関係ない人には冷たいということもありうるので。日本の顧客サービスを見ていると、すべての人に平等に柔らかく優しい感じがして日本人で本当によかったなと思えます。こんな感じで日本の生活、かなり楽しんでいます。