F5: 楽しみにしていること

The Friday Five というウェブサイトが楽しそうだったので、今年は、Friday Fiverとなり、飽きない限り答えてみようかと思います。

What one thing are you most looking forward to . . .
1. …today?
ゆっくり眠ることかな?
2. …over the next week?
映画をたくさん見に行くことにしているので、それが楽しみといえば楽しみ。
3. …this year?
私の学生生活の終わりはちょっと寂しいけれど、実は新しい生活の幕開けでもあると思うので、楽しみ、かな。
4. …over the next five years?
家族が増えたらいいな、と考えるとワクワクします。
5. …for the rest of your life?
私がこうしたいと密かに願っている形で、とある恩返しができたら、それはそれはすごく嬉しいことなので、それができるようになるのが楽しみ。

全然

最近ふと思ったんですけれど、若い人が(えーい私も含めちゃえ)、
「全然いいよね」
などと言うのは、とてもヘンな日本語で違和感があると思うのですが、実は、もはや国語辞典に俗語として載っているんですね。知りませんでした。変わっていく日本語を思って悲しくなってしまう気持ちがするのですが、実はよく考えると、「全く」には否定と肯定とあるので、それに「然り」がついても実は肯定に使えないこともない、というのは事実みたいです。そういえば夏目漱石などを読んでいて、同じような違和感を感じたことがあります。私が昔読んだ彼の短編に頻出していて、とても居心地の悪い思いをしたことを思い出しました。漱石は例えば、
「そして母はそれに全然同意してい(旧カナ)るのです」
という感じで使うのです。居心地が悪いけれど合っているというのはほかにもあって、
「太郎がそうなるのではないかと思っていたら、果たしてそうであった」
のような使い方の「果たして」はちょっと居心地悪いですよね。まぁこんなこと「全然」どうでもいいんですけどね。ただ、現代っ子が使うから、という理由で変化していく日本語に限ってはちょっと悲しい気分がしますよね。

テレビの悪

映画、Confessions of a Dangerous Mindを観て思ったのですが、テレビの悪について結構考えさせられますね。あたしはアメリカはこういう時代をなんとか乗り越えたんじゃないかと思います。いや、もちろん根強くなにかしらショウビジネスにはこういう根本的な問題があるんでしょうけど。でも日本のテレビは病的ですね。スタジオのセットの感じ、いわゆる「タレント」といわれる人々がずらっと派手な衣装を着て並んでいる感じ、面白いけどあんまりタメにならないようなことが延々と続く感じ、まだ日本のショウビジネスってこの映画の時代のままだなぁと思います。なんとかならないのかしら。アメリカはケーブルとかサテライトとかの番組があるからかもしれないですけど、Goodwill HuntingでWillが言うように、何も大学にいかなくてもテレビや図書館だけですごい教育を受けられる仕組みに一応なってますよね。
あたしもくだらない番組が好きなのでえらそうなことは全然言えませんが、テレビの世界って、ひとことで言って狂ってるなぁと思うことはしばしば。

イラクでのカジュアリティ

10/17の日記に書いたことですが、あの日私はイラクでのカジュアリティが400人弱だということを知ってとても驚いたんですね。でもCNNのリポートによると、あれから1か月でプラス100人の497人になってました。なんかベトナムを彷佛とさせますね。私はリアルタイムでベトナムをみていたわけじゃないので、映画で見るようなメージで、という意味ですが。(後日談:2004年1月16日現在、589人というレポートになっています)
ところで、映画のイメージといえば、最近アメリカはJFKの暗殺事件について盛り上がっています。私がハマっているCourt TVのForensic Filesに出てくるような最新の捜査方法でもういちど再捜査すると、あれは実はやっぱり、単純な事件みたいですね。オズワルドはアメリカ社会に絶望し、得意の銃さばきでなんとか目立ちたかっただけだし、オズワルドを殺した人はそれが正義だと信じて疑わなかった。それ以外の何でもないみたいです。ケビンコスナー主演の映画、JFKを観て憧れてしまった世代にはかわいそうですけど。オリバーストーンはあれで結構バッシングされたんじゃないかと思いますよね。

アメリカナイズド

このサイトを読んでくださっている方にはよく分かると思いますが、私の日本語はカタカナだらけです。恥ずかしいほどに。でも、私は日常から、常に、アメリカカブれしたくない、と思っています。カブれる、というのはつまり私の中の定義では「甘んじる」というのと同義です。こちらで長く生活していると、英語力とはまったく関係ない部分で、日本語力が落ちていきます。つまり、「日本語を忘れるくらいに英語が上達する」ということではなく、「英語が上達するかどうかは置いておいて、日本語を忘れていく」ということが起こるのです。でも現実は気持ちとは相容れず、結局わたしはカブれてきてしまっているのでしょう。

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