少しずつ日常を取り戻す4つの理由

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今日は久しぶりのテニスのレッスンに喜びを隠しきれず、レッスンの3時間前に家を出てきました。というのは半分本当で半分嘘です。レッスンを楽しみにしているのはもちろんなんですが、3月から頑張っていた自粛を今週末から解除の方向に向けようと思って、私の愛するクルマちゃんを昨日久しぶりに走らせたら、普通に走りはするんですが、物凄い量のチリとホコリが積もっていて、ネイビーブルーのはずが茶色に見えてしまっているんですね。なのでテニスに行く前にモールに寄って、買い物ついでに洗車をお願いしようと思ったのでした。バンコクのショッピングモールは駐車場に限りがあるので週末は駐車スペースの奪い合いになるんですが、洗車をすると洗ってもらえる上に駐車場も確保できるので私はこのシステムを大活用させていただいています。今日は洗車だけではなく、内部の殺菌もしてもらえるということで、どれくらいの効果があるかは置いておいて、きっとモールが自粛していた2ヶ月間ほど、きっと経営も大変だったことと思われるので、洗車&殺菌コースをお願いしてきました。それに2時間かかるわけですね。ちなみに上の写真はモールの中の空中庭園にあったなんだか可愛いモビールです。

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「ことば」という不明瞭なツール

ここ数年間、定期的に考えることなのですが、人間は種類は違うとはいえ、言語というものをあみ出して、その言語さえ通じればほとんどの意思の疎通が可能になった、ということで種として発展してきた、という事実があるのは誰でも知っていることだと思います。でも、同じことばを話すからといって、どんなに長い時間しっかり話し合ったって「なんだか分かり合えない」ということがあるのも、これも誰もが知っていることだと思います。それはもちろん、人間が基本的に、その度合いに違いはあるとは言え、嘘をつく生き物であるからというのがあります。嘘、というと語弊があるかもしれません。体裁を繕う、あるいは当たり障りのない言い訳をつける、といったそういう意味合いです。

また、たとえ嘘をつかなくても、根本的な考え方が違えば、わかり合うことが突然困難になります。例えば、「明日連絡するよ」と言ったのに連絡してこない人がいたとして、その人にとってみたら、仕事じゃないんだからそんなにガチガチに期日を守る必要がないと思っていて、その日に連絡しなかったとしますね。その人にとってみたら「明日連絡するよ」は社交辞令のようなもの、あるいは「今日は連絡できない」ということの裏返しなだけかもしれません。でも相手からしてみたら「明日連絡する」という字面通りの言葉で、次の日になって連絡がなかったとして、「連絡するって言ったから待ってたのに連絡してこない!」と怒ってしまう、ということが起こるわけですね。こういうものは、もしかしたらどんなに話し合っても、最終的に「そっかそっかそうだったんだ、あははは」と完全和解できるようなことではないかもしれないのです。なぜならそのことに関する根本的な態度と考え方がお互いに違うから。同じことを「大したこと」と「大したことでないこと」と捉えるのはあまりに違いますよね。どんなに完璧に同じ言語を話していても、言葉には限界があるわけです。

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美味しいということ

Blue Elephant Cooking Class

大人になるといろいろなことに気づくというか、物事を必要以上に複雑に考えるようになるので、いろいろなことが今まで考えなかった側面で面白く感じられることが多くなりました。最近考えたことで、食べ物が「美味しい」と思うことが突然面白いと思うようになったので共有してみようかと思って書いています。ちなみに上の写真はバンコクによくあるローカルな市場です。

まず、今私が好きな食べ物を聞かれると、間髪入れずに答えるのがバナナ(昭和初期)、チョコレート(子供)そして豆腐(まあこれは美味しいですよね)です。そしてさらにちょっと考えて「ああ、モツァレラチーズも信じられないくらい美味しいよね(イタリアかぶれ)」「そうだ、私パン全般が大好きだった(フランスのものもドイツのものも)」「でもそういえば最近気づいたけど私、海の異星人、たこが好き(私はずっと『たこ焼き』が好きなんだと勘違いしていたけれど、イタリアに住んでいた時に前菜のリストにInsalata di polipo e patate、つまりタコとじゃがいものサラダがあるとインスタントに幸せな気持ちになっていたことを思い起こし、さらに実は私は別にお好み焼きとか焼きそばとかはたこ焼きほど好きではないことを突然思い出し、そのことから私が好きなのは実はタコであることが判明したのです)」と好きなものを羅列し始めます。

だいぶ脱線してきましたが、バナナ好きとしてはタイに住んでいるということ自体がパラダイスです。見渡す限りバナナだらけ、という市場もあります。いろいろな種類のバナナがあって本当に幸せです。そこで本題にはいるのですが、時々、ものすごーく売れているバナナというものがあるわけです。それなのに、勇んで買ってみると「ん?これはおいしくないかも?」と思うことがあるのです。世界で一番好きな食べ物なのに、しかもみんなに人気なのに、美味しくないかも、と思うというのはどういうことでしょうか。そして逆に、美味しい、と思うということは一体どういうことなのでしょうか。

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誰もがみな主人公

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上の写真は本文とは全く関係ありませんが、夫のAさんが富士山が綺麗に撮れたよ!と初ピーチ搭乗の記念に送ってくれたので本当にキレイだなと思って載せることにしたものです。で、今日の本題は私のモノゴコロについて。本当にどうでも良い話なので自分でも呆れますが、とある私の大事な人にリクエストを受けたので真面目に書いてみようと思います。

ちなみに「物心(ものごころ、ぶっしん)」というのは辞書を引いてみると、世の中の物事や人間の感情などについて理解できる心。分別。幼児期を過ぎて、世の中のいろいろなことがなんとなくわかりはじめる。「―つくころからピアノを習っている」物と心。物心が付く。「被災者には物心両面で支援が必要だ」。物質と精神の意味。などとなっています。何というか非常に日本的というか仏教的な感じすらする言葉ですね。これを英語で言ってみようとすると意外に難しく、”(ever) since I was little/young,” とか “as far back as I can remember,” などの接頭節しか思いつきません。しかもニュアンスとしては「物心がつく」とは違うしね。

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ビンジ・ウォッチング

私がアメリカに住んでいた頃は(遠い目になりますがなんと15年ほど前になります)確か、「マラソン」という言葉を使って、例えば「マラソン・ビューイング」のような言い方をしていたと思いますが、テレビの前に延々と座ってテレビシリーズ、連続ドラマだとか一話完結のソープオペラだとかそういうのを何話もひたすら見るわけですね。かなり中毒性のある行動になると思います。当時はケーブルテレビの局側がそういう企画をやっていました。例えば「『M★A★S★H』のマラソン放映やるよ」というような感じです。そしていそいそとカウチに座って延々とそのシリーズを次から次に見る。「ビンジ(binge)」はなんとなくですけど、英語的にはアルコールに強く結びついている感じの単語で「ビンジ・ドリンキング」だと短い時間にアルコール飲料を大量に摂取することですね。摂食障害の過食の時もビンジ・イーティングと言ったりします。多分ちょっとだけ異常性がある感じもこの言葉にニュアンスで入っているのではないでしょうか。「ビンジ」だと名詞ですけど「ビンジング」のように動詞で使うこともあると思います。で、今日の話は「ビンジ・ウォッチング」。

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