媒体を持つ人

先週末はシアトルにいってきました。Hが住んでいるところからちょっと南にいったところに、Panama Hotel Tea and Coffeeというところがあるんですが、そこがいい感じだという記事をソイソースというコミュニティー新聞のようなもので読んで、Hも行ってみてすごく良かったというのでNちゃんとその友達のMさんと行ってきたんですが、ホントに良かったです。抹茶ラテやゲンマイティーを飲んで、お茶請けにあられまでサービスしてもらいました。古いホテルを改装したっぽい内装はかなり手がかかってるっぽい感じでした。シアトルに住んでる方や遊びに行くかたは是非いってみてくださいね。結構通っているというHにも会えるかもしれません。


最近テレビで新しいドラマのシリーズがはじまりました。That 70’s Showはちょっとつまらないスタートです。エリックとダナが別れてしまって面白くない感じ。FriendsはRachelが妊娠してびっくりです。相手はロスですよ!多分。Allyは今日、つまんない下品なジョークを語ってました。That 70’s Showのあとにある、Undeclaredというドラマはアメリカの大学の雰囲気が結構リアルなので共感してしまいます。Lloydというイギリス人が素敵な感じ。でもドラマとしてはぜんっぜん面白くないです。
そして今はジョンレノンの特別番組をTNTで見てます。ケビンスペイシーが感極まって泣きそうになりながらやっているのを見るとこっちもなぜか分からない涙がこみあげてきます。今も泣きそうになりながらダスティンホフマンがジョンの歌詞を伝えてます。
ちょっと真面目なマニアックな話になりますが、ジョンレノンのことを考えると「媒体を持った人」ということをつい考えてしまいます。私はこのホームページは私の家族宛に書きはじめたもので、今もそのスタンスを崩してはいないと思うんですが、知らないところでと知っているところで私の家族や友達よりももっとたくさんの人が読んでいるかもしれない、ということで私ももしかしたら「すっごく小さな媒体を持った人」な感覚を勝手に持ってるのかもしれません。
そして人は媒体を持っていると、2通りのことをやります。ひとつは自分の伝えたい気持ちをどうにかして媒体を通して伝えようとすること。もうひとつは媒体をせっかく持っているからどうにかしてそれを正しく使いたいと頑張ること。最初のひとつは、たとえばまず発見したこと、メッセージなどを伝えるという目的が大きいし、作家などで活字の媒体を持っている人は物語やエッセイなどを通じて、嬉しかったこと、自慢したいこと、楽しかったこと、覚えておきたいこと、悲しかったこと、悔しかったこと、むかついたこと、などを素直に伝えようとするんだろうなと思います。
私がジョンレノンのこの番組を見て思うのは、ジョンレノンはそのつぎの「媒体を正しく使いたい」気持ちが大きいなと思ってしまうんですね。カリズマティックなアーティストによくあるんですが、ある日を境に、そんなアーティストは急に「LOVE」を叫びはじめてしまうんですね。それが実は媒体の「正しい使い方」だから、だと思うんです。そして私はそれはとってもナチュラルなことで、しかもすごく効果的なことだなぁと思ってしまうんです。私の文章力だと私の今考えていることのほとんどがあんまり伝わってないような感じがしますが、とにかくそれが私がジョンレノンのことを考える時にいつも思い付くこと。ああ、このひとはLOVEを叫びたいんだな、Love is just a loveっていいたいんだな、と思います。井上陽水さんの「青空ひとりきり」を聞いたときも、さだまさしさんの「風に立つライオン」を聞いたときも、ああ、このひとはLOVEを叫びたいんだな、と思ったような気がします。チェットベイカーを聞いたときも。ボビーコールドウェルを聞いたときも、ちょっと若いけどファイヤーボールやオエイシスを聞いたときも同じように感じました。これが私の「媒体を持っている人」観。
シンディーローパーが歌う不思議なストロベリーフィールドに釘付けになったので今日はこれくらいです。おやすみなさい。

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