七回忌で考えたこと

無事にタイ行きが決まったのは嬉しいんですけれど、バタバタしながらビザ取得へ向けて書類準備したり航空券手配したり研究経費計算したり計画書を見直したりと、あんまりキャパシティを誇っていない頭の中がごちゃごちゃになってきてます。週末は実家で私の祖父の七回忌があって久しぶりに親類がたくさんと、そして家族4人全員集まったんですけど、今日もせっかく4人いるのにひとりでデスクで事務処理してました(あ、熊本に帰って来たこと書いたっけ)。
それにしても、あれからもう6年もたつんだなーと、久しぶりにいろいろと考えました。父より10歳若い弟である叔父が、みんなに気をつかって道化者になって、なんだかいかにも法事らしいぎこちない雰囲気を、なんとか一生懸命盛り上げようと「親父はいまこのへんにいるから」と自分の後ろを指差して見せたとき、冗談でもなんでもなく、「ああ、Y(叔父のこと)は酔っぱらってしまって仕方ないなぁ」なんてニコニコしたような苦笑したような顔をした祖父がチラっと見えた気がして、自分の想像力の逞しさにぎょっとしました。


私は特にお祖父ちゃんっ子だったとかいうこともなかったし、そこまで強烈な思い出があるわけでもないのですが、祖父のことを考えると、当時の日本人らしくない祖父の長身な立ち姿や、どことなくすべてを達観したような表情、私たちに笑いかけるときのちょっと充血したような優しい目、ちょっと厳しいことを言うときのピッと少し下がった口角(祖父はなぜか、私や姉に厳しいことを言ったことは一度もありませんでしたが、元気の良すぎた幼い従妹達にはちょっとした小言を言うことがありました)などがグググっと目の前に、異様なほど鮮明に浮かび上がるのです。そしてそのあまりにもくっきりしたイメージに私は逐一、ぎょっとしてしまうのです。
法事の翌日の朝は私の父が「ゆうべは親父の夢を見ちゃったよ」と、ちょっとびっくりした感じで起きてきました。どんな夢かは聞きませんでしたが、思ったのは、世の中に超常現象があるとしたら(いやあんまり信じてないんですけど)、それは一般に言われているような、この世の人が受動的にあの世の人の映像を受け取っているという感じではなく、きっとそれはこの世の人が、能動的に頑張って映像を見ようとしているような感じかなと思いました。なんだか上手に言えないんですけど。たれ流しのテレビをぼーっと見る感覚じゃなくて、ちゃんと出かけて行って大金払って映画を自分から見に行く感じ。
いや、なんのこっちゃという感じになりましたが、そう思ってしまったので仕方ないのです。法事に来てくださったお坊さんが「法事には意味がある、それは日頃忙しくて会えない家族が会うためだ、仏さんが休まずこうして家族の和のために働いているのだ」とやけに断言されてましたが、いろいろな解釈の仕方があるとは思いますが、まあ、そういうことでしょうね、と素直に思いました。
法事が大好きだ、なんていう人は滅多にいないと思うし、参加している親戚のほとんどが「あー早く終わらないかな」なんて思ってたりするのかもね、なんて考えますが、こういう場って誰もがいつもよりちょっと真面目に家族のことを考えたりしますよね。もちろん故人のことを思い出したり、いろいろ思い出話を語ったりする場なのかもしれませんが、それ以上に摩訶不思議な縁でつながった人々(親戚、家族)との関係や出会いについて、いろいろと考察させられる場でありました。おじいちゃん、ありがとう。

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