自分の英語力分析と重箱のスミつつき

私はこうしてアメリカで生活しはじめて、もうまもなく5年になるところなんですが、「自分の英語力」に対して考えるのがちょっと億劫になっている時期でもあります。テレビを観たり、ラジオを聞いたり、映画を観たり、アメリカ人の友だちとお話したり、いろいろな手続きをしたり(契約、売買、交渉、など)、クラスを受けたり、クラスを教えたり、と考えうるいろんな場面を思い描いたとき、私の英語力は、「困らない」レベルだったりします。


日本人って自分の自慢をすることを「良くないこと」だとする文化があるし、また、他人の自慢を聞くと、「アイツ自慢ばっかするよね」という感じで嫌ったりします。それはそれで良いとも悪いともいえない文化だと思うのでそれについてはなんの不満もありませんが、その考え方をベースとして、自分の英語力を考えたとき、「私の英語力はすごいよ」とか「私すっごく上達したなーえらいなー」と、自分自身に対しても、評価をするのをおこがましく感じてしまうんですね。だから、私の精一杯の自分への評価は「困らない」という寂しいものだったりします。それはどうしてかというと、とてもシンプルなんですが、私は自分の英語力が、絶対的に「すごい」と思ったことはたったの1度もないから。
相対評価と絶対評価というものは私の中ではまったく違う種類の考え方だと思うんですが、私は自分自身の英語力を評価しようとがんばってみるとき、そのどちらの評価も使いません。あえて言えば、「自分スケール」評価、という感じかもしれません。つまり、「XXさんとくらべて私の英語力は全然ダメだわ」というのが相対評価、「私の英語はもはやどんな場面でも完璧で間違うことはない」などというのが絶対評価、とすると、私の「自分スケール」というのは「私が出来うる上達の範囲でXX%くらい」というもの。で、おこがましくも、私の評価は「自分スケール」だと70%くらいかな、と思います。甘い?
そしてその残りの30%というのは何か、というと、「スペリングのミス」、「意味は通じるけれどちょっとしたところが間違っている」、「とっさに一番うまい表現が出て来ない」、「今まで自分の人生に出て来なかった単語を訳せない」、「勉強不足」、などです。あくまでも「自分スケール」なので「他人スケール」だと30%どころか、無限な限界があります。たとえば「もともと頭が悪い」とか「もともと言語センスがない」とか。
そこでやっと本題に近くなってきたんですが、その30%を補うのは私自身の努力であったり経験であったりすると思うんですね。でも、その他の無限の限界というものは、やっぱり「外からの刺激」しかないと思うんです。つまり、他人の指摘。「それ間違ってるよ」とか「そのスペリング違うよ」とか他人に言われると、やっぱり「アメリカに5年も住んでるのに!」と思われてしまいそうで恥ずかしく感じたりしてしまうかもしれませんが、やっぱり指摘されることは幸せだと思わないといけないかもしれない、と思いはじめたんですね。もちろん公共の場で指摘されるのは、たくさんの人がいるところで「ちょっとストッキング伝染してるよ」と大声で指摘されるのと同じくらい恥ずかしいかもしれませんが、個人的に教えてもらうのは、いいことかもしれません。
ということで、私のインチキ正当化をかねた長い前置きが終わりました。つまり、何と勝手なことにも、今から私は指摘をするんですね。さっきまでいろんなページを、特に留学生のページを見て回っていたんですが、「留学生がこういう間違いをしたらダメかも」と思うようなところをいくつか発見してしまったんです。
まずは以前にも書いたかもしれない、「リンクフリー」という表現。もうこの言葉は市民権を得てしまって、もしかしたらもはや日本語なのかもしれませんが、それでもやっぱり、留学生には使ってほしくないです。リンクフリー、と聞くと、第一印象としては、「このサイトにはリンクがありませんよ」というお知らせのように感じます。さらにそれを発展させて(リンクのないウェブページなんて珍しいですから)、もしかしたら「このサイトには(広告などの)リンクはありませんよ」という意味合いにとられるかもしれません(私のアメリカ人の友人であるCの話から)。いわゆる、「リンクを御自由にしてください」という意味だったら、Link Freelyになると思います。あとは、100歩くらい譲って、と思ったけど、いや、やっぱり譲れない。free to link だったら意味不明だもん。feel free to link?かな、譲ったとして。
次もあまりにももう、日本語になってしまっていて年賀状でもよく見る、A Happy New Year!などのあいさつ。この冠詞である、「A」は、あくまでも、I wish you a happy new year.だとか、I hope you have a happy new year.などの文章で、Yearという単語が数えられるからこそ付く、「A」であって、普通にHello!!などの挨拶のかわりに、新年に使いたいときは、普通にHappy New Year!とするべきだと思います。だって、クリスマスのときは、Merry Christmas!というでしょう?A Merry Christmas!ではないでしょう。これだって文章にはいれば、I wish you a merry christmas!などになるのに。私の友だちのLは、「A Happy New Year!とカード(年賀状)に書かれると、まるで単語の勉強みたい」だと言っていました。
あとこれは私の偏見として、留学生だけに求めたいことなんですけれど一般名詞は複数を基本にしてほしいです。とくに実際に複数ある場合。たとえば、写真が2枚以上あるページには、”Pictures”というタイトルをつけるとか、2コ以上リンクのあるページには”Links”というタイトルをつけるとか。カタカナで「リンク」とかかれても違和感は感じませんが、やっぱり英語を使うのならやっぱりそうして欲しいなぁ、と私は願ってしまうのです。これは留学生だけに求めたいことかもしれません。普通の人は私にそんなこと願われるのはいいメイワクだし。あ、留学生もいいメイワクかな。
というわけで、自分の英語力分析から始まったこの壮大に見えた文章も実は他人の重箱のスミをつついたイヤな感じの指摘で終わってしまうのでした。悪い気分がした方は本当にごめんなさい。

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