[mixiより転載] 誤解を恐れず、自分のことはとりあえず棚に上げたうえで書きますが、イタリアって本当に巷のうわさ通り、男の人は女の人を超ひんぱんに口説くという事実を毎日確認しています。聞いてなんとなく知ってたとはいえ実際目の当たりにすると「ほんとだ!」とびっくりします。
昨日なんて、どんなにひいき目に見ても確実に45歳を過ぎていて、多分もしかしたら50歳も過ぎているかもしれない女の人がバスの運転手(35-40歳くらい)に、自分のバス停を通るかどうか聞いていて、運転手さんが多分バス停を教えるための親切心から、「近くなったら教えようか?」と聞いていて、それにうっかり、彼女がにっこりして「ありがとう、とても親切ね」と答えたものだから「にっこり」されたことに気を良くした運転手が強烈にごきげんになって、「じゃあこれからのためにあなたのバス停を覚えておくよ」と言い始め、それかあらもしつこく「いつもこの時間にのる?」「何曜日?」とやってました。すごいです。
先日私の両親がローマに遊びに来たときも、ナヴォーナ広場のちょっと観光客だからといって高すぎるんじゃない?と思うような価格設定のレストランで、ひとりのウェイターさんが私たちの斜め前のテーブルに一人で座っていたアメリカ人女性の、あの、ちょっと言いづらいですが、いわゆる「アメリカ人」体型の方の中でもかなり大きめで椅子が2つくらい必要そうな方に、割と流暢な英語で「アメリカはどこから?」と社交辞令で聞いていたんですね。それに彼女が「コネチカットだけどこれから1年間ローマに住もうと思って家探しにきたんだけど、どこかおすすめのエリアはない?」とアメリカ人らしいフランクさで言ったもんだからこっちも調子にのって「え!ローマに住むの!じゃあ僕の家に住んだら?」とやってました。なんだか日本のおやじギャグですらも高尚に懐かしく感じられるベタさです。
そして同じレストランのウェイターさんで明らかに50歳を超えたおじさんが、うちの母に近づいてきて「あなたの娘さんも美しいが、なによりあなたのように美しい女性はみたことがない」と大声で私たち母娘を合理的に便利にまとめて褒めてきました。数打ちゃ当たるとでも思っているんでしょうか。私は最近やっとこういうのに慣れてきたので、「ああ、まただ」とスルーできるようになりましたが母は半分まじめに「アジア人ってイタリア人には美しく見えるのかしら」と言ってました。いや、そんなわけないです、金髪碧眼が美の象徴なのはイタリアでも同じことです。ただ、オリエンタルビューティーっていうのは貴重(レアもの)という意味でもてはやされることもあるし、イタリアでは「美」というものがとても主観的なものであるという価値観があるのも確か。って難しく書きましたが、つまり平たく言えば自分にとって美しければどんなお顔の方(失礼)でも手放しで褒めまくる、という価値観がイタリアには確実に存在するわけです。
美人はどんな国でもちやほやされるけど、美人じゃない人もイタリアではちやほやされることがあるかもしれないという意味でいい国かもしれない、とも思いますが、美人の方はちょっと「特別感」がなくなってしまって可哀想ですね。女性であるというだけで特別扱いしてもらえるというのは確かにすごいんですが、でもよく考えるとフェミニストのみなさんんが言うように、これってもしかしてオブジェクト扱いというものかもしれません。でもまぁ私のような一般人は、それでも耳に優しいことを言ってもらえてラッキーと思わなければいけないのかもしれませんね。
でもよく見ると、ローマの女性は基本的に常にムッとした顔して歩いてます。もしかして小さいころからかわいいかわいい(ベッラベッラベリッシマ)とちやほやされすぎててこうなってしまったのかもと思うと、そんなに美しくない人までもがお高くムッとした顔して歩いていて、時々、なんか間違えてるよと教えてあげたい気持ちにならなくもないです。
いや大変勝手なことをつらつらと書いて失礼しました。イタリア文化面白いです。