もうちょっとでお昼なんですが、2時からオフィスじゃないところでミーティングのある私は、明日やろうと思っていた文書作成を今やるかどうしようかと悩んでいて、そこへいつも読んでるメールマガジンがピーンと入ってきました。あ、「ピーン」とはいってくる、という表現は「?」となる方も多いかもしれないので説明しますが、実は私は3種類のメールだけには条件をつけて音がなるようにしているんですね。ひとつは家族からのもの(早く読みたいので、メールアドレス指定で家族から来るものは全部「ポワッ」と鳴るようにしてます)、もうひとつは前のプロジェックト(温度計)関連のメール(前のプロジェクトなので急いでレスポンスをする必要があるものが多いので、「チーン」と結構激しい音がするようにしています)、そしてもうひとつは、このJMMのメールマガジンの中でも春(はる)具(えれ)氏が書く「オランダ・ハーグより」の連載なのです(言うまでもなく、「ピーン」ですね。サブジェクトラインに「オランダ・ハーグ」という言葉が入るのでそれでルーリングしてます)。
いやぁ、何が私のツボを刺激するのか良くわからないけれどとにかく読むととても言い表すことができないほどの充実感というか、まさに、「こういうのを読みたいの!」というような気持を味あわせていただける春氏の文章です。このJMMの春氏のことは以前にも書きました(「本の匂いをかぐ」・「偉い人が決める英語教育は良い方向へ向かっているか」とか)ね。難しい内容であることも比較的多いんですが、それでもなんだかやたらと、全体的に様々な要素がちりばめてあって、クーーーという気持(ああ、言い表せない)にさせていただける嬉しい読み物なのです。
今日は「ねむれパリ」という題名のものだったんですが、失礼を承知でちょっと引用させていただきます。(JMM348F:『オランダ・ハーグより』 春 具 第128回「ねむれパリ」)
ああ、ボンマルシェ!地下の本屋!サガン!デュラス!サンミシェルのカフェ!シャンゼリゼのヴァージンレコード!ボブディラン!ジョージハリスン!たったの1パラグラフで、エクスクラメイションマーク8コですよもう。
そして当然のように私は先日10月に期せずして帰った熊本の自宅で読んだサガンの「愛と同じくらい孤独」というタイトルのインタビュー集を思い出しました。彼女は若い年齢で成功をつかんだのと、当時の時代背景とで、本当に「享楽」という言葉がぴったりの青春時代を送ったことで知られていますが、フランス人らしく、美しいことを好んでシリアスになりすぎることを嫌い、それでいてカポーティやサルトルのような友人と実存主義といったようなトピックで議論することを好んだと言われています。インタビュー集ではその実存主義の彼女なりの結論のようなものが随所にかいま見られていて、私はそれに何気なくかなり影響を受けました。つまり、結局人はひとりなんだということと、友人なり恋人なり家族なり、「誰かを得る」ということは常に「それを失うこと」をセットで得ているわけだから、時々クールにならなければいけない、とか、そういう、本質的なんだか悲観的なんだか、良くわからないこと。そういう事を美しいサガン特有のシンプルな言葉で言われると、単純な私としては、なんだかとっても「そうだな」と思えるのです。その「失うこと」というのは単純に別離ということではなくてその人の死であったり自分の死であったりもするんですね。
それでフランソワーズが言うには、どんな優雅な人にも、どんな優しい人にも、どんな恐ろしい人にも、鬼のような冷たい心を持った人にも、その「孤独」というものは平等に訪れるというんです。良く生きたからといってそれが来ないわけではないし、人に優しくしたからといってその孤独感を軽減してもらえるわけでもないって。ただ、その孤独を感じるときに向き合うのはたったひとりの「自分」であるのだから、その「自分」だけは裏切らないようにしなくっちゃ、と言ってました。それがどんな意味であれ、私には本当にそうだなぁって思えるのです。
一通のメールマガジンでこうしていろいろ私の好きなことを夢想したりできるのって嬉しいことです。そしてボブディランの「No Direction Home」ですって!息子さんが歌ってますよ:
Nothing is forever
There’s got to be something better than
In the middle
But me & Cinderella
We put it all together
We can drive it home
With one headlight
(“One Headlight” The Wallflowers)
そしてジョージハリスン!私も何が何でもそのDVDを買わなくちゃだわ。
