ナッシュのゲーム理論

昨日、デイリーグラインドというカフェでSさんとFさんと、勉強会という名のソーシャライズをやってたんですけど(つまりダラダラおしゃべりですね)、Fさんは考古学のPhDをやっていらっしゃる私よりひとつ年上のステキな男の方です(彼女募集中だとかそうじゃないとかいう噂もききます)。
そこでお互いのリサーチの話などやってたんですが、Fさんはだいたい600年から1500年前のネイティブアメリカン(アメリカンインディアン)の石器を使った行動学のようなものを研究されていて、アドバイザーの先生はその行動パターンなどをシュミレートしたり、モデリングしたりしているということなんですね。で、モデリングといえば今私がとっている統計のクラスで、LISRELというモデリングでリニア関係にあるリグレッションのモデリングをやっているので、その話をしているうちに、結局すべてのモデリングは経済学発端だということになり、こういったモデリングはだいたいにおいてすべて、いわゆるCausality Relationship(因果関係?)、またの名をCause-and-Effect Relationship(原因-結果関係)、あるいはCause-and-Benefit Relationship(原因-利益関係)というAssumption(仮定ですかね)のもとに仮説としてたてられているという話になりました。
これはどう面白いかというと、つまり例を出すと、たとえばアップルコンピュータという会社がありますね。現在のCEOはアップルコンピュータのファウンダーのひとり(というかメイン)、スティーブジョブスであるのは誰もが知っていることですが、その前はギルアメリオ博士だったわけで、その前はジョンスカリーだったわけなんですけど、なぜジョブスが追放され、ほかのCEOが失敗し、アメリオは追放され、ジョブスが戻ってきてアップルが息を吹き返したか、それはいろいろな要素が混ざり過ぎていて数値化して教訓にするには複雑すぎるのです。
が、モデリングをしてみると、なんと、こういってモノを数値化することができるんですね。CEOのカリズマだったり、信頼性、マネージメント能力などなどを評価するほかの値を数値化することによってモデリングができる。そして実際に数字である、たとえば売り上げだったり、株価だったり、そういうのを予測するために、その数字であらわせなかったパフォーマンスなどの値を立派なひとが作ったセオリーにのっとって数値化、評価、教訓化できるようになるわけです。
で、何が言いたいかというと、そこでFさんと一緒に話していたのがいわゆるナッシュ戦略とか呼ばれる、映画、”Beautiful Mind”にもなったジョンナッシュノーベルアワードウィナーのゲーム理論。私は昨日の段階ではそのゲーム理論について微妙に分かっていませんでしたが、つまりこういうわけです。
女の子が3人います。一番カワイイ子、2番目にカワイイ子、3番目にカワイイ子。そこに男の子グループが来ます。一番カッコイイ男、2番目にカッコイイ男、そして3番目にカッコイイ男。
ここで最良の結果というのを定義します。
1:自分に彼女ができる。
2:マキシマムな数のカップルをつくる(この場合3組)
この2コを満たしたときに、「最良の結果」と結論付けるわけですね。そうすると、もし自分が一番カッコイイ男の場合、その人は一番カワイイ子に行くべきなわけです。もし自分が3番目だと思った場合は、3番目のカワイイ子にいく。「最良の結果はグループの全ての人が自分と、グループのためを考えた時に導かれる」という一見単純でかつ難しい原理なわけですね。
たとえばライバル会社が3つ、似たようなビジネスディールの取り合いをした場合、ひとつの会社がまったくほかのライバル会社のことを無視して突っ走った場合、最良の結果は生まれない。ディールは一つ以上取り残されるし、自分の会社にディールを持ってこれない。
まぁこういったことを知るためには「自分の会社のことを客観的に把握する」という大事なことと、全体を見る目というようなものも要求されるわけですけど、150年来のアダムスミスの原理を覆い尽くすといわれる原理の発見だったらしいですよ。ジョンナッシュ博士。
The Matrix Reloadedでも”Choice”というのがキーワードになっていましたが、Keymakerに会うときにCause-and-Effectの話になりますね。あれをよく聞いていると、そのAssumptionは正しいというか、たとえ正しいといえなくても、そういったAssumptionなしには何も言えなくなるので、物事を系統立てて語るためには(っていうか学問って結局それがゴールだと思うんですけど)そのCause-and-EffectのAssumptionは外せないなぁと密かに熱く思ったのでした。Neoが悩んでいるように、Choiceというのは結局選んでいるようですでに選ばれているものなのか(だってCauseがあってEffectがあるわけだから)、それともControlというものとは別にChoiceがmadeされているのか、そこのところはよっぽどの哲学者じゃないとちゃんと考えられないだろうし、こうやって書いてて何がいいたかったか分からなくなる私には語る権利すらなさそうなんですけど、こういうことをグダグダああでもないこうでもないと空想にふけるのはわりと私の好きな時間だったりもします。
でもまだLISRELのモデリングぜんぜん分かってない。。。こんなこと考えてないで宿題やりなさい!って感じですね。頑張ります。

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