荷風と漱石を思い出したアジア301のパーティ

今、朝の8時半ですが、なんとなくコンピューターの前に座ったので週末のことを書こうと思いました。あ、その前に、婚約のことでおめでとうメールをたくさんいただき、ありがとうございました。おめでとうメールをくださった方にはもし式とかをしたときの写真などを送らせていただこうと思っています。そんなのが欲しい奇特な方がいらしたら(いるワケないか)よかったらメールくださいね。
えーっと、金曜日は前にも書いたようにAsia 301のクラスのパーティがありました。行ってびっくり。平均年齢が高すぎ。っていうのは冗談ですがほとんどが教授や大学院生で、会話の内容が私がよく言う、「ドクターズトーク」でした。これは私がVの家に1年程ホームステイしていた時にいつも味わっていたトークで、常にリサーチや新しいリサーチや古いリサーチや、もうリサーチやリサーチの話ばっかりだったんですね(つまり常にリサーチの話ということ)。それがそのパーティでも繰り広げられていました。でも私は折しももう10回目かと思われるくらい読み返している小田実氏の本を読んでいるところで、そんな「議論的」なものが繰り広げられる状況にスンナリと自分を置くことができ、さらにそれがなんだか心地よかったりして、ブルーだった自分もパっとなった気がして良かったです。


私は政治などに関してはまったくの不勉強で、多分頭が悪いか、そういう風に作られていないか、どうしても興味がいかないんですね。突然なんですけど。それで永井荷風の本なんかで、「知識人、文化人は〜」なんていうくだりを見ると、妙に納得して、「そうなんだよなぁ、政治って結局のところはキレイゴトですまないから、キレイゴトや偽善の好きな私に合うワケがない!」と力強く思いつつも、「でも私は知識人でも文化人でもないしなぁ」とその矛盾にうーんとうなったりもしてたんです。でも異国の地に、たとえ留学生という一番責任のなさそうな立場であっても身を置くってことは、なんてなんかキバって言うことでもないんですが、やっぱり私みたいな政治に無頓着(ていうふうには自分のことは言いたくはないんですけど)な人がやることではあんまりないなぁと思いました。ってこんな言い方もよく分からないんですけど。
だから、つまり、私はけして、祖国を背負っているワケでもないし、私が何かを日々発見したり驚いたりココロのメモ帳に書き付けたりしていても、それがだからって私をちょっとだけ変化させる以外の何ものでもないし、それが私はそれで充分の役割だと思ってしまって満足しているんですが、それじゃいけないなぁ、ということです。多分、多方面への興味っていうのは、国際社会(この陳腐な言い回しって大嫌いなんですけど)には必要不可欠なものなんです。荷風氏みたいに、なにも落語や歌舞伎にまで本格的に取り組まなくてもいいんですけど、答えのない物事(それが例えば実業だったり政治だったり経済だったり芸術だったり他にもいろいろいろいろ)に、「私は!」という信念を持ち、それが経験によって大きくも小さくも変わってしまうことがあっても、それでもやっぱり「私は!」って思って他人にも伝えることができるというのは大事なことだって思いました。
小さなパーティだったけど、こんなことをせっせと考えて、何かを生産したわけではなかったけれど、それはそれで私には充実の時なのでした。私は実際のところ、今となっては「頭を打たれたら打たれた痛さだけ遠慮なく泣ける国」に生まれたかもしれないけれど、その痛みについて何のてらいもなく大きな声で語れる国にはうまれなかったなぁって思いました。この年になって、そしてこんな留学という状況において永井荷風氏を思い出すとは、私もベタだなぁもう。
他に誰を思い出したかというとまたこれもベタなんですが、熊本でしばらく高校の先生をしていたというだけで私が勝手に親近感を持ってしまっている千円札、夏目漱石氏。確か彼が学習院大学かどこかで講演をしたときの記録を私は実家にある夏目漱石全集のようなもので読んだんだと思うんですが、あまりよく覚えていないのでもしかしたら全然違う言い回しだったかもしれませんが、「私は外国に行ったときよりも外国から帰ってきた時に自分自身に力を得ました」というようなくだりがあって、それでその講演自体は確か個人主義についてだったと思うんですが(そしてその個人主義に私はすっっっっっっっごく影響され、高校時代、大学時代はそんなことばっかり考えてました)そのときから私は「私はもしかしたら将来は外国で過ごし、そして確実に日本に戻るんだろう」くらいのことを考えていたんですね。そしてその漱石氏の言うことが例え彼の場合は偶然の出来事であったとしてももし本当だったなら、私の望みはそれが私に将来起こること。今は無理だと思えても、その力が私に来るのはたとえ帰国したあとであっても、それならそうで、今できないことはそれはプロセスだからだ、と思うことができるなぁと、本当にそれが望みに思えてしまうんです。あーなんか朝っぱらからいっぱい語ってしまいました。スイマセン。多分今、自分が混乱していてこうして書くことで多少なりとも落ち着くんです。
さて金曜日はそこから9時くらいに帰り、そのあと友達のHくんの誕生日を祝うためにEちゃんの家に行きました。実はいろいろと思うところがあり、この誕生日は私は遠慮しといたほうがいいのでは?と何度も思ったんですけど、結局さまざまなことを考えるのが面倒になり、えーい私が楽しんじゃえ!と思うことにして、それはもう、他人があきれるほど楽しみました。Hくん、ごめんね。いやぁ、楽しかったです。あまりにもはしゃぎすぎて、帰ってからの落ち込みが激しかったです。ギャップがひどくて。参加したのはEちゃん、Hくんカップル、Aちゃん、Nちゃん、Mちゃん、Sちゃん、P、Mくん、Yくん、Mさん、そしてもちろんHくん、私、私の婚約者の13人でした。あー楽しかった。いろんな人に「マサミさんって下品なヒトだったんだなぁ」と思われたにちがいない。でもいいもーーん。フン。
土曜日は結構ぼんやりとして過ごしました。私個人の収穫としては、メールをいっぱい書いた。いろんな人に連絡メール、メールのお返事、などなどなどなど。あと、航空券がとれました。もうすぐ日本です。1週間とちょっとだけど随分愉しみ。でもほとんどお仕事をすることにします。頑張ります。その準備も始めました。今回も去年と同じく、T大学のT先生に帰国費用をサポートしていただき、本当にありがとうございます。先生がいらっしゃらなかったら私は帰国することも不可能で、ずっと浦島太郎として過ごしていたに違いありません。その分、しっかりとお力になれるように頑張りますのでよろしくおねがいいたします。
結局週末は釣りには行かず、昨日はAちゃんとHくんの宿題を手伝ってあげることにして(手伝ったというか、私が多分宿題をやった)そして焼肉をごちそうになることにしました。宿題は実はやってて楽しかったし、焼肉はおいしかったし、で、いい日曜日になりました。夜にはEちゃんとHくんも遊びに来てくれて楽しかった。Eちゃんが沈んでいる感じなのがちょっと可哀想だけど。何かで助けてあげられたらいいんだろうけど、もしかしたら今は助けられずに頑張ることが大事な時かもしれない。

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