終盤戦というオペラ

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先日、パリに1週間の出張に行ってきたのですが、その時に久しぶりにオペラに行ってきました。出張中にオペラに行くのは実はなかなかの難関で、まず出張中に興味のあるオペラをやっているかどうか、というのが最初の問題です。今回の出張は3月の間に決まっていたので、4月に日本に帰っている間に、パリ国立オペラのサイトで探してみると、一つ興味深い演目、Fin de partieをガルニエ宮(上の写真)でやっていて、それがちょうど出張中の週にあったので急いで予約してみたら、オーケストラ席(私の個人的なお気に入り)のしかもかぶりつきの1番前の列が取れたので楽しみにしていたのでした。私はオペラに行くときは大体おひとりさまなので、実は直前であっても、結構良い席を取るのがそんなに難しくなかったりします。というのも、シーズンチケットを抑えている方がこの日は行かない、と決めることも多く、そういったキャンセル席のようなものはポツンポツンと一人席で空いていることが多いのですね。また、一番前の席というのは実は一般的にはそんなに良い席というわけではないというのも大事かもしれません。音響や舞台の見え具合も考えると、オーケストラ中央部やバルコニー席のど真ん中などの方が一般的にはVIP席が用意されていたりします。でも私にとってはオケが見える、演者の唾や汗まで見える、この席が本当にお気に入りなのです。

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上の写真だと私の席は右側に見えるグレイっぽいワンピースを着ている女性の手前です。直前にうっかり買い物したギャラリーラファイエットの白い紙袋を席の下に置いているのでわかるかと思います。これくらいオーケストラに近く、演奏している方々の表情も、指揮者の目線も全部はっきり見える距離です。

さて、「ゴドーを待ちながら」で有名なノーベル賞劇作家、サミュエル・ベケットが書いたFin de partieは日本語では「勝負の終わり」、英語だと「エンドゲーム」という題名だということです。ベケットはフランス系のアイルランド人で、ダブリンに生まれたのですがフランス語、イタリア語、英語が母国語というヨーロッパにはたくさんいがちな多言語を操る作家です。だからベケットはこの作品をまずフランス語で書いたみたいですね。そして自分で自作を英訳するという、日本人からしてみると羨ましい限りの言語能力です。というのも、私の周りにもたくさん多言語を使う人はいますし、私自身も英語は日本語とほぼ同じレベルで扱っていると思うのですが、いざ創作のような形でその言語を使うとなると、まあどの言語でも結構無理なんですが、やっぱり日本語の方が自分の中の幅は広めかなと思ってしまうので突然自信喪失します。まあ私のことはどうでもいいんですが、2018年にミラノのスカラ座の座長に頼まれていたオペラの作曲を10年越しで完成させたハンガリー人のジェルジュ・クルターグが初めて書いたオペラだというのもポイントですね。でも聴いてみた私からしてみたら、クルターグは「オペラ」を書いた、というよりはベケットの世界を壮大な音楽にしてみた、という形なのではないかと思います。一言で言えるような音楽ではなかったことは確実です。パリのオペラ座のサイトにいくつかビデオがあるので是非聴いてみてください。基本的に「なんじゃこりゃ」のような音がします。クルターグ、今年96歳でまだ現役です。色々なことを考えさせられるこの「エンドゲーム」に今世紀最後の大作曲家が90歳代で取り組むというその意味自体にちょっと胸を突かれます。

ちょっとベケットの話をすると、彼は私の中では「不条理」を書く人、という意味でカフカと同じラインにいたのですが、本人はそう言われるのを(classified as an “absurd”)実はとても嫌がっていたんですね。オペラで買ったプログラムにそう書いてあって、え!そうだったんだ!と大袈裟に驚いてしまいました。自分で意識してそういう作品を書く人なんだと勝手に思っていたんですが、実は自分の作品は不条理を書いているわけではない、ということでしょうか。本当はものすごく理にかなったことを書いているのだ、ということだと言われるとそうかもしれない、と思ってしまいます。私は前出の「ゴドーを待ちながら」を読んだことはあるのですが、恥ずかしながらこのエンドゲームを読んだことがなく、このオペラを見た日の夜にすぐに英語版を買ってキンドルで読みました。それで思ったのが、もちろんベケットは劇作家なので当然なのかもしれませんが、これはオペラには最適な形とテーマだということです。セリフは繰り返されがちだし、とても単純な単語を何度も言ってそれについてお互いに考え、さらにそれが面倒になって相手を黙らせようとする。そして黙らせるために自分の話を聞いてもらう、というようなやりとりがすごく、本で読むよりはオペラなどで役者さんが演じる方がもっと胸にグッとくる、という意味です。

ちなみにフランス語のチェスでFin de partieというと「終盤戦」という意味なので将棋の終盤戦のことを考えてしまいます。私の将棋なんて遊びに過ぎないのでなんのメタファーにもなりませんが、一般的に負けそうな時の終盤戦って別に絶望的とまではいかないし、そんなに深刻でもないんですけど、複数の負の気持ちが重なってきます。少なくとも私には。まず「悔しい」「あー負けたくない」というような負けず嫌いな感情が大きいです。そして「後悔」というか「あの時ああすればよかった」とかそういった自分に対する反省、そして「ここからどうにかできないものか」とか「どうせ負けるにしてもカッコ悪く負けたくない」とかそういう変な粘ろうとする希望というかかすかなジタバタ感があります。そして一番自分でも笑っちゃうのが「ていうかこれに負けたからって別に死なないじゃん」とか「どうせゲームじゃん」とかそういう開き直りというか、自分が自分に「負けることなんて大したことない」と思わせようとする意識が動くのがわかります。個々の人生というものに意味があるかなんて誰もわかりませんし、特に日本の仏教だと「諸行無常」なんて言葉がそれなりに納得できる形で存在しているし、人生で色々頑張ったり楽しんだり喜んだり傷ついたり悲しんだりしていても、終盤戦になると、どんなに強い棋士さんでも老齢になると結局勝てなくなるように、そういったいろんな種類の負の感情と、「まあこれでなかなかいいんじゃないですか」というなんとなくの肯定感と、なんとも言えない諸行無常感とが入り乱れてくるのでしょうか。そして第3者から見ると、他人の人生の終盤戦なんて、結局何だったんだ、というような、あるいはなんでもなかったんだ、というような形に終わったりするのでしょうか。

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上の写真は演目が終わってから皆さんが出てきてスタンディングオベーションに応えてくれている写真オッケーな場面です。オーケストラの皆さんもニコニコです。舞台装置でわかるように非常にコンテンポラリーな雰囲気に見えますし、四人しか出てこないということもあってシンプルにまとめてありますが、私は今まで見たオペラの中で3本の指に入るくらいに印象に残るものとなりました。それはやっぱりベケットのお話の内容が、今の私の感情に響いたから、というのとクルターグの作曲が度肝を抜くものだった、というのが大きいです。

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パリ滞在中に街を歩いていたら、こうして自分自身と荷物に布をかけて眠っているホームレスの人を見かけました。オペラの序盤は主人公のハムが車椅子に座って眠っている、という状況なのでハムに仕えるクローヴが白い布をかけてあげていて「ベッドタイム」ということになっているんですね。そしてハムの両親であるナッグとネルはショッキングなことにゴミ箱のドラム缶にそれぞれ入っているんですが、そのドラム缶にも白い布が最初はかかっています。そのオペラを見たばかりだったのでこうしていま現実に白い布を座った状態の自分にかけている人がいるのを見て、そしてそれが多分彼か彼女にとっての日常であることを考えて、その人の人生のことをベケットのように考えずにはいられませんでした。

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ガルニエ宮の天井のシャガールはいつも通り美しく、オペラに来る人々は着飾っていてとても可愛らしく綺麗で、それがまた色々と考えさせられる要素となりました。オペラは全編を通してフランス語だったのですが、英語のサブタイトルがついたので非常にわかりやすく、本当に見てよかったと思いました。イタリアでもオペラをもっと探して観に行ってみようと思います。ヨーロッパで観るオペラが気になる方は以前にも色々と書いているのでこちらこちらをみてみて参考にしてみてくださいね。古い記事ですし、参考になるかどうかはちょっとわかりませんが。

2 Replies to “終盤戦というオペラ”

  1. 拝啓

    初めまして。「ゆうき」と申します。仕事はSEをしています。(具体的にはネットワークエンジニアとかインフラエンジニアとか細かく分類されるのですが割愛します)

    関東では雨が多く降るようになり、本格的に梅雨入りの時期が近づいて来ました。パリの生活はいかがでしょうか。

    おっと、ブログのコメントなのに、ちょっと堅苦し過ぎましたね。今回コメントをしようと思ったのは、まさみさんにずっとずっとお話したかったことを、お伝えするためです。

    僕が初めてまさみさんのブログと出会ったのは、まだブログがmtwebの頃でした。当時僕は17歳くらいで、まだ大学にすら通っていませんでした。大学には通っていませんでしたが、パソコンは好きだったので、当時流行りのブログをどこかのサービスを使って開設していました。その中で、mtwebを見つけ、とても衝撃を受けました。こんなサービスがあるのか、記事も面白いし技術的にも面白そうだ。そんな気持ちでした。さっそく見様見真似でMovableTypeを使ってブログを構築し、まさみさんを参考に追い続けました。今は使用していませんが、当時はFlickrも使っていて、それもまさみさんの影響です。また、MTからWordPressに移行した際も、まさみさんがWPに移行したのを見て、僕もWPに移行しました。

    まるでストーカーのようで気持ち悪くて申し訳ございません。
    ここまでして追い続けていた理由ですが、まさみさんはITが本業では無いにも関わらず、上記のような「ある程度のIT技術が無いと実施に相応の時間がかかる活動」を、僕がブログを知るより以前から続けていることです。また、ブログの記事の内容も技術的な話ではなく、日常的なことが多く、仮に少し専門的な話が入っても読みやすく解説されており、栄養学の知識が皆無の僕でも楽しく読めています。その記事の執筆能力も、追い続けている理由の一つです。

    急に長々とコメントしてしまい、もし驚かせてしまいましたら、ごめんなさい。それくらい、僕のブログ人生はまさみさんの影響を受けているということを、まさみさんに直接お伝えしたかったです。mtwebの頃にメールアドレスを公開されていたので、何度かメールを送ったのですが、既に使われていなかったのか、迷惑メールに分類されてしまったのか、とにかく届いていなかったようです。

    ですので、約15年越しになってしまいましたが、ようやくまさみさんに気持ちを伝えることが出来ました。心より、感謝申し上げます。

    敬具

    追伸
    昨今はウクライナ情勢及びCOVID-19の影響で日本に戻るのも難しい状況が続いておりますが、いつか、直接お会いできる機会があれば幸いです。

  2. ゆうきさん、コメントありがとうございます。長い間見てくださって、そしてITのことを誉めて(?)いただいて嬉しいです。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

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