毎週土曜日のランニングですが、マルモラータ通り(大理石通り)を走ってテヴェレ川まで行って、私のいなかった4年の間にできたというテヴェレ沿い河川敷のサイクリング&ランニングコースを走ってきました。写真は先週ご紹介したピラミデからすぐのところ、マルモラータの入り口にある建物、オスティエンゼ郵便局です。これはローマの歴史地区中央部から少し人々を分散させるために、郵便局の大きめの支局をを西(マンツィーニ通り)東(タラント通り)、北(ボローニャ広場)ともう一つ、南(マルモラータ通り)に4つ作ろう、ということになって1930年台にコンペをやって建てたものの一つなんだそうです。見てお分かりだと思うんですけど周囲にある「ローマン」な、いわばごてごてした建物からは一線を画しています。でも不思議なことに、だからといって浮いてはいないんです。コンペではアダルベルト・リベラという建築家が権利を得てデザインしたということになっていますが、実はこれはイタリアでは有名なマリオ・デ・レンツィという建築家との共同制作なんです。
私が特に好きなのはこのひたすら並んだ正方形の窓枠。実は横から見ても同じように正方形が同じ幅でひたすら並んでいて、私のように語彙がないと、思わず「カワイイ」という感想が口をついて出てきそうになります。建築に関しては全く明るくないのですが、この建物はラショナリズム建築の一つだそうです。私が建築のことを知らないままに「ラショナリズム」を日本語に訳しようとすると「理論主義」ということかなと思えるので、ここから全くの想像で(嘘ばっかりかもしれないけれど)書きますが、実用的でかつ、見目麗しく、ミニマルなのに理にかなっている、というような感じかなぁと思います。なんとなくですけど「哲学的」な意味もありそうだし「原理的」というような意味もありそう。だからアメリカン建築のような「合理的」な感じはないイメージです。このバス停から上に上に登っていくときに使う、変に末広がりな、いわば不必要に幅広くて浅い階段や、実際に郵便局に入って物事を済ませようとするときに気づく超絶真っ暗な入り口と、入ってすぐのアトリウムから差し込むちょっと強すぎるローマの太陽とのバランス感覚などは全く合理的ではなく、「なんでこうなっているんだろう?」と思わせられるので面白いです。
余談になりますが、郵便局ってイタリアでは、人々が好きではない場所のトップ5に入っていると思うんですよね。民営化される前は特に。郵便局ってこれまでずっと人々の生活にすごく身近で必要なものだったし(今からは変わってくると思いますが)、大事なものを送ったり送られたりすることに使うからなるべくさっさと作業を終わらせたいのに、イタリアのこういう部署って真のポンコツなんですよね。私も一つのことを終わらせるのに郵便局に何度足を運んだか分からない、ということもあります。そもそも職員の皆様の対応がお役所仕事っぽいのでダラダラとしていて、窓口の人のコーヒーブレイクや喫煙ブレイクを待たされたり(私の目の前でパッと窓を閉めて、私の真横を通って出口の近くの、私から見えるところでゆっくりタバコを吸っているんです)と、日本では信じられない光景にも出くわしました。でも相手を怒らせると自分のためにならないので(だって文句なんか言ったら、その後もう手続きしてくれないんです)「そこはニコニコしながら我慢しなきゃいけないよね」と私のイタリア人の友達も言ってました。「やることやって、受け取るもの受け取ったあとで名前バレしない時に文句は言わなきゃ」だそうです。私は郵便局に関わることは避けているので嫌なことはありませんが、最近は良くなったと思いたいです。
そんなイタリアの社会的、あるいは文化的な(?)側面も考えつつこの郵便局のスッキリしたミニマムな姿を眺めるとなかなか感慨深いものがあります。私はイタリアはシステム思考とか、機能性とか、論理性とか、そういうものとは縁がない国だと思っていましたが、実は紀元前の昔にそういうところから出発しているからこその大局観があるのかもしれないとすら思えてきました。私はファイザーの1回目のワクチンを先週終わらせたのですが、その予約のスピード感、サクサクと軍隊の指示で進む「とりあえずやろう」「とりあえず近くの人から打とう」という緊急時に強いイタリアの感覚、知事や町長さんが真っ先にワクチンを打って「ほら、みんなついてきて!」という感じで指導していくドラマティックな流れ。誰も「先に打ってずるい」とか言いません。「まぁ知事なんだから当然じゃないの?」と思ってそうな雰囲気があります。
こういうのを見ていると、一体何が「理論主義」であるのか、もしかしてイタリアって、イタリア人って、結構なんらかの理論に基づいて行動しているのか?というイリュージョンが見えてきてしまいます。で、ふと現実に戻って、家のまえで隣人が、自分の犬とよその犬が戯れあって広い歩道を誰も通れない状態にしているのに、その飼い主の友人と夢中になってマスク越しに、ソーシャルディスタンスで1メートル離れて、二人とも犬のリードをビンビンに張り巡らしたまま、くだらないことを楽しく1時間ほど議論しているのを見ると、いや、別にそんな理論的とかではない、大丈夫、日本人の方がずっと理論的、と自分に言い聞かせながら、犬たちを避けて、車道を車に轢かれないように気をつけて迂回したりしています。あれ?建築とワクチンの話だったのにイタリア人の話になっちゃいました。なんだかまとまり悪いですけど、いろんなことを考えた、良い週末でした。