アメリカでの小さな日常が懐かしい

[mixiより転載] 最近、あまりにも一人暮らしを満喫しすぎていて、自己反省する機会がまったくないので、突然モヤモヤした不安に襲われる事があります。ときどき起こる、かすかなかすかな直径2ミリくらいの不安。一度眠ると煙の様に消えることがほとんどですが。
幸運なことに、毎日面白いなと思えるこの(比較的)新しいこの仕事も、よく考えるとマチュリティーがひどく遅くて、どんな人でも40歳過ぎても登竜門的なことをやってるしびっくりすることも少なくありません。55歳くらいがピークって感じで、それを考えると気が遠くなります。一番イキイキしてる私の上司のMが最前線で、54歳(推定)。今日一緒にミーティングしたMなんて多分43歳で、初めてのパーマネントポジションらしいです。関係ありませんが彼女は独身。この仕事を私は続けていくつもりなのかなぁと、周りの人々を見ながらふと真剣に考えてしまったりもします。まあ誰でもこういう時期はありますよね。
でも今のところ、私の仕事自体には不満はありません、というべき状態ですね。あったりしたら怒られちゃう程度の小さなものでしょう。でも一番大事な家族と離れてることは大きいですけどね。あとは、アメリカに帰りたいなーと思うことがときどきあります。別にアメリカ自体が恋しいわけじゃなくて、どうでもいいような、今まで普通だったはずの小さな日常が恋しい感じ。セイフウェイでの食料品のまとめ買い、アメリカンなフランチャイズドなお店で過ごす数十分や、アメリカナイズドされた中華料理のレストランなど。イタリアにはたくさんバールがあるので、エスプレッソは恋しくないけどいつでも作れるエスプレッソマシンが我が家にあることを思うとちょっとマシンのほうが恋しい、と思うことはあります。そして私の愛する真っ白なお皿達。ときどきクロラインしてあげないと白さが保てなくなるんだけど大丈夫かしら、と遠い目になったりします(Aさんがちゃんと見ていてくれるから大丈夫)。
イタリアでひとりでのんきに暮らしていると、学生の頃の友達との時間なんかも遠いものに思えて懐かしいです。アメリカでの暮らしは、アメリカだから恋しいのではなくて、私の「第2の学生時代」であるから恋しいのでしょう。私がどんな感傷に溺れていても、時間はまっすぐ進んで行くなぁと、当たり前のことをちょっと考えました。

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