オリバーストーンとローマ映画祭

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10月の半ばに、日本人のお友達のMちゃんが誘ってくれてローマ映画祭で上映されたJFK Revisited: Through the Looking Glass(2021・ドキュメンタリー)を観に行ってきました。映画祭の期間はローマ市内の色々な映画館やシアターで招待された映画が上映されていたんですが、私が住むGarbatellaという地域にもローマ第3大学のシアター(テアトロパラディウム)があり、そこでこの映画は上映されることになっていました。映画祭のチケットはかなりお安く、Mちゃんがサクッとオンラインで5ユーロでとってくれていたし(とてもフットワークが軽い素敵なお友達です)、テアトロパラディウムは私のアパートメントから徒歩10分だし、気楽な気持ちでその日を待っていたんですね。そしたらMちゃんがテキストで「オリバーストーン監督が来るらしいよ」と言うので驚いて調べてみたら、本当に彼が、ローマとはいえこんな田舎の住宅地の地域にきて舞台挨拶をしてくださると知り、行ってみたら本当に彼がすぐ目の前で熱くJFK暗殺の陰謀論について語ってくれるというシュールな状況だったのでした。

ドキュメンタリーそのものは、彼が言いたいことはよくわかった!と言いたくなるくらい全てが一生懸命で、そのしつこすぎるくらいの情熱そのものに心を打たれました。舞台挨拶の途中でストーン監督が何度も繰り返していたのが、「こんなにたくさんの証拠を証拠にできない証拠がある」「もはや陰謀論ではなくて陰謀事実だ」というような言葉でした。同じストーン監督の1991年のケビンコスナーが主演したJFKの映画は俳優が演技をする、という状況が必要だったため、少しは誇張や演出もあっただろう、と言われることも多いらしいんですね。それで「結局エンターテイメントだろう、単なる映画(Just a movie)じゃないか」というようなことを言われる、と。それに対して彼が締め括ったのは「単なる映画ななんかじゃない(It’s not just a movie)、私の人生(it’s my life)だ」という言葉でした。JFKの暗殺が一体なんだったかというよりも、こうして自分が思ったことを追求して徹底的に表現したい、という監督の気持ちの方が強く印象に残りました。

私にとってはアメリカのその当時の状況は本やテレビやそれこそ映画などの情報でしか知り得ないし(自分からは探しにはいかないし)、ストーン監督よりその当時のことを知る方法がないのでなんとも言えないんですが、彼はJFKが作り出すはずであった60年代の新しい「これからのアメリカ」というものに多大な期待を持って自分の理想を重ねていたのかなと思いました。JFKがキューバ問題をいささか乱暴に解決し、これからやっと平和的にベトナム政策も出すはずだったのに、と大きな(多分大きすぎる)希望を持ったところで彼が殺されてしまった。そしてケネディ亡き後続政権下で自分自身がベトナム戦争を経験して、その酷すぎる現実と意味のなさに驚愕し、人生観そのものが変わったのかなと思いました。そして絶望的に、JFKさえ殺されなければ、と何度も考えたのかもしれません。そして何十年も経った今、歳をとったストーン監督から見るアメリカという国が、トランプ政権を経験したりして迷走しているのがまたすごく残念で、ああ、まただ、同じだ、という気持ちになるのかもしれません。プラトゥーンは衝撃的な映画でしたがそういうストーン監督の気持ちで観たらまた違う感想を持つかもしれないと思ったのでまた今観てみたいです。映画や本は自分が興味あるものだけではなくこうしてたまたま観たり、人に紹介してもらったりするものがあると、全然違う刺激があっていいなと思いました。

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