アメリカの好きだったところ

日本に帰ってきたのが5月12日だったので、もうまもなく8週間が経つかというところなのですが、何かにつけ、時々しみじみと「私結構アメリカ好きだったなぁ」と思ってしまいます。いや、この書き方は語弊があるかもしれません。私は「アメリカ」にいたというよりは、「プルマン」というワシントン州の片田舎の小さな町にいただけだったので、単純に「アメリカの中でプルマンに住む」というスタンスが好きだっただけかもしれないので。
どういうところが一番好きかというと、やっぱりまわりが陽気で前向きだというところかもしれません。自分が陽気で前向きになる努力をすれば済むことだし、何も日本人が陰気で後ろ向きだと言っているわけじゃないんですけど、単純に文化の違いですよね。例えば、人に会って別れるときに「じゃあね、またね」なんて言いますが人のことを気を使って言うごあいさつとして、日本では、これはもしかしたらうちの家族・親戚・知り合いだけかもしれないけれど、運転してきてたりすると「車に気をつけてね、事故なんかに合わないように」なんて言われたりしてガーンときます。以前日本に住んでいたときは何も思わなかったこの挨拶、よーく考えるとすっっっっごくネガティブ。9年で中途半端にアメリカナイズドされたかもしれない私は、つい(縁起でもないこと言わないでよ〜)と一瞬思ってしまいます。


いや、よく考えるとこの挨拶は別に悪いことじゃなくて、本当に気を使って、その人のことを思いやって言うセリフなので、私も実は良く使います。「お母さん、暑いから脱水にならないようにね」とか「風邪に気をつけてね(私の方が体調崩してるんですけどね)」とか、普通に毎日言います。でもアメリカの人に言ったりするとちょっぴりビックリしたりするかもしれませんね。勘ぐって裏読みして「え、風邪ひいてほしいの?」とまで思わないにしてもあんまり良い気分じゃないかも…。まあ、こんなの気にするかどうかは本当にその人次第でしょうけれど。
あと仕事で失敗したときとか、「とりあえず謝りまくる」ということはアメリカではあんまり求められてない気がする。謝ったって解決しなければ意味はないし、「謝ってばっかりいないで、とりあえず解決への最大の努力をしろ」と言われそうな気がします。もともと「陽気」な人が多いので、失敗したら逆に頑張って雰囲気だけでも明るくして、解決への努力をしよう、というスタイルの人が多くて、私はこういうやり方は好きだなーと思ってしまいます。誰かが失敗してどよーんと暗くなっていたら、声もかけづらく、失敗してない私でも、なんとなく失敗した気分になりそうなんですよね。でもこれも人それぞれなので「アメリカ人」と「日本人」と大きく分けるのはあまり良くないとは思うんですけど、基本的に、アメリカでは恐縮して謝りまくる、というのはそんなに求められてない気がします。だから逆に開き直って「確かに失敗したけどすぐ解決したからいいじゃん」風の困ったアメリカ人がいるのも確かかも。日本では謝罪って結構大きな意味がありますよね。もしかしたら近隣のアジア諸国でも「謝罪」って大事っぽい気がする。良くは知りませんが。
他に好きなのは、仕事とプライベートがパッキリと分かれているところが好きかもしれません。仕事をしている人と、仕事以外の用事で食事したり飲んだりすることは全くと言って良いほどありませんでした。もちろん、ずーっと仕事を一緒にしてきて友達のようになってくると別ですけれどね。それにしても、仕事上の関係の人と、気を使いながら食事するって、実はすごくストレスフルなことですよね。話題を一生懸命出したり、ウェイターさんへの注文のタイミングをはかったり、待ち合せしたり、お支払いしたり、などなど仕事上の付き合いってどこまでフレンドリーにしてよいか、日本では悩むところですが、アメリカだと、こうなんというか「定石」のようなものがあって、仕事上はこうすれば良い、というような超合理的な「暗黙のマニュアル」みたいなものに従えはいいだけなのでラクです。私の仕事が大学だったからかもしれないけれど、接待のようなものはないし、お食事会というのが開かれても、「定石」としてどんなに遅くても9時くらいにはお開き(ふつうは6、7時)、というのが当たり前だったし、「仕事からかえって来てバタンキュー」というのは滅多になかった気がする。だいたい、家で数時間ゆっくりする時間はありました。
いや別に日本の文化とか習慣がイヤなわけじゃなくて、「ああ、そういえばこうだったっけ」というようなプチ逆カルチャーショックを楽しんでいるだけなんですけどね。他にシャレでアメリカで好きだったことといえば:

  • アメリカナイズドされたお寿司屋さんは、かなり私の好みだった!

    いやぁ、もともと私は、あんまりお寿司系は好きじゃないんですよ。生々しいものはそんなに大好きではなく、きっと、「ちょっと日本好きなアメリカ人」がお寿司を好む程度、という感じなんでしょうねー。アメリカナイズドされて、かなりクリエイティブなロール系(巻き寿司系)のメニューが豊富なアメリカのお寿司屋さんは、かなり、私の好みでした。

  • 交通手段が私の好みだった!

    「徒歩」という交通手段(なの?)がかなり苦手、というと「いったい何様なの?」と強烈に軽蔑されたりするのかもしれないんですけれど、私は足腰を弱ぶっているので(いや、本当は足腰が弱く、と書きたいんですけど、やっぱりエラそうなので、自分で弱ぶっていることにしました)、もうそれはもう、みんながあきれるほどよくコケるんです。それもカワイイ感じの「アッ」というコケ方じゃなくて、バターン!とかドサッ!とかそういう激しいコケ方です。思わず見知らぬ人が「…大丈夫ですか?」と声をかけてくださるような感じ。私の経験から、歩く距離が長くなればなるほど、そのコケる確率が高くなるので、それで私はなるべくなら歩きたくない、という結論に至るわけです。で、アメリカの田舎町、プルマンでは、私の場合はほとんどといって良いほど「移動手段」として「徒歩」を使わなくて良かった、というのが好きなところでした。あ、熊本では結構「徒歩」いらないので熊本大好きです。いつでも車でドアtoドアです。

  • 後ろ向きプレッシャーがなかった!

    アメリカではヘンなところで心理学のようなものが人々の中になぜか強烈に根付いていて、「子供に否定的な言葉を使わない」だとか「ほめて育てろ」とか、「良いと思ったら声にだせ」とか、そういうのがわりとちゃんとみんなの中にあるらしく、私、アメリカの生活ではほぼ毎日のように誰かに何かをほめられたり、持ち上げられたりして、「ブタもおだてりゃ木に登る」じゃないですけど、「あら、そうかしら?」と思えたりしてその自信が実際良い結果になったこともあったりしました。私、これでもわりと「反省」タイプで、厳しい言葉で「アナタはXXXなんだから」と怒られると、「そうかー、わたしってXXXなのかー」と何度も何度も考えたりするので後ろ向きプレッシャーにはかなり弱く、それをひとこと言われただけでやる気を失ったり自信を失ったりしていた気がします。それで「いやぁ、やっぱり肯定するって大事なことなのね」と身をもって知った気がするので、そういうのがすごく好きでしたね。「アナタはこういうダメなところがあるから」は「アナタには特別にユニークなところがあるから」へ、「自己アピールが強すぎて協調性がないから」は「自分をしっかり表現できるし独立性も強いし」へ、と言葉をたくみに変えてほめるのは、私のような単純なタイプの人には嬉しいことかもしれません。

とまあ思いつくままいろいろ並べてみましたけれど、かといって私はアメリカの全てが好きだったわけでもないんです。実際、私もこれからいろんな国に住むことになりそうなんですけれど、結局心のどこかで、いつかは必ず、日本に戻りたいと強く思っているので、全てをまとめて、全部プラスマイナスしてもあまり有るほど日本が好きなんですね。って生まれた国だし当たり前のように聞こえるかもしれませんが、こうして真面目に考えた末、「結局日本がいい」と思えるのって実はすごく大事で幸せなことなのかもしれません。

2 Replies to “アメリカの好きだったところ”

  1. 日本&アメリカ比較、おもしろかったです。
    行ったりきたりすると、ずっと居るときとちがってなぜかどちらのこともよく見渡せたりして不思議ですよねー。
    さてさてまさみさんの映画レビューいつも楽しんでますが、今回
    http://detlog.org/archives/443
    こんなものをお渡しさせていただきました。お忙しいとは思いますけど、よかったら!!

  2. Naoさん:文化比較ってついやっちゃいますねー。Naoさんも何か気づいたことなどあったら是非教えてください。
    日本に帰ってから、映画最近見てないので自信ないですが近日中に書きますね。このバトンって、渡すのが5人というのがちょっと多めでドキドキしますよね。私にとっては、5人も知り合いいるかなーという感じです。

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