誰もがみな主人公

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上の写真は本文とは全く関係ありませんが、夫のAさんが富士山が綺麗に撮れたよ!と初ピーチ搭乗の記念に送ってくれたので本当にキレイだなと思って載せることにしたものです。で、今日の本題は私のモノゴコロについて。本当にどうでも良い話なので自分でも呆れますが、とある私の大事な人にリクエストを受けたので真面目に書いてみようと思います。

ちなみに「物心(ものごころ、ぶっしん)」というのは辞書を引いてみると、世の中の物事や人間の感情などについて理解できる心。分別。幼児期を過ぎて、世の中のいろいろなことがなんとなくわかりはじめる。「―つくころからピアノを習っている」物と心。物心が付く。「被災者には物心両面で支援が必要だ」。物質と精神の意味。などとなっています。何というか非常に日本的というか仏教的な感じすらする言葉ですね。これを英語で言ってみようとすると意外に難しく、”(ever) since I was little/young,” とか “as far back as I can remember,” などの接頭節しか思いつきません。しかもニュアンスとしては「物心がつく」とは違うしね。

面倒なので結論から書きますが、とどのつまりは私は物心がつくのが遅かったということなんですが、それは上に書いた英語の意味での「覚えている限りの最初の記憶」という意味での物心ではないんですね。なんだか壮大な表現になってしまいますが、自分を宇宙の中の一つの個体として認識するのにかなり時間がかかってしまった、ということなんです。どういうこと?ってなると思いますがつまり、私は私の脳の中では私が宇宙であり、全てであり、私が中心であり、私だけに感情や心があり、私の周りにいてくれる大事な家族や友人やその他の人々は単なるNPC (Non-Player Character、これ実は今日、姪が教えてくれた新しいゲーム用語のアクロニムなんですけど、早速使っちゃいます、まるでずっと知っていたかのように!)だと思っていたと思われるんです。それが恥ずかしいことに中学2年生くらいまでずっと。全く気づかなかったわけではないと思うんですが、はっきりと認識してハッとするまで結構時間がかかりました。

この意味での物心がつく前は、私の両親や姉ですら私の人生の単なる登場人物な訳です。しかもNPCs。だから私が悲しい気持ちの時になぜ分かってくれないのかとか、これが欲しいのに何でくれないのか、とか私が遊びたいのになぜ姉は一緒に遊んでくれないのか、とか貸してほしい本があるのになぜ貸してくれないのか、だとか、頭のどこかでは何となくわかっていても心では分からないわけです。ゲームのNPC達もプレイヤーのキャラクターに試練を与えたり攻撃を加えたり友情を芽生えさせたりするわけじゃないですか。だからたとえ私の意に反することがあったとしても、それはあくまでも私にとって、私の人生の上での試練であるわけです。書いていて思いますがこれってすっかりアスペルガー決定路線ですね。でもアスペルガーの方もそうでない方も同意していただけると思うのですが、こういったことはスペクトラム、つまり「波長」的なものであるし、定義の範囲が半端なく広いので結局いろいろな要素を考えていくと誰でもどこかしら何かしらアスペルガーの定義に触れるとも触れないとも言えるわけです。

で、ある日ふと思うわけです。もしかして私の姉も、父も母も、私みたいな感じかあるいは全然違う感じで色々と感じたり、考えたり、喜んだり、傷付いたり、怒ったりしている?と。もちろん感情があることはわかっているんですが、「私のような感じ、あるいは全然違う感じ」かもしれない、と思うところが新しいわけです。それが、私にとってのモノゴコロで、それが大変恥ずかしいことに中学2年生くらいにやっと訪れたわけです。このエントリーのタイトルはさだまさしさんの「主人公」の一節ですがまさにその通りで、ある日突然「あなたは教えてくれた」「小さな物語でも」「自分の人生の中では」「誰もがみな主人公」とふと気づくわけです。

今世界で起きている悲しい事件をはじめ、いろいろな対立、混乱、貿易戦争、テロ、引きこもり、経済、事故、ジェンダー、武器開発、環境問題、宇宙開発、医療、色々とランダムに私に引っかかってくる事象を羅列してみて思うのですが、私はこのモノゴコロがつくのが遅くなったとはいえ、そのモノゴコロがつく時にハッキリとハッとできるくらいの年齢(中2)になっていたのは意外に良かったのではないかと思い始めました(自分に甘い自己肯定)。相手には気持ちがある、って分かっていても実際にそれを考えながら行動したり発言したりするのは本当に難しいことで、大人になった今もそれができているとは到底思えないからです。どんなに嫌いな人がいても、良い人がいても、それが誰であれ、その人はその人の人生の主人公であり、今この瞬間をその人の感情と共に生きている、ということを思い出すのがこんなに大変なことだと2019年の年の瀬に突然強く思うことになったのでした。

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