忍耐力のない私

私はつくづく「忍耐」という言葉に弱いなぁと思います。急にこんなことを書いたりしてどうしちゃったんだろうと自分でも思いますが、私の言う意味での「弱い」というのはつまり、「何も言えなくなってしまう」ということです。「忍耐」ということについて語られたりしてしまうと、こう、なんと言うか下を向いてなるべくその話題をしている人と目が合わないようにがんばってしょんぼりしてしまう感じです。つまりハッキリ言うと私の中には「忍耐」という精神部分がカケラもない、というと分かりやすいでしょうか。いや、カケラくらいはあるかな?あってほしいな。


というのも、まず私は自分はしっかり無駄なことをいっぱいやっているくせに、「無駄だと分かっていながら」やることが嫌い、というかできません。分かってなければいいのでしょうか。あと、「今はこらえて、あとで」、というようなことが嫌い、というよりできません(繰り返しだ)。あと、歩くのがとても嫌い、これはできるけど嫌い。でもこれをあんまりそこまで仲良くない人に言うと、「歩くのが嫌いだなんて、何様のつもり?」と反感を買うかもしれないのでホントに私を知っている人にアピールすることが多いです。でも本当に歩くのは嫌いかも。歩かないですむのならなるべく歩きたくない。走るのは平気なんですよ、わりと。だから歩かずに走ったりしちゃうこともあります。
でも忍耐って言葉はちょっと汗をかいている感じの暗く、モサいイメージもあります。なんというか熱血というか、西田敏行さんとか西川きよしさんとかそういう方々に似合う感じ。それはそれでカッコいいのかもしれませんが。結局何がいいたいかというと、いろんなことにおいて忍耐というのは実はとっても大事で必要なことなのにそれに欠けている私は実はダメなんじゃないか、と今日ふと思ったということです。結論を書いてしまうと「なーんだ」という感じですが、人付き合いをしていくなかで、「このひと苦手だな、あんまり近付きたくないな」とか「この人いい感じだ、友達になりたい」とかいろいろと思ってしまうわけですけれど、どちらのケースでも忍耐が必要なのに(たとえば苦手だと思っても、すぐに決めつけないで、その人となるべくふつうの距離でつきあってみようという忍耐だったり、いい人だと思ってその人と急激に仲良くなろうと思って急接近したりせずにゆっくりと知り合っていこうとする忍耐だったり)私はわりとそのプロセスを忘れがちです。今実はそのいずれかのプロセスのまっただ中にいるんですが(どちらか、を書くと友達、とくにHに誰のことかバレそうで怖い。というかもうバレてる?)、こういうことはもっと「忍耐」を持って解決しようと思います。本当に人間関係は難しいですね。
いきなり語りから入ってしまいましたが、それにしても最近のPullmanは暑いです。どういうこと?ホントに暑くて大変。暑いと食欲はなくなりそうなのに、私はあいかわらず食欲旺盛というのもちょっと困ったことかも。今日何食べようかなーと、実は今も考えています。

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