いろんな coming-of-age ストーリー

私の世代でも、もうちょっと上でも下でも、世界のスターバンドだったOasisが好きだった、という方はたくさんいらっしゃると思いますが、私もその一人で、90年台初頭にSupersonicのMVで、労働階級な襟ボアコートで屋上に寒そうに立ってねっとりとヘタウマに歌うリアムを見た時、ああ、青白くて若いビートルズリスペクトな青年たちが頑張っている、と興味を惹かれました。あの頃のリアムはセサミストリートのバートみたいに眉が繋がっていましたね。そして私自身が渡米してすぐMTVで何万回流すんだ、というほど流れていたDon’t Look Back in Angerで今度は、リアムにそっくりだけど小さくて難しい顔をしたお兄さんのノエルが上手な甘い声で「今から僕はベッドの中から革命を起こすんだ」と歌った頃は大学のカフェテリアでアメリカ人が、サビに向かって腕を上げて♪Sooooo Sally can waitttと大合唱してました。

その後のオアシスは皆さんご存知の通りで、この仲が悪すぎるギャラガー兄弟の投げ合う言葉の酷さと後先考えない若さならではの無責任さに疲れ果て、忘れもしない2009年の8月29日に、いつも我慢する方だったお兄さんのノエルの方がプツっときてしまい、オアシスは空中分解となったわけですね。まあ兄弟喧嘩なのでどっちが悪いとかそういうのはないんでしょうけど、私の中ではノエルがソングライター、リアムがシンガー、という立場だったのと、ノエルパートの歌が好きだったのとでなんとなくノエルの方を応援してました。実際、まあ賛否両論でしょうけど、オアシスが売れたのはノエルの類まれな才能のおかげとしか、私には思えないし。

どっちが優れているとかそういうことは実はどうでもいいんですが、私の中で事件だったのが去年(2019年)です。リアムがWhy me? Why not.というアルバムをリリースしたんですね。あまりリアムの方のバンドを追いかけていなかった私はふとそのタイトルに惹かれてしまいます。これは有名なレノン夫婦の会話で、最初のがヨーコさんで最後のがジョンです。そしてなんとなく聞いてみよう、と聞いた一曲目(アルバムでは3曲目)がこの一番上にのせた歌詞付きビデオのOnceだったわけです。ガーン、となりました。これは実は、悪童リアムから、ノエルお兄さんへのラブコールではないか、と思いました。そしてアルバムを買ってみると、やっぱりありました、One of Usという曲。これは完全にオープンに、全然隠してないリアムからノエルへのメッセージでした。そうか、どんな理由があるとはいえ、リアムはノエルに何かを伝えたいんだなとはっきりわかりました。仲直りがしたいのか、単にビジネスとしてオアシスをやりたいのか、後悔しているのか、その辺りは全然わかりませんが、結局兄弟ですよね。どう考えても仲がいい方がいい。そう思うと突然ポロポロと涙が溢れてしまい、私自身が大変なことになってしまいました。今心が弱くなっているのかしら。オアシスにこんなに肩入れしても、彼らは私に何かをしてくれるわけでもないのに。

でももどかしいのは、リアムはやっぱり意地を張っていて、ノエルに「あの時は僕が悪かった」とは言えないんですね。きっと本当にそう思ってないから、そう言うのはすごく難しいんでしょう。血の繋がった人と喧嘩するとそういう感じになる可能性が高いのはなんとなく分かります。もはや「意地」とかの問題でもないのかもしれません。悪いことをしたときに謝るのはわりと世間一般の生きる術ですが、謝っても許してもらえないなら謝る価値がない、と思ってしまうのは当然のことです。失敗してしまった芸能人をみんなが叩くときに彼らがどんなに謝っても本当の意味では元には戻れないのと同じ。でも思うのは、そういうときに「成長」をするかどうかという大事なポイントです。私も全然そう言った意味ではこんな年齢になってもまだまだ成長できてないんですが、人ってどこかで、今まで言うなれば「執着」とすら思えるレベルでこだわってきた様々な部分を、サラっとドライに吹っ切って「次」だったり「より良きこと」だったり「もっと大事なこと」を見据える、とかそう言った「大人になる過程」が必要になってきますよね。だってその「執着」や「こだわり」はある見方をすれば「子どもっぽい」ことなわけだから。それをComing-of-ageということで抜け出すわけです。

日本のしきたりだと、元服、というのが象徴的かなと思います。男子はおかっぱの頭を突然まげに結ったり、烏帽子を被ったりするだろうし、女子だと眉を剃り落としたりお歯黒にしたり、というようなこともあっただろうと思います。それが嬉しくも悲しい「大人」にあることであって、それまで夢中になって遊んでいたことをやってはいけなくなる(大人として恥ずかしくなる)とか、そういうのを物理的に断ち切る努力が必要になって、それはそれで、なぜかとても人の心を強く打つ過程に写るんだと思います。みんな、年齢は関係なく、そう言った自分と向き合ってきたことがあるから。スタンドバイミー(映画)で、ほぼ坊主頭のバーンが大事にキャンプに持ってきた櫛を、最後の方で線路から川に落とすシーンも「断ち切り」の象徴だし、サバイバルファミリー(映画)で小日向文世さんが演じたお父さんが川を必死で渡ったときに失ってしまうカツラも、違う意味でのComing-of-ageの象徴だと思いました。

だからこのComing-of-ageというのは字面からすると、まるで年齢のことを言っているみたいに見えるけれど、実はどんな年齢でも、おじいちゃんやおばあちゃんになっても、どんな時にでも、いろんな場面で誰にでも何度でも訪れることなのですね。引っ越しをするたび、断捨離をするたびに、数年前にはとっても大事なものだったものが突然単なる感傷的な物質的なものに変わってしまっていることに気づくことがあります。あるとき突然、たった今まで自分がいかに成長できていなかったかを思い知らされることがあります。人に悪いことを言ってしまったり、うっかり失敗してしまったり、どうしても人に謝れなかったり、謝っても仕方がない、と諦めてしまったり。そういうのをぱっと断ち切って、さあ、何が大事だっけ、次はなんだっけ、どっちに進もうか、とある意味「捨てて」いく姿は美しいですが、それに到達するまでの、無理やり幼い自分に向き合わされるようなComing-of-ageストーリーは、その幼稚さと痛々しさから、さらに人の心を揺さぶるんだろうな、と思いました。リアムがまるでもがいているようなメッセージをノエルにこうして公に送っているのを見ると、私のそんな部分が刺激されてポロポロと泣いてしまうのでしょう。オアシス、いつかうっかり再結成なんかしたら私は号泣してしまうに違いありません。

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