「レベル」が高いということ

今日は「怒」の日記です。まず断っておきますが、今は早朝で、気分も高揚しているし、多分いつもの私の精神状態ではないのでちょっとキツめです。今から書くことは、ひとつの「意見」だと思ってください。賛成や反対もあるでしょうが、これは「私の」意見ということで。
私に、メールを下さる方は、私はとってもとっても大歓迎で、いつも嬉しく思います。その中でも、「留学したいんですが」というような内容も多く、いろいろな質問をしてくださる方も多いです。私に分かる範囲であり、しかも時間さえあれば、私も一生懸命答える努力をしています。私は昔の自分の場合を覚えているのでなおさらです。最初は誰でも不安がつきものですから。
でも、タマに、「大学のレベル」というものに固執される方がいます。質問の例としては、「あなたが通っているワシントン州立大学は全米で何位ですか?」とか「心理学を勉強したいけれどアメリカで1位から10位くらいの大学を教えて下さい」などがあります。驚くほど、多いです。そしてそういう人に限って、ほぼ間違いなく、「失礼」なメールです。代表的なのは、名前が書いてありません。以前にも書いたかと思いますが、自己紹介もしないひとに、情報を与えてあげる義理は私にはないです。自己紹介しないだけで、却下です。名前だけでもいいのに。本名を知らせたくない、という理由もあるかもしれませんが、それでも却下です。だって私を信用していないということでしょう?そんな人にどうして私が情報を与えなければいけないんでしょうか?


「大学のレベル」の話ですが、そんなに、いわゆる日本の受験で言う、「偏差値」の高い大学に行きたいのなら、ハーバードや、MITや、イェールや、西側だとスタンフォードなどに行けばいいんです。アメリカの普通の州立大学に行くくらいなら、東京大学や京都大学に行ったほうが、「レベル」は高いです。だいたい、何が「レベルが高い」のかを知らないくせに、順位を知りたいなんてバカみたい。ノーベル賞をとった教授がたくさんいる大学が「レベルが高い」んでしょうか?入るとき難しいのが「レベルが高い」んでしょうか?卒業が難しいのが「レベルが高い」んでしょうか?GREなどの基準点が高い大学が「レベルが高い」んでしょうか。
留学しようと考えているのなら、日本的な「偏差値順位付け」のような幼稚な考え方は捨てるべきです。学部によって違うし、土地によって違うし、その人の目的によっても違うし、もっと現実を見つめて、何を得たいのか、何が一番重要なのかを考える方が、大学のレベルで大学を選ぶより大事です。それくらい分かってから、もっと深い質問をして欲しいです。例えば、「スポーツ栄養を勉強したいです。将来は研究者になりたいのでたくさん研究ができるところに行きたいです。英語力はあります。お金がないので経済的な援助をしてくれる大学を選びたいです。」とか、「とにかく名前とレピュテーションの高い大学に行きたいです。名前の売れた会社に勤めたいです。コンピューターサイエンスがメジャーです。お金はあるので授業料は払えます」というような質問だと、こっちだって考えやすいです。ゴールのない留学なんて絶対やめた方がいいです。日本で一生懸命勉強して、なにかを成し遂げた人には絶対勝てませんから。
「とにかく『留学』をしたい」という目的で留学を考えている人、あなたの留学は今の時点では失敗です。若いのならまだ大丈夫ですが、年令がいっていればいっているほど、失敗しやすくなります。よっぽど、「英語力を身につけたい」というゴールのほうがいいです。英語力がついた時点でその人の「留学」は成功ですから。「レベルの高い大学に行きたい」というゴールもよさそうですが、ハーバードに行けないのなら東京大学に行ったほうがそのゴールは満たされます。
結論として、何が言いたいかというと、「レベルの高さ」という本当の意味(あなたの目的別の)が分かってないくせに、私に「大学の偏差値順位」を名前も書かない失礼なメールで聞いてこないでください、と言いたい。だいたい、自力でそういうことを解決しようとしていない時点で、あきらかにリサーチ不足、努力不足です。「人に聞く」というのは最後のオプションにした方がいいです。しかも見ず知らずの人に、失礼なメールを送ってくるということは、どんなに「いい」大学出身者でも、ハーバードを出ていようが、東京大学だろうが、真実の意味で、すでに私から見て、「レベルが低い」です。大学のレベルを人から聞いて知ろうとする前に、相手を選んでください。世の中にはそういうことに興味のある人がたくさんいるので、そういう人に聞けば、「偏差値順位」をていねいに教えてくれるかもしれませんよ。
追記(10/14/2000):昨日の感情的な日記を読み返すと自分でもちょっと恥ずかしいですが、多少の反響を頂いて、嬉しく思っています。言い訳するワケではありませんが、私だってダメダメなところがいっぱいあるし、もしかしたら自分では気付かずにいろんな状況で失礼なことをやってしまっているかもしれないので、ああいう風にひとつのことだけを指して「失礼だ失礼だ」と騒ぐのもあんまりよくないかもしれませんね。物事を、一歩も二歩も下がって、全体から見る努力をするということはとっても大事だと思うので、なるべくそれを心掛けようとは思うんですが、つい感情が先行してしまうことがあります。

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