「応援する人」になりたい

最近スポーツ栄養学のクラスを受けながら、いつもこの分野における栄養学の限界と可能性について考えてしまいます。どんなトピックを扱っても、そこには必ず拮抗しあうアイディアがあって、教授でさえもどちらを信じたらいいのか分からないんですね。そういうのを私が判断するわけにもいかず、なんとなく煮え切らない態度になってしまいます。私はバイオテクノロジーについて研究をやっていますが、その遺伝子組み替え食品というものに対する消費者の不信感というものが分かっていながら、それを「遺伝子組み替え食品は危険ですよ」とも「安全です、気にしないで食べて大丈夫です」とも言えないんですよね。現在の時点で正解が分からないというだけではなくて、それはとても混み入っていて、私が判断をくだすものではないという状況がうまれるからです。

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時間の経過とその考察

月日がたつのは早いですね。もう11月もおしまいです。いつかどこかで読んだウンチクに、人が月日の経過を感じるのが年々早くなるのは、過ごした1年をそれまでその人が過ごした人生の年月で割って感じるから、と書いてあったのを思い出しました。つまり、1歳の赤ちゃんはその1年をおもいきり長く感じ、50歳の人はその1年を50分の1として感じるということ。そうなんでしょうか。
でも私が思うに、それは半分正しくて半分間違っていると思いますね。単純に生きてきた年数で割るのではなくて、「ウツワ」というと漠然としていますけれど、その人が今まで経験したり学んだりした知識や能力の積み重ね、というのが分母で、その1年に経験したり学んだりした事、というのが分子だと思います。どうしてそう思うかというと、初めて小学校に入学した年、初めて一人暮らしをした年、初めて就職した年、初めてアメリカに来た年、というのはわりと長く感じたからです。今までの自分を形成してきたものよりその1年に自分に蓄積された物の方が比較的多くて長く感じたのでは?と思ってみました。どうでしょう。

手続きのしづらさ

ところで日本にいたときにとっても腹が立つことがあったので今日はそのことを書きたいと思います。本当にアタマにきました。郵便局での出来事なんですけれどね。日本からアメリカに帰ってくる直前に、私は不在の間の電話代などをAに借金していたこともあり、そのお金を両親にいただいてドルに替えて持っていこうと思ったんですね。そして、トラベラーズチェックにしようかなぁとも思ったんですけれど、また実家でもアシがなくて、面倒なので近所の郵便局で国際為替を買おう!ということになったんです。そしていざ郵便局へ。

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お料理する(できる)ことと、お料理が上手なことの違い

ところで、最近なんだか誤解してらっしゃる方も多いみたいなので一応書いておきますけれど、私は栄養士だけれど、料理専門家ではないです。だから料理がうまいということは決してないです。もちろん、すべての技術的なことは叩き込まれるので、普通の人よりは結構知っていたりしますけど(献立、材料、調味料の量、入れるタイミング、切り方及び作り方などなど)、知識と料理のうまさって全然違うと思うんですよね。やっぱりクサいことを言うようですが真心でしょう。料理は。私は大量調理に慣れてしまっているためか、作るのはとっても速いですけれど、味はいつも自分では「?」という感じです。小学校の給食みたいな、教科書みたいな味がするような気がします。正直者のAも、「なんだか秤で計ったような味がするのは確か」と嬉しいような悲しいような事をいってくれます。

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青いトマト

今まで、「日記に書こうかなーどうしようかなー」とためらっていたことを書きます。なんだか書くのがもったいなくてやめていたのですが、忙しい日常で嬉しさが薄れていくのがイヤで、今日ここに書いておこうと思ったのでした。うちの母が渡米していたときのことですが、卒業式の日に式が終わって部屋でのんびりしていたら母が突然黄色い紙切れをくれました。

手でちぎったようなメモ用紙のはしっこの紙切れでした。それには母の美しい字で、

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