「こうあるべき」の怖さ

出張もちょっと落ち着き(といっても今週もまた金曜日から出張ですが)、ローマで毎日せっせと地味に仕事しています。今日はちょっといろいろと考えさせられたことを書きとめておこうと思って書いています。というのも、これから書くことに私個人の結論が出ていないので、もうちょっと時間が経ったときに自分はどう考えるのか非常に気になったので。

以前に何度も書きましたが、国際機関で働く私の環境は良い風に言えば「国際的」で逆に言うと「価値観バラバラ」です。価値観がバラバラというのは、別に良いことでもなく悪いことでもありません。価値観がみんな同じ、というのがよくも悪くもないのと同じです。昔は同じような環境で生活してきた人というのは同じような価値観を持つものなのかなという意味で、同じ文化圏の人、例えば日本人同士などだと価値観は近づくものかなぁと思っていました。でも多分そんなことはないですね。まったく違う宗教、文化、生活環境、趣味、などなどであっても、価値観が近いという人はいるものです。そして同じ宗教、文化、生活環境であっても価値観が違う人はいると思います。たとえば家族など。私はたまたま私の姉が大好きなので仲良くしたいのでベッタリですが、価値観が同じかどうかと言われるとうーん、という感じです。どちらかというと、姉のことが好き過ぎて、私が姉の価値観に追従するので同じような価値観になっているという状態だと思われます。兄弟姉妹で価値観が全然違うという人々もたくさんいることでしょう。

また当たり前のことを書きますが、「仲良し」というのが価値観が同じということではないのは当然ですよね。私にはローマには本当に頻繁に会う仲の良い友人が3人いて、イタリア人のA、ルクセンブルグ人のC、リトアニア人のDなんですが、みんなの価値観が同じとは到底思えません。でも3人とも本当に個別にですが仲良くしてくれていつどんなに長い時間を一緒に過ごしても全く飽きることなくずーっとおしゃべりできる友人です。で、価値観が違うのになぜ仲良くできるか。それは相手を尊敬・尊重しているのと同時にその相手のことが多分好きだからですね。好きだと相手がどんなに違う人生を送っていても、どんな考えを持っていても、おおらかな気持ちで「へぇそうなんだ」と受け入れることができるからだと思うんです。それぞれ全く違う宗教や人生観を持っていますがお互いのことを違うからといって「それはこうあるべき」という話は全くしません。だから居心地いいし、好きだと思えるし、一緒に過ごす時間が充実するんだと思います。

ところが最近職場の知り合いの日本人の女性(複数)とお話していると「(大人の)女性はマナーとして化粧せずに公のところにでるべきじゃない」という話になりました。調べてみるとどうやらこれって日本では決して少数派ではないみたいですね。考え方としては「(大人の)女性のすっぴんなんて誰も見たくないのに、公の仕事の場で見苦しいものは見せるべきではない」という感じなんでしょうか。そこで思うんですが、年齢を経た女性のすっぴんって「見苦しいもの」なんでしょうか。悲しい。すべて私の主観ですが、上に書いたイタリア人のAなんて50歳近いですけどすごくスポーツを楽しむタイプで、いつもさわやかなすっぴんです。とっても素敵です。Dはママですがいつもキレイにお化粧しています。彼女もいつも美しい人です。Cもアラフォーのママですが私はCがお化粧しているのはこの2年間で3回くらいしか見たことがありません。ほぼ毎日会っているのに、です。でも彼女はすっごくキレイな人です。私は3人ともすごく魅力的な人たちだと思っています。現実問題よくモテます。みんなパートナーがいますが。男の人はどうなんでしょう?お化粧なんてしませんよね。それはいいんでしょうか。30代や40代の男性になるとやっぱり肌は10代20代とは違いますよね。どっちがいいかは人に寄ると思いますが。それはそれで別に「見苦しい」ということにはならないんでしょうか。女性だけが「見苦しく」なるんでしょうか?化粧をしないなんて「常識はずれ」ということになってしまうんでしょうか。

私の今の段階の結論は、お化粧はしたい人がしたい時にすればいいんじゃない?という感じです。誰から強要されるものでもなく、社会のためにするものでもなく、ただひたすら自分のためにするものだと思いたい。私も化粧するかしないかでいえば、化粧する日の方が多いです。が、肌が乾燥しすぎて荒れているときなんかは保湿と日焼け止めだけ塗って出かけることも少なくないです。ファンデーションなんかつけると逆に肌の調子が悪くなりそうだから。でもそれはすべて自分のため。別に自信満々に自分のすっぴんが「イケている」とか「見苦しくない」とか思っているわけじゃないです。だから社会的に「(大人の)女性は化粧せずに公の場に出るべきじゃない」となると非常に抵抗を感じてしまいます。人のことや社会のことを考えて化粧するかどうか決めるなんて、ちょっと前後しますが下の方に書いたイスラム圏の話をチラっと考えてしまいます。

また「(大人の女性は)膝上のミニスカートをはくべきじゃない」という話も出ました。これもなぜ?という感じだったので聞いてみるとやっぱり「キレイでもなく細くもない脚を見せるのは他人に迷惑だから」とか「年齢相応じゃないから」という非常に社会的な理由でした。年齢相応って誰が決めているんだろう。イタリア人のおばあちゃんたちはピンクのミニスカートでピンヒールで歩いていることも良くありますが私にはすごく素敵に見えます。それは年齢相応じゃないってこと?歳をとったからそういう好きなものを買って着れる、という解釈はないんでしょうか。似合えばなんでもいい、という人もいますが、似合ってなくても良いと思いませんか。ほっとけばいいじゃないですか。

だから私の現在の結論は誰でも好きなものを好きな時に着ればいいんじゃない?という感じです。それが時として場にそぐわないことはあると思います。そのときはその人はそれなりのソフト制裁を受けてしまうんじゃないでしょうか。それはそれでその人が選んだ道。他の人が「あの人おばさん(おじさん)なのにあんな服着て」と言ったりするのは単なる悪口なんじゃないかと思ってしまいます。それぞれ着たい服を着て、したいファッションをすればいいと思います。もちろん裸で歩いたりするのは犯罪なのでダメですけどね。とりあえず法律の範囲の中で。

だってイスラム圏の厳しいところでは女性は、老いも若きも髪の毛を出してはいけないというところがあると思います。その理由は「過剰なセックスアピールだから」です。でもそんな法律に対して、なんてバカバカしい、と思う私の価値観は実は偏った価値基準なんですよね。その社会ではそういうことになっている。だから法律があったり、守らない人には社会的制裁があったりするんですね。今世界のほとんどの国で裸で歩いたりするのは法律でダメとなっていたりしますが、それはそれでその社会ではそこがラインなんですよね。私は別にヌーディスト賞賛しているわけではありませんが、裸でもいいよっていうビーチで裸の人を悪く言ったりはしませんよね。それと同じです。その裸がキレイだろうがそうでなかろうが、別にどっちでもいいです。洋服だって似合ってても似合ってなくてもどっちでもいいです。好きなものを好きなときに着ればいい。

でもまぁ、勝手な話ですが私も私で、この考えが当てはまるのは私以外の人の場合だったりしますね。誰が何を着てようがどんな化粧をしようが(しまいが)実際本当にどうでもいいです。私はそんなことでその人を判断したりしません。臭かったり不潔だったりするのは単純に自分がイヤですけど。で、自分はどうするかというと、やっぱりうっかり私はその社会の雰囲気についつい合わせると思います。日本では多分ほぼ毎日化粧して、露出は少なめで、という感じにしてしまうでしょうね。なぜかというと一緒に歩く夫は純粋な日本人で日本の社会で生きている人なので、なるべく目立たないようにしたいから。だって日本のようにそういう価値観が大多数の、年齢相応にすべき、という社会だと、うっかり「悪口」を言われちゃうじゃないですが。悪口はできれば言われたくない。しかも彼までも言われるかもしれない。「奥さん常識がちょっと」とか言われるかも知れない可能性があると思うと申し訳ないにもほどがあります。こんな風に書くとまるで彼のためにというように見えるかもしれませんが、めぐりめぐって結局は自分のためです。

でもイタリアではもうちょっと自由です。日によって化粧したりしなかったりだし、可愛い靴を買ったときは短めのスカートを着たりするときもあるし、すごく暑い日は耐えられなくてノースリーブを着たりします。別にそれが自分に似合うと思っているからじゃありません。そういう服が着たいから、あるいは好きだからです。アメリカではほぼ毎日ジーンズでした。大学スウェットとかも良く着てました。楽だったし好きだったからです。それが良いか悪いかとかは別に問題ではありませんでした。人のことをおしゃれだとおもったりダサいと思ったりすることはあってもそれを口に出したらそれって単なる悪口ですよね。

そして髪型についての話にもなりました。その日本人の方いわく「大人の女性がいい歳になってまでストレートロングでおろしておくべきじゃない」そうです。私のこと?正直ちょっと怖いと思いました。心の底から、「なぜ」なのか分からないからです。なぜ?と聞くと「若い女性とはちがうんだから年齢相応に」とか「おばさんになると髪の質が変わって美しくない」とか「後ろ姿を見て前を見てギョッとする」とか言っていました。それは主観では?と思うことばかり。髪の毛の質が美しくなくても、若くなくても、別におろしていてもいいじゃないですか。その人が好きでやっていることだと思うんです。まとめておくと髪の毛の質が良くなるとでもいうのでしょうか?髪質の問題で、パサパサになっている人を見て「パサパサだー、年取ったら年齢相応にまとめておけばいいのに」なんて言ったりするなんて悪口以外の何でも無いと思うんですがどうなんでしょうか。たとえそんな考えがよぎったとしても、ほっとけばいいのに。

でもまぁ、そういう考えがあるというのは良くわかりました。国際機関で働いている日本人にもさまざまな価値観があるというとても良い例です。私は自分が好きな人にはすごくおせっかいをするタイプで、それで鬱陶しいと思われることがなきにしもあらずですが、自分があまり興味がない人には自分でもびっくりするほど全く何も感じないし、何も言いません。多分何も思わないんだと思います。それなのに「一般的には」とか「常識で考えて」とかいう理由で「これはこうあるべき」という考え方にはちょっと怖さを感じます。でもまぁ私も日々学んでばかりなので5年もしないうちに「やっぱりこれはこうあるべき」とかいう考え方になってる可能性もまったくないとは言い切れません。しかもこう書くことによって「『これはこうあるべき』と思わないべき」と思っているのも実は同じ問題だったりして。ちょっとマトリョーシカみたい。というわけでこれを残しておき、2020年頃にまた読み返してそのときどんな風に思うかを楽しみにしたいと思います。

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