土曜日はチルコマッシモ周辺のランでした。2006年に初めてローマに来たときには上の写真のように草が生えた単なる長いフィールドで、写真にも写っていますがパラティーノの丘の宮殿遺跡群の迫力に完全に負けているイメージでしたが、今はこの写真の右側の方に残っている競技場の建物の一片が少しずつ修復されてきて、ちょっとずつですが存在感を増してきています。2、3世紀ごろにこのフィールドに、コロッセオを横に引き伸ばしたバージョンの立派な建物があって、それは純粋にエンターテイメントのためだけの競技場で、それをパラティーノの丘に住む偉い人や裕福な人が毎日上から眺めていたと考えると、ちょっとだけ身震いがします。でもこうして2000年の時が経ってしまうと諸行無常、結局まさに夏草や、の世界になってしまうのですね。
チルコマッシモをテベレ川の方に走ると、この有名なBasilica di Santa Maria in Cosmedinという教会があります。そうです、アレです。
朝早かったし、土曜日だったしで観光客はゼロでした。ここに来るたび、私の両親が2006年に遊びに来てくれたことを思い出します。前日にここの近くにあるフォーティーセブンという名前のホテルに泊まって、ルーフトップのレストランで極上の食事をしてそのままふわふわのベッドに倒れ込んで眠って、翌日歩いて3分でここまできて、全員で大はしゃぎしながら写真をたくさん撮ったのを思い出すと今でも笑顔になってしまいます。お昼は川上のユダヤ人居住地区であるゲットーまで行っておいしいユダヤ風の揚げたアーティチョークを楽しんで、本当に幸せな1週間でした。世界が、日本が、イタリアがまた、両親が日本からイタリアに気軽に遊びに来れるような状況に早くなればいいなと心から思います。
上にも書きましたが、これが少しずつ修復が進んでいる競技場の壁や塔です。左奥の白亜の建物は先日もご紹介しましたが、我が社(国連食糧農業機関本部)でございます。2006年にサッカーのドイツワールドカップでイタリアが優勝した時はこのチルコマッシモにものすごい数のイタリア人が集まって、帰国凱旋をする選手たちを迎えたんですよね。仕事帰りに私もその一人になりました。最初は5万人予想だったのが、30万人、60万人、と増えていって、最終的には100万人近くになったらしいので、ローマの皆さんがどれだけ嬉しかったかがわかるというものです。チルコマッシモは、ローマ帝国のことを考えても、2006年のあの時のことを考えても、そして今のイタリアのサッカーのレベルを考えても、まさに、夢の跡、といった場所なのです。