単身赴任・遠距離恋愛について思うこと

フィリピンを火曜日の朝に出発して水曜日に帰ってきました。本来ならば東周りのルートは時間を得する計算になるはずなのですが、フライトの調整がうまくいかず、セブの空港で5時間ほど、そして香港の空港で8時間ほどの待ち時間を経て12時間のフライト、となったため結局24時間プラス時差がかかってしまったのでした。ですが香港の空港は良いです。世界一長いバーというのがあるラウンジがあり、私は時間の都合上ふたつのラウンジをはしごする形になったのですが、ひとつめのThe Pierというラウンジ(セブから到着の65番ゲートのすぐ近く)ではおちついてインターネットをしたり仮眠をとったり、ヌードルバーでおいしい香港のラーメンを作ってもらったりして半日をすごしました。それからラウンジを出てからはちょっとウィンドウショッピングをしたんですが、バーバリーの新作コートを買うかどうか20分悩んでやめました。ちょっとバーバリーのイメージと形がクラシックすぎて、というより華奢すぎて、私にしっくりこないかも、というわりと根本的な理由からです。つまり私はこの20分で、私は一生バーバリーのコートは買わないかも、という大きな判断にいたったわけです。って大げさすぎるけれど、やっぱりしっくりこないものは仕方がないです。これから私が15センチほど背が小さくなって、プラス20キロくらいやせたらまた考えます。

もうひとつのラウンジはThe wingというラウンジ(ローマへ出発する2番ゲートの目の前からリフトに乗って中2階に上がる)で、ここにはとても清潔で広々としたシャワールームがあって、私は搭乗時間の1時間前にここでシャワーをゆっくり浴びました。大きなシャワーヘッドからの熱い水圧の強いシャワーってそれだけですごくほっとしますね。ドライヤーやローションなども完備で、とても居心地が良いです。スタッフもとても親切。それからトニックウォーター+レモンをいただいて、中2階から下をのぞくと、そろそろ搭乗しそうな勢いになったので、のんびり降りていくとぴったりの時間でした。こうして出張のときは空港で長い時間を過ごさなければいけないことも多いのですが、その快適度は本当に空港によりますね。成田は大都会の空港のはずなのに、成田で過ごす時間は時々苦痛です。ファーストクラスなどになればもう少し違うのでしょうけれど。

ところで今回、半分仕事、半分休暇という形にしたわけですけれど、今回のことで、時間がたくさんあったこともあって、またいろいろと考えてしまいました。とくに単身赴任、あるいは遠距離恋愛について。ちょっとここからいわゆる「ぶっちゃけた」話になりますが、結論は最後に書きますのでしばらくその結論に至るプロセスを書かせてください。本当に個人的な話なので興味がない方、私の個人的なことなんて知りたくない方は読まないでくださいね。

まず、こうして出張を利用して主人のAさんに会うということは、日本の感覚だと、あまり褒められたこととは受け取られない場合が多いかもしれませんよね。「仕事で行っているのに」という批判もあるかもしれません。ですが、私の職場のような国際機関では、これは頻繁に行われていることで、上司も私がアジアに出張があるたびに「ご主人に会ってきたら?」と言ってくれます。というのも仕事というのはプライベートが充実した上でのものであって(もちろん逆もあり得ますが)、私に良い仕事をさせるためにはプライベートもきちんとさせなければ、という気持ちが上司にあるんだと思います。そして日本とちがって、プライベートを完全に犠牲にして仕事をする人は「仕事ロボット」のようにとらえられ、決して「仕事が出来る人」とはとらえられないので結果的に良い評価を得られません。つまり「バランスがとれない人」というふうに見られるわけですね。こうして書いていると、なんとなく「言い訳」をしているような気分になってきますね。でもこれは本当のことなのです。

そしてこれはどんな仕事でもそうだと思うのですが、出張の時は、出張そのものよりも、出張前の準備が非常に大変なことが多いですね。とにかくやれることをすべて行ってから出張に出るので、飛行機の中で最終調整をしたり、大量の書類を書きまくったりしなければいけないハメになるなんてザラですね。それに加えて自分のプライベートの予定のことを考えることは時間的にほぼ無理なわけです。ですから主人のAさんには本当に申し訳ないのですが、彼が来る1日前までまったく彼の予定を把握することなく、とにかく仕事を終わらせ、自分のタスクをこなすことに集中し、今回の場合は金曜日の夜8時までとにかくなんとかすべて終わらせることだけを目標に夜寝る時間を削ってがんばるわけです。そしてそれが終わってからやっと、自分をプライベートモードにエイっと切り替えて、翌日Aさんを迎えるためのシャトルの確認や、その翌日のアクティビティのプラン、予約、などなどに走り回るわけです。つまり、こうしてエクストラのロジ仕事が増えるわけなんです。まあこういうのは喜んでやるわけですけれど。

もしプライベートの予定がない場合は、私は出張中の後半はだいたいその出張のレポート(Back-to-the-Office Report, BTO Report/BTORなどと言います)をせっせと書き、出張中にたまっている日常業務のフォローアップをなんとかe-mailなどで続け、そして次の出張への準備をコツコツとやる、というようなことをやるわけです。つまり出張直後に休暇をとるというのは、実は非常にリスクが高いというか、休暇後の自分に大量な仕事を先送りしているにすぎないので、精神面から言うと強烈なストレスの元になりかねません。少なくともわたしにとっては巨大なストレスになるので、Aさんといても「ちょっとメールだけチェックさせてね」といって休暇中でも1日に1時間ほど仕事をさせてもらいます。ちょっと病的だと思われるかもしれませんが、ストレスマネージメントの面から言うと「休暇だからといってすべて完全無視していて取り返しのつかない状況になる」という事態におちいるストレスと、「なんとか取り返しのつかない状況だけはさけるために休暇だけれどちょっとだけは仕事をしなければいけない」というストレスでは、後者のほうがずっとマシなのです。日本人の場合、きっとほとんどのみなさんがそうだと思うんですがどうでしょうか。でも面白いことに私の同僚や上司(とくに元上司)には完全無視するタイプの人もいますよ。

そして当然、ここで個人的な疑問もわくわけです。こうして自分に言い訳のようなものをしながら、仕事とプライベートをかすかに混ぜながら、そして「こうでもしないとAさんに会えない」と頑張りながら、ではどうして私はAさんと別々に暮らす道を選んでいるのか(少なくとも現状では)。だって上のようなことを一生懸命説明すると、あまり私たちのような仕事のことに詳しくない方は「じゃあ日本に帰ればいいじゃん」とあっさり言うかもしれません。それも真理かもしれません。

なぜなら、恥ずかしながら告白しますが、毎回、こうしてAさんと会ってから離れて帰る度、私は意味もなく数時間ほど号泣してしまうのです。Aさんと楽しい夢のような数日間を一緒に過ごして、美味しいものを食べ、美しいビーチを楽しんだあと、長いフライトから帰る先は「我が家」のイメージからはほど遠い、ローマのフラットの一室で、それはそれで快適ながらも、暗いシーンとした一人暮らしの部屋なのです。スーツケースの中を片付けながら、Aさんが持ってきてくれた嬉しいお土産をひとつひとつしまいながら、なんでまた一人で帰ってきてしまったんだろう、と途方に暮れます。主人と一緒に過ごした数日間が楽しければ楽しいほど、その虚無感は増します。もしかして全部夢だったんじゃないかとすら思ってしまいます。

でも大丈夫、これは強がりではなくて、単純に疲れやいろいろなことで気持ちが弱くなっているだけのことであって、一晩眠るとスッキリして、この先待っているいろいろな仕事のことを考えてやる気も出てくるし、また新たな気持ちで頑張れるのです。このときどんなに感傷的に休暇のことや主人のAさんのことを考えても涙などは出ません。単純に「楽しかったなー」と思えて写真などをみても笑顔になり、思い出はとても貴重なものになり、すべての原動力にすらなります。

そして、もし私たち夫婦が一緒に住んでいたとして、こんなに密度の濃い楽しい3日間を過ごす事ができるか、と聞かれるとそれは分からないなと思うのです。私たちは3ヶ月に1度は会いましょう、1年に最低1回はローマで、最低1回は日本で会いましょう、などとちょっとした決めごとをしているのですが、こうして3ヶ月に1度のイベントをお互いにわくわくしながら待って、その数日間を楽しく過ごす、というのは実はこの上なく幸せなことなんじゃないかとすら思えてくるのです。当然3ヶ月に1度ヨーロッパと日本の距離を埋めるわけですから経済的には私たち夫婦にはかなりの打撃で、お互いに、ただ会うためだけにいくら使っているかを計算するのは恐ろしいほどです。それでも私がこうして私の好きな仕事をして、出張はあまり好きではないとはいえ、見知らぬ国へ行っていろいろな経験をさせてもらって、Aさんも天職としかいえない仕事に就く事ができて、こうして他の仕事よりは少しはフレキシブルな休暇をとれて、貴重な数日間をすごすために異国へ行ける、というのは贅沢なのでしょう。

私もAさんもiChat(MacのSkypeのようなものです、Skypeよりずっと高画質ですけどね)で他愛のないことを話しながら私が「明日の朝のパンがないから買ってくるね」と言うと、「あ、ぼくも帰りにモールに寄ってパン買ってくる」なんて言って、本来なら一緒に買えばいいパンを遠く離れてふたつずつ買ったりして不経済だなと思って笑っちゃったりもするんですけど、そういったちょっとした不便なことや経済的負担、お互いのお互いへの思いやりの努力やコミュニケーション上の努力などに加えて、ちょっと分かりづらいかもしれないのですが「物理的な存在による精神面の安定」がないのが非常に大きいマイナスになりかねません。

つまり、一緒に暮らしていると、そこに相手がいるだけで、何気ない会話をいつでも交わせるというだけで、お互いの精神面は非常に安定するのですが、離れて暮らしていると、どんなに小さな事、たとえば「電球がきれたよ」とか「あ、今日雨だね」とかそういうようなことも自己完結してしまい、自分で「あ、電球が切れた、買いに行かなくっちゃ」と思ってその電球のサイズをせっせと調べて近くのお店に買いに行く、だとか、朝、外に出てからはじめて雨が降っていることを知って「あ、雨だ」ともう一度部屋に戻って傘をとりにいく、だとか、一人暮らしだとこんなの当たり前のことなのですが、そういったなんともいえない物理的な「パツパツ感」が自分の精神を少しだけ不安定にすると思うのです。なんだか上手に説明できませんが。

そういったことを考えると、いろいろなプラス面もマイナス面のそれと合わせて結局ゼロになってしまうのかもしれません。私がこの先家庭をちゃんと持ちたいと考えていることを思えば、今はベストの状態ではないのかもしれません。「家族」の価値が最も高いと思われるイタリア人の友達は全員口をそろえて「離れて暮らすなんてありえない」と言います。それでもこうして単身赴任をしていること、主人のAさんと離れていること、それは今、私は自分の若さ(といっても日本的にはそんなに若くないですが同僚の中ではダントツの若さです)を考えて刹那的なものに価値を見いだす最後のチャンスじゃないかと思っているからだと思います。Aさんに会うためだけにコツコツためた貯金を使う、Aさんも同じように私に会うために貯金をする、そして1年に数回かならず、見知らぬ土地でふたりで一緒に「夢のように」楽しい時間を濃い密度で過ごす、そしてそのためにふたりで必死で仕事も頑張る、というサイクルの、そういう時期が私たちふたりに今訪れていることは、非常に貴重なことで、とにかく今を同じゴールに向かってふたりで頑張れるというのはとても大事なことなんじゃないかと思うのです。

アメリカでふたりで暮らしていたときは、つまらないことでけんかをしたり、家事の配分でもめたり、日々をだらだらと過ごしたりしていたけれど、それはそれでふたりが一緒にいることだけで幸せでした。単身赴任・遠距離恋愛になってくると、それがそんな単純なことではいかなくなり、お互いの努力がとても大事になってくると思います。お互いを思いやって、言葉遣いに気をつけて、言葉だけではない行動での努力をして、常に相手に感謝して、と大変なことだらけですが、それはそれなりに結果にそのまま映し出されると思います。フィリピンで過ごした数日間がこんなに貴重な思い出になったのも、それまでのお互いの努力が反映されたということなんじゃないかと思うのです。離れているのは様々な意味でつらいけれど、努力を形にできるという意味で、離れてなければ分からないことが見えてくるというのは、とても貴重な経験で得難いものだなと、真剣に思います。

単身赴任・遠距離恋愛をしている同志のみなさん、たゆまぬ努力と相手への感謝の気持ちを忘れず、一緒に頑張りましょうね!そしてここを読んでいるAさん、いつも本当にありがとう!

4 Replies to “単身赴任・遠距離恋愛について思うこと”

  1. お久しぶりです、Masamiさん。
    覚えておいででしょうか、soraです。
    Masamiさんのこのエントリーを読んで、なんだかとっても心があたたかくなって、ついコメントを残したくなってこうして書いています。
    うまく言葉にできないのですが、Masamiさんは強い方だなあと改めて感じました。
    そして、そんな風に強い人でいられるのはだんな様がいてこそなんですね。
    ホントにこころがぽかぽかしました。
    あまり「がんばって」という言葉は好きではないですが、Masamiさん、がんばってください!
    遠い日本の地で応援しています。

  2. soraさん:もちろん覚えています。ときどきこっそりウェブでもお邪魔させていただいております。「じゅわー」のところで同じ音の何かが口の中にひろがりましたよ!そしてぽかぽかしました。と書いていただいて、私の方がぽかぽかしました。そして実はがんばって、って言っていただくのはおこがましいとは思いつつも好きです。本当に頑張ろうと思えちゃいます。本当に優しいメッセージありがとうございます。これからもできるだけ強い私でいようと思います!

  3. パソコン使えるようになって久し振りにまさみさんのページ見ました。
    いつも「ある時からまさみさんとの共通点はぐっと減ってしまったなぁ」って
    思ってました。でもどんな選択をしてもやっぱり色々悩むし日々考えることは
    やっぱり多いんだなあって思います。私は自分の理想像に近づくべく
    すごく考えて自分の環境に納得するようにいままで努力してきたけど
    でも今になってやっぱり考えの未熟さとか無理したひずみで苦労もするし
    自分は結局何がしたいんだろうって思っちゃうよ。今更後悔することも
    あるし何をどうして行けば一番良い道なのかわかんない。こんなふうに
    思うのは単純にいま無職だからかな。今の幸せはあるはあるけど、それを
    実感する余裕がぜんぜんないの。経済的にも精神的にも。
    まさみさんはすごく仕事を大事に考えて迷いなく進んでいるんだと
    今まで思っていたから、なんかこの日記を読んであぁやっぱり働く女性は
    大変だな、状況はちがっても(仕事を含めた)ライフスタイルに疑問を
    持つことはあるんだなと思いました。でも確かに離れてるからこその感謝
    とか幸せってあるんだね。お互い自立した大人じゃないとなかなか
    体験できないけどそのご褒美的な二人の時間なんかすてきだな。

  4. えみちゃん:コメントありがとう。そして二人の時間が素敵と書いてくれてありがとう。本当に、離れているからこその幸せというのはあると最近強く思ったよ。それは一緒に過ごすに越したことはないけれど、限られた時間だとただ漫然と過ごすことがなくて、大事に大事に一瞬も逃さずに、といった気分なのですごく幸せを実感できるんだと思う。人間の心理って不思議だよね。
    自分が何をしたいんだろうって考えちゃうのは、きっとみんな頻繁にあることなんじゃないかなと思います。私もときどき考えるけど、考えれば考えるほど分からなくなるので、とりあえず目の前のことをひとつひとつ大事にやっていけば道は開けるかなと思うけどどうかな?結局は自分との対面というとちょっと安っぽい自己啓発の本みたいでイヤだけど、でも結局はそういうことなのでとにかく自分に真摯に(自分に嘘をつかず)、周囲の人への感謝を常に忘れずに、時には完全に周囲に甘えながら生きて行くのがいいんじゃないかと、最近はそう思っています。「正しい答え」みたいなのはきっとないよね!

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