今日は午後1時から、またValとミーティングでした。3時までキッチリミーティング。進んできていて嬉しいけれど、私はもう少し頑張らなくてはいけません。今週末が勝負になりそうです。そして3時からMiriamともミーティングしてきました。つくったフィギュアもふたつともOKが出て安心。今週末は彼女とのペーパーを必死にまとめて、水曜日のJanとのミーティングにデータを完璧にそろえて持っていかなければいけません。頑張ります。
私は、ひとくちに博士課程で研究をしている、といっても、クオリテイティブなリサーチである、サーベイだったりインタビューだったりマテリアル作りだったり、どちらかというとラボで試験管を握っているようなリサーチャーではなく、アイディアやセオリーを使って教育に役立てたり人々のニーズに答えたりするリサーチャーだと思っています。
これに加えて、私はきっとこの分野では珍しい存在だと思いますが、実は、試験管を握ったり、顕微鏡をのぞいたり、というようなラボワークもします。今のところ比率でいえば全体の1割くらいの割合でしかありませんが。そしてこういういわゆるラボワークをしていて思ったことがいくつかあるので書いてみます。
まず、いきなり結論からいきますが、「どちらも同じように大変で同じように難しく、同じように楽しく苦しい」ということが言えます。どちらも、前に似たようなフィールドで行われたリサーチについて熟知しておく必要があるので予習(プリリミナリーリサーチ)は欠かせません。どちらも、方法を考えに考え抜かなければいけないのでちょっとしたアイディア、最近のトレンド、利用可能な機械や教材などへのアクセスなどについて知っておく必要があります。どちらも、予想していたような結果が出そうなときはワクワクして嬉しく、楽しいです。どちらにもデータ入力や、同じ試薬の作成、同じことのくりかえし、などなど単調な作業があり、それは苦しいのです。
ここまで書いて当たり前なこと書いているなーと思ってきましたが、なぜこんな分かりきったことをわざわざ書いているかというと、ラボワークをしていたら、同じラボで働いている女の子が、「アナタいつもサーベイスタッフ(アンケートみたいなの、というニュアンス)をやってるんでしょ、ラボで働くの大変でしょう〜」と、ちょっと気になる発言をしたんですね。いや、彼女は何の気もなく、普通の日常会話として言ったので、彼女がどうこういうわけじゃないんですが、違うことを思い出したんです。
実は、私は日頃、リサーチペーパーをひたすら読んだり、PubMedなどでリサーチしつづけたり、ディルマンの本でサーベイメソッドのおさらいをしたり、サーベイの質問の項目を、英語をあまり読めない人々(日本人には想像がつかないかもしれませんが、アメリカには、「読めない人々」という大きなグループがいるのです)のために、超簡単な英語の言い回しにするために、単語を探したり、ページメーカーでサーベイのフォーマットをしたり、アンケート結果をひたすらデータ入力したり、などなどのデスクワークが多いわけです。それは、興味深い読み物を読んでいるときや、なにかブレイクスルーに到達したときの興奮などを除いては、ものすごく体力、精神力を必要とする大変な作業なんですね。少なくとも、私にはすごく大変。
そしてタマにラボにいって、粉末を電子秤で量ったり、液体をまぜたり、温度を計ったりしたら、普通は人は気分転換になって、「わー楽しい!」と思うような気がするのですがどうでしょう?私にとってはそうだったんです。だからラボワークは楽しい、という観念が私の中に生まれます。だから「ラボワーク=大変だ」と思うことはあまりないわけです。
でも、これは決して、ラボワークを軽く見ているわけではなくて、「タマにしかしないから気分転換になる」という視点だけで見て、楽な気分がするだけなのです。きっと、こういうラボワークを毎日させられたら、「うわー大変、たまには座ってコンピュータの前で仕事していたい」と思うかもしれません。
試験管を振る系統のフィジカルサイエンティストな研究者にいがちですが、私たちのようなソーシャルサイエンティストの仕事を「楽だ」と断言する方々がいます。確かに、座っているか立っているか、という話になると、座っていることが多い私たち、きっと楽ですね。でもきっと、そういう人々はリタラシーレベルの低い(読教育を受けていない)人々にどんな言葉で話しかければ、正確な数のデータがとれるか、とかそういうのはきっと考えたことがないんだなぁと思います。でも、だからといってソーシャルサイエンティストのほうが大変だとは思いません。だって、いわゆる実験実験、実験を重ねて結果を出す人々の研究は、私の想像のつかないほどのハードワークで、ほとんどのソーシャルサイエンティストが9時5時で帰宅することを考えると、申し訳ない気分になるほどだからです。私はこうして両方のフィールドに関わることができて、こういうふうに客観的に見ることができて良かったなぁとココロから思うのでした。