空間

いろいろと今話題の六本木ヒルズのことを読んだり、うちの姉や母にいろいろ聞いたりしているうちに、自分でも分からないけれど、全く違うことを思い出し、それについて考えました。多分、私の中でニューロンとニューロンとがピピっとつながってこその、延長での考えの発展でしょうけど、今はどうしてれを考えたのか説明できません。でも思い出したりしたことが嬉しかったので書き留めておこうとおもいます。


何を思い出したかというと、不思議なことに、私が18のころから21までの、若い3年間を過ごした長崎のこと。私が通っていた大学は、今までここを読んだことがある方は何度も何度も読んで飽きたかもしれませんが、長崎市街の中心部から徒歩十分の異国情緒あふれる、洋館群のたちならぶ真ん中の、東山手町というところにあります。
いつもいつもたくさんの修学旅行生はもちろん、その他いろんな旅行客でいっぱいの、かなり急なオランダ坂をのぼると、ラッセル館と呼ばれる美しい洋館のアルミナイセンター(同窓会館)があり、左を見ると、小さな守衛室で守られた洋風の鉄門があります。そこからは男子禁制。いまどきなんて時代錯誤な、と思われるかもしれませんが、職員や教授を除いて、本当に、男性が入ることはできないところなのです。
そこに通う私たちは資格職(栄養士)につきものの、ハードな講義スケジュールをこなすため、朝はだいたい8時から、夕方はだいたい5、6時まで毎日毎日大学生とは思えない学生生活を送っていました。当時は土曜日が休みの大学はわりと少なかったのですが、イギリス人のラッセル先生がつくったこの大学は当時から土曜日も休みだったにも関わらず、私たちの学部は教職もとれるため、教職をとる人たちはその授業を土曜日に受けていてさらに忙しい毎日だったのでした。
毎日5時、6時に実験やゼミ、実習などが終わるといくら若い私たちとはいえ、ずっと座って授業を聞いている疲れが出るのですが、それでもすぐには家に帰りたくない、でももう夕食の時間がきちゃう、ということで学校の近辺でお友達とおしゃべりをするのが本当に至福の時だったりするのでした。
長崎は愛すべき町で、私は本当に大好きなところですが、実は私は初めて引っ越したときはものすごくカルチャーショックを受けたものです。私の出身は熊本で、熊本も長崎もあまり変わらないだろう、それより長崎のほうが観光地だからもっと楽しいだろう、くらいに思っていたのが大違い。長崎はものすごく保守的で、こぢんまりとした、本当の意味でののどかな田舎都市だったのです。
ひとつの町を田舎か都会か、分ける手段として人口だったり便利の良さだったりいろんな基準があると思いますが、「お店の数」という意味では長崎は大田舎と言えるかもしれません。私がそれまで普通に毎日行ったりしていたお店がないんですね。熊本だって普通の田舎の町なんですけど、長崎は本当に特別でした。最初は、どうしよう!?って困った気持ちにもなったのを覚えてます。
でも、長崎のお友達ができて、学校の帰りにちょっとどこかに寄ったり、自分ひとりで歩いてみて遊んだり、としているうちに、だんだんその学校のマワリに、好きな空間、とでも言える場所ができてきました。これは「住む」ということの醍醐味でもありますね。
ちょっとローカルですが、活水(大学の名前)から銅座の方に歩いていくと小さなコンクリートの打ちっぱなしの雑居ビルがあってそこの2階に、MoonShineという暗いカフェがありました。今もあるのかしら。そこのブレンドコーヒーが、今思い出しても驚くほどおいしくて、そこでアルバイトしているのも、みーんなハッとするほどキレイな男の子たちや、キチンとお化粧してキビキビ働く女の子たちで、ちょっとしたランチとして出るお食事も全部おいしくて、いつもバターとガーリックの匂いがしていて、あたしはそこに行くのが大好きでした。ムーンシャインって禁酒時代のかくれ酒蔵って意味があるらしいですけど、ホントにそういうワルな気配もありました。
その向かいには小さな雑貨屋さんがあってそのころ私はお昼ご飯にお弁当を作ってもっていっていたんですが、そのお弁当を入れるのにちょうどいいような、オイルクロス(ビニールコートしてある布)で作ったアメリカっぽいランチバックが100種類くらいあって、行くたびに新しい種類があってそこに通うのも大好きでした。今も覚えてるのが、赤と白の大きいギンガムチェックにすっごく小さなイチゴの模様がちょこちょこ入っているデザインのオイルクロス。ベルクロアでとめるデザインになっている袋の入り口はギザギザに切ってあってホントにかわいかった。
あと、浜ノ町からちょっと川を超えたところにあったカフェ。すっかり名前は忘れてしまったけれどお店にあたしの大好きなドゥカティのクラシックバイクがどーんって真ん中に置いてあって、いろんな種類のお茶が飲めた。そこの奥さんが作っているというケーキもすごくおいしくて、オーナーは本が大好きで、あたしが行くと、いつも最近読んだ本の話をしてくれて、誕生日とかには本をいっぱいくれたりもしました。そのころボーイフレンドとの待ち合わせはだいたいそこだったし、オーナーがバイクが好きで、私もボーイフレンドもバイクが好きで、そこに夜遅くまでいるのがすっごく楽しかった。
築町にはカヴォっていうちょっとしたバーがあってカメちゃんっていうカワイイ不思議な女の子がバイトしてて、あたしも築町のミスドでバイトしていたので仕事帰りにバイトの友達とよく飲みに行ってました。トマトジュースが自家製で、トマトジュースベースのブラッディメアリーとかレッドアイとかそういうのが信じられないくらいおいしかったです。
銅座まで行くとちょっと大人の町になるんですけどそこにはTonesていうピアノバーがありました。私は少しだけですけど当時ピアノが弾けたのでそこでちょっとだけピアノをひくアルバイトをさせてもらって、ピアノの時間が終わってからすみっこのいつも空いているブースで本を読んだりしてオーナーの奥さんがおうちに送ってくれるのを待つ時間も大好きだった。
そのTonesの近くには桃若っていうキレイなおでん屋さんもあって、そこのご主人はTonesに良く来てくださっていたのもあって、帰りに見かけると「真佐美ちゃん、寄っていきなよ、フクロ残ってるよ」とかいってすっごくよく浸かったおでんをいっぱいくれたりして、なんだか私のイメージする「田舎の場末」っていう気配を感じることができて、それが若い私にはすごく嬉しかったんです。
長崎はビードロで有名ですが、長崎ガラスフォディーユという工房兼ショップが浜ノ町にはあって、今はなくなってるみたいですが、そこには観光客のためのビードロ体験制作のような空間があって、何故かそこに真っ赤なビニールの椅子が置いてあって、そこに座ると、ガラスばりの工房を1時間でも2時間でもずっと眺めることができて、時間を忘れて見ているとそっとお茶までもらえたりして、私の秘密のリラクゼーションポイントだったりしました。
今上に書いたのは私の大好きだった空間のほんの一ですけど、全部、徒歩で行ける範囲以内にあるお店たちです。あたしはそういうところのレギュラーになるのはまったく違和感はなかった。レギュラーになろうと思って通ったわけじゃなかったからです。快適空間を求めてたらいつのまにか通っていたっていう感じ。
私は今、アメリカで旅行していて、朝からコーヒー飲みたいな、と思ったときもちろんできればローカルのカフェとかにも入ってみたいとは思いますけど、やっぱりうっかりスターバックスとか入っちゃいますよね。フランチャイズされたスタンダーダイズドされたお店っていうのはそういう意味ですごく大事だと思うんです。時間がないとき、とにかく目的達成のためのとき、間違わない。
シアトルで生まれ育った人にとってはもしかしたら日本に旅行に来てスターバックスに入るのは郷愁ですらあるかもしれません。ベースの多い長崎の佐世保ではたくさんのアメリカ人がいつも、マクドナルドにたくさんいました。そういう感覚。
「住む」ってことはその土地とのコミットメントがあるってことで、コミットメントにはメリットもデメリットもつきもので、それで都会に住むメリットに重きを置く人も多いでしょう。私も多分、ノースダコタのような田舎には住めないかもしれない。
で、結局どうしてこんなことを考えたのか分かりませんが、私はとにかく、住んで、自分なりの快適空間を見つけて、その空間で出会ったり時間を過ごしたりする人を見つけて、そして自分の大切なこと(仕事だったり趣味だったり)をすることができるのは何よりの贅沢だなぁと思ったんです。
贅沢をしているのを自覚せずに贅沢できるときって短いものですよね。六本木ヒルズとは全然関係ない結論ですけど、そんなことを考えたのでした。

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