ローマ動植物園

仕事帰りに時間があったのでローマ中心地にある動植物園に行ってきました。いきなりきりんなんて見て興奮する私。きりんって、本当に見ようとしないと見ない動物ですよね。不思議。この写真をとったあと、一番大きなきりん(左から2番目のきりん)が突然、ものすごく近くまでやってきて、私を見つめたままもぐもぐと何かをひたすらずっと噛んでました。私も無言で長い間彼を見つめてしまった。

だからというわけではないんですけれど今日は「転機」ということについて考えました。ヨーロッパを襲っているヒートウェーヴにじりじりと焼かれながら非日常な動物達(しまうまや、北極ぐまなど)を見て考えることじゃないのかもしれませんが考えてしまったので仕方ありません。微妙に関係があるのかどうか分かりませんが、日本語で「今回」という言葉がありますよね。「前回」や「次回」があることを前提とした「今回」。英語でもかすかに似た表現をすることがあります。単なる”this time”ではなくて”this time around”と言ったりしますね。それがどうなんだと言われると困りますが。「転機」というのは人生にはいくつか来るものだとはおもいますけど、前向きに”next time around”は当然くると思いこむのも時々は大事かなと、きりんもなんとなく賛成してくれたような気がするのです。

写真は携帯のカメラなので画質最悪ですが許してくださいね。クリックするとフリッカーにいくのでその他の動物の写真もあります。

遺跡でピアノコンチェルト

先週の木曜日は友人のNと一緒にコンサートに行ってきました。

上のタイトル書いてから気づきましたが、イタリアに来るまでは「コンチェルト」というものが「コンサート」のイタリア語というだけの話で別段何の違いもない、という事実が自分の頭をかすったことすらないな、と思いました。コンチェルトってちょっとフォーマルなクラシックという偏見すらありました。まあイタリア語に限らずラテン系の言葉はそんなのばっかりです。いつも「ああそういえばそうか!」となるかんじ。

ちょっと脱線しましたが、行ったのはローマ古代遺跡のオスティアアンティカ。こちらの写真をみていただければ分かるんですが、シアターももちろん遺跡なんですね。サイトによると紀元前12年に亡くなった当時の皇帝のために建てられたシアターのようですので、異常なほど古いことだけは確実ですね。それにしても英語だとB.C. (Before Christ)とA.D. (After Christだと思っていたらあとでAさんに指摘されました。そういえばADですね。詳しくはWikiに載ってます。「西暦」って当然西では「西暦」なんていわないわけですが、ADそのものが「西暦」にあたる言葉みたいですね)っていいますよね?これがまた面倒なんですけどイタリア語だとa.C.がavanti Christo (キリストの先、って感じですか)でd.C.がdopo Christo(キリストの後)というんですね。ですからイタリア語のサイトでa.C.と書いてあったら紀元「前」と思ってよいです。

ってまたかなり脱線しましたが、そんなシアターで楽しむピアノコンサート、趣があってよかったです。古代ローマの人々もこうしてここでエンターテイメントを楽しんだのか、と普通に感動しますよね。ローマの夏は暑いけれど夜は涼しくて気持ちよいので、古代の石づくりのシアターに座って風を感じながら(こちら参照)、クラシックピアノを聞くなんて、すごく素敵な夏の夜の過ごし方だと思いました。

年齢を重ねて、経験を重ねて、いろんな文化に触れて、難しい事や辛い事や誤解や憤りもあるけれど、こうして単純に豊かな楽しみを得ることができるというのは心の底から幸せなことだと思った夜でした。楽しかった。これからもいろいろと進んで吸収していきたいな。恐れず。前向きに。

スポーツ観戦からダイニングルーム考察

ご無沙汰しております。いろいろとバタバタとしていて自分のPowerBookから離れた生活をしていました。そしてはっと気づくとバッテリー容量は最低限(3分もつかどうかというところ)、セミコロンキーキャップがとれかかっており、しかもなんとなく電源の部分があやういです。私の愛するPowerBookちゃんなのにこんな手抜きメンテナンスで良いわけがありません。
でも近いうちに新しいのが欲しいなあと思ったりもしますね。正直。
ところでふと思ったのですが、「テレビ(あるいは番組)に固執する」ということが私はとても嫌いだということに気づきました。「〜〜を見なくてはいけないので」とか言われると思わずアホかと思いますね。世界共通なのが、スポーツ放送。アメリカ人はアメリカンフットボールや野球やバスケやホッケーなどに、イタリア人は当然サッカー。「今日はサッカーだからそれを見たい」ではなくて「今日はサッカーだからそれを見なくてはならない」というのがいやだという意味なんですが。
「さあみんなで観戦しよう!パーティーだ!」という雰囲気だとわーい!楽しい!と、微笑ましい感じがするのですあ、ひとりきりで真面目な顔して「今日はこれをみなきゃいけないから」と必死で見ているひとをみると、なんか人生って、と思ってしまいます(大げさ)。
とはいえ、昔は熱烈なヤクルトファンだった私。ヤクルトが若くて強い時期もあったのですよ。ですからかなり頑張ってテレビの前で応援していました。そんな私に「ヤクルトスワローズがあなたに何をしてくれるというの」と冷めた顔でコメントする母にちょっと恥ずかしい気分を感じたりしたこともありました。きっとそんな気分なんでしょうね。
暖かい目でみてあげようと思ったりもするけれど、ときどき目にする光景で、テレビに夢中になっている家族の食卓、というのは実はちょっとだけぞっとするほど寂しい光景だったりするなぁと思うのです。なんだか今更なトピックだし、言い尽くされたことかもしれないんですが、イタリア人もアメリカ人も日本人も、と思うと、突然に悲しい気持ちになりました。
だいたい、ダイニングルームにテレビを置く事自体、やっぱり問題だと思うのです。「テレビをみないで食事を『したい』」と思う人がもっと増えてくれたらいいな。科学的にも、視覚が「おいしさ」の感覚を満たす最大で最初の感覚だと言われています(その次は臭覚で最後がやっと味覚)。その視覚をほとんどテレビに向けてるなんて、味が分からなくなって当然。味が分からない食事を何十年も摂り続けるのって、最終的にどんな影響があるんでしょうね。悲しいですね。

スーダンに行ってきました。

先週はスーダンに行ってました。首都のKhartoumです。私の両親が死ぬほど心配するんじゃないかと思ったので内緒にしてました。ごめんね。でもスーダンはアフリカで一番大きな国で、南や紛争地域に行かない限り安全なので大丈夫なのです。首都はとくに大丈夫でしたよ。ナイロビなんかと違って普通に外を歩いてレストランで楽しく食事ができる状態です。

ミッションそのものはわりと大変だったんですが、旅行全体としては私は結構楽しめました。一緒にコンサルタントを連れていけたのが良かったし、もうひとり違う部署から先輩のオフィサーが一緒だったのでグループ旅行といった気配すらあって、今までのひとりっきりミッションよりはずっとましだったのでした。つかれたけど実り多き日々となりました。スーダンは写真撮影禁止のところがほとんどなのですが、この写真は夕方、暑さがちょっと和らいでから行ったマーケットのスパイス屋さん。オーナーのひとが「一緒に撮影したい」と申し出てくれたので撮影しちゃいました。えへへ観光客モード全開ですね。