田原坂

日本全国、どんなところにも、様々な名所というものがあっていろいろと興味深いんですが、熊本にもたくさん名所があります。熊本はその昔、九州の中心地であったことから(物理的に)、勢力を争う藩などの戦地になったりしたことも多いのですが、一番凄まじかったのが、いわゆる、あの日本最後の内戦、西南の役です。結局西郷隆盛率いる薩摩の軍勢は熊本で敗戦を喫して、官軍の勝利となったわけなんですけど、この田原坂(たばるざか、と読みます)を陣営とした薩摩を、官軍はなかなか攻めることができなかったんですね。この田原坂、我が家から車で約30-40分程度のところにあります。当時は折からの雨もあったし、この険しい山道で、丘の上から薩摩軍に攻撃されると、なかなか官軍としても進むのは難しかったと言われます。それで、「雨は降る降る人馬は濡れる/越すに越されぬ田原坂」(熊本の民謡)となるわけです。


こちら静かなたたずまいの資料館。クリックするとスライドショウが始まりますので、お時間ある方はぜひぜひ。とにかく「最後の内戦」ということで、今となっては薩摩軍も官軍も、どちらも同じようにヒーローとしてとらえられています(西郷さんは、征韓論を打ち立てた方なので、アジア諸国に大ひんしゅくを買っていますが)。ですが、あのとき官軍の考えとしては、「薩摩が征韓する→薩摩が異様に強くなる→中央に攻めてくる→薩摩に国を制圧される!」というシナリオを恐れて、征韓論反対したわけですね。あれがみとめられていたら今頃どんな日本になっていたことでしょう。いろいろと想いは巡ります。
そしてこの田原坂の戦い、結局死者、負傷者ともだいたい両軍同じくらい出た戦となりました。このころ熊本に調査にやってきた2人の老院議官が、あまりにもひどい状況のため、薩摩、官の軍を問わない治療を、ということで「博愛社」という救護団体を設立し(天皇陛下もすぐに認可)、それが今の日本赤十字の母体となったらしいんですね。熊本に長く住んでいますが、日赤の創立の舞台が私のふるさとだとは全く知りませんでした。恥ずかしい。詳しくはこちらをどうぞ。
いろいろなドラマを生んだ西南戦争でしたが、ここで軍旗を奪われたカドで、あの乃木大将も自決を何度も試み、何度も許されなかったとか。まだサムライ魂マンマンのこの時代、「腹切りを許されない」というのは武士の屈辱中の屈辱だったらしいです。乃木大将は結局明治天皇が崩御されるまで、その「屈辱の人生」を生き(傍目には全然屈辱ではありませんが)、そのご崩御の日に、それを察知した奥さんと一緒に自決されました。やっと死ねる、といったところだったのでしょう。写真は、普通の民家に突然たっている、その乃木大将の碑。まわりにも薩軍墓地、官軍墓地などポツポツあります。田原坂は今やとても美しいのどかな田舎の小さな丘ですが、実際その場に立ってみると、住んだキレイな空気の中で、明治の激動の歴史を突然体感する錯覚に陥って、鳥肌が立ったりするので不思議なところです。行く度に、気持ちがシャッキリする気がする。
この戦争の2日前に、実は熊本城はひとつ櫓を残して全部焼失しています。謎の焼失で、未だにはっきりと、なぜ焼けてしまったのかが分かっていないそうです。あきらかに、西郷隆盛たちが鹿児島を出てから熊本に到着するには早すぎる日に焼けてしまったし、いったいどうして?と思わせられます。官軍による焦土作戦だとか、熊本城のまわりの森を、見通しを良くするために焼き切っているうちに燃え移った、とかいろんな説がありますが真相は謎のまま。焼けた城を拠点にした薩軍が乱暴に占拠したり、そこを官軍からの水攻めに合ったりなどなど、本当に大変な目にあってきた熊本城なのです。
結局この熊本の地で、西郷隆盛は銃弾に倒れました。アメリカの南北戦争で使った銃を、グラバー氏(長崎)などの貿易商人が持ち込み、内戦では珍しい銃撃の応戦であったということも特記事項ですね。そしてその頃、武士の「死に様」として「腹切り」が最高名誉、「打ち首」が一番の屈辱だったということですが、「天皇に刃を向けた」自分を良く自覚していた西郷は、銃弾に倒れたあと、薩軍の兵士に首を落とさせたという話です。事実上の打ち首だったのでした。なんだか、理解しがたい侍ロマンですが、まあ、そういう時代もあったのだな、ということで。
ちなみに田原坂へのアクセス情報としてはじゃらんのページなどを見てみてください。地味なスポットですが、熊本に長期滞在される方は、時間があるときにぜひ。

2 Replies to “田原坂”

  1. こんにちは。興味深い歴史と土地ですね。
    昔、大河ドラマで「翔ぶが如く」っていうのがあったじゃないですか、、、西田敏行氏が西郷隆盛を演じたやつです。子供のとき観たのですが、打ち首の場面よく覚えています。あの場面を思い出すと、もうあの頃のシリアスな大河ドラマはもうやらないんだなと思います。最近の大河ドラマはなんだか軟派な感じがしません?
    ってNHKなんて観る機会ないのですが。

  2. Bowさん:こんにちは。「飛ぶが如く」ではその打ち首の場面があったんですねー。観ていればよかった。私は大河ドラマは渡辺謙の「伊達政宗」以来ほとんど観てないんですが(いつの話だろう…)、確かに宣伝などを見る限り、最近のは軟派な気配がしますね。今の「義経」だって、キャスティング最悪です。このまえちらっと観ましたが、若いキレイな男の人達がみんなで台本を棒読みし合ってるものを見せられた感じがして、「大河ドラマってこんなのだったっけ!?」と驚きました。うちの母は賀集君(という若い俳優さんらしいです)のファン(?)なので楽しく観ているみたいですが。
    それにしても田原坂は不思議な場所で、これといって何もないし、「坂」だと言われても、全体的には漠然としていて、どれがその「坂」というわけでもないんですが(ウィーンの「森」ってどこ?というのに似てますね)、それでもやっぱりその地に立つと何か感じる物があります。日本全国、いろんな土地にこういう史跡があるんだろうなーと思うと、是非他の地にも行ってみたいと思ってしまいますね!

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