人生の縮図

午後からは、仕事。この仕事をしている間にいろんな事を考えました。まずその仕事のことについて書く前に、説明が必要だと思ったので、前置きからいきます。これから書くことは、誤解されやすいことなので、気をつけて書かなければいけません。多分、外国で生活されたことがある方の中には、きっと「わかる!」と共感してくださる方もいるでしょう。でも、外国で生活されていても、「そんなことない」と思う方もいるでしょう。あと、見る人から見たら、私が今から書くことはイヤミや自慢に見えるかもしれません。でも誤解を恐れずに書きます。こうして英語を使って生活していると、「英語でないと表現できないこと」というのが、少しずつふえていくのです。上の、仕事のことを書こうとしたときに、どうしてつらいのかを説明しようとして、適切な表現が日本語で思い付かないのです。イヤミっぽいかもしれないけれど、本当に真剣に本当の事なんです。英語でないと表現できない。

世の中には辞書というものがあって、言語を学ぶ時には必ず必要なものですよね?でも、生きている言語というのはあたりまえですけれど、辞書みたいにA=aという完全に呼応しあったものではないんですよね。例えば、英語の「I(アイ)」というのはたったひとつしかないけれど、日本語に訳すると、「私、僕、オレ、自分」などなどたくさんあるし、10代の男の子が、「オレがさー」とイキがっている雰囲気を英訳するのは結構難しいと思います。こういった名詞だけでなく、表現にもいろいろあるんですよね。たとえば、私が英語学校で教えるときによく聞かれたことは、「はじめまして」て英語でなんていうんですか?ということなんですけれど、私は何気なく、Nice to meet youを教えたりするんですけれど(そして生徒は、なーんだ、とがっかりする)、それは表現を訳したわけではなくて、状況を訳してますよね?

あー、私の説明分かりにくい!だから、「人と初めてであった時に言う言葉」という観点で訳してますよね(だって直訳だと、This is the first time I meet youとかいう「そんなん当たり前じゃないか!」というような表現になるでしょう。Nice to meet youは「はじめまして」というより、本質的には「お会いできて嬉しいです」だしね)?How do you do?がはじめまして、である、という説もあるけれど、もはやHow do you do?を使う状況というもの自身がだんだん古くなってきていて、それを教えるのは申し訳ないし。で、次に質問されるのは、「よろしくおねがいします」ってなんていうんですか?ということで、私は必ず、ツマッてしまいます。一瞬、なんていうんだろう?と思ったあと、イイワケがましく説明したりしますね。「ここの文化では、よろしくおねがいします、という表現は使わないので、基本的には言おうとしないほうがいいと思うけれど、どうしても直訳したいなら、『私の事をかまってください(Please take good care of me??)』というようなことになって、とってもヘンですよ」という感じ。で、また生徒さんは、「なーんだ」となるわけです。

で、状況を言葉で、という観点で言語を見ると、「日本語でないと表現できないこと」というのと「英語でないと表現できないこと」というのが思ったよりもたくさんあることに気付きます。こんなの、実は当たり前のことで私が別にここで声を大にして言わなくてもいいことなのかもしれませんけれど。で、私はタマに、ある英語の表現を訳しようとして「これは日本語ではなんと言うんだろう?」と悩んでしまって、さっきの「よろしくおねがいします」とまったく逆で、「日本語にはないや」とあきらめたりするんですね。無理矢理訳しようとすると、気持ちが伝わらない、という感じです。で、結局英語で言ってしまったりするんです。たかが3、4年アメリカに住んだくらいで、とも思ってしまいますが、これは私にもどうしようもないこと。どうしても、英語でないと気持ちを表現できない状況というのが、タマにはあるんです。逆も同じ。どうしても日本語でないとダメということがあるように。

話をもとに戻すと、さっき使おうとした表現は、”make someone think of something”というような表現なんです。簡単な表現ですけれど、こういうのが一番訳しにくいです。ホント、こういうときって日本語でなんて言うんでしょう。私が今日午後にやっていた仕事は、ラボの11コのキッチンをピカピカに磨きあげるということだったんですね。掃除って、キレイになってくれるのをある意味とても楽しみにしながらやるし、キレイになったあとの満足感というのは結構大きいものです。その掃除をやっていて、(ここでその表現を使いたい)人生の縮図を見たような気がしました(あー、表現が使えないばっかりにコトが信じられない程大袈裟になっていく)。私はいろんなものを見て、単純にすぐ「人生の縮図」を見た気分になるんですけれど、最近思ったのは、川(近所のドブ川)を見ていて、風の強い日だったので、となりにあった木についていた白い花びらがばーっと川の表面に落ちて、流れていったんですね。そしてだんだん流れるにつれて、途中の木の枝に引っ掛かってしまったり、小石にひっついて沈んでいったり、2枚の花びらが競争するように流れていったり、大きな石のあるところでふた手に分かれていったり、と何かを象徴するように100枚以上あった花びらが最後には5枚くらいまでに「まびかれて」いってました。こんなので人生の縮図を見た気がするのは大袈裟でしょうね。

昔読んだ、宮本輝の小説で、題名はすっかり忘れてしまいましたが、主人公がインドだかインドネシアだかタイだかの、川(水上マーケットなどがある川)をぼんやり見つめていて、その水の中に大量の輪ゴムを見つけて、どうしてこんなに輪ゴムがあるんだろう、と何度も思ったとかいう不思議なラストシーンがあったんですけれど、それも私が花びらを見たときの気持ち(これが Somethingです)と同じものを呼び起こしました。で、今日、掃除をしながら1)クレンザーで油よごれをとる。2)抗菌洗剤でふきとる。3)ブリーチする。4)グラスクリーナーでガラス部分を拭く。などなどのステップを踏むことが、何故かその同じ気持ち(Something)を呼び起こす(made me think)のでした。なんか私の文章が異常になってきたのでもうやめます。結局、日本語の語彙がない、と言うことでしょうか。英語の語彙も少ないのに私はどうしたらいいんでしょうか。描写力も説明する力もさらに説得力さえもない。トホホという感じですね。

さて、気を取り直して、その掃除は5時に一旦やめました。続きは明日です。そのあとオフィスにいたらJasonがやってきて、貸していた本を返してくれました。お互いちょっと冗談を言い合って、また明日会うことになりました。といってもクラスで会うだけですけれど。明日は仕事、ペーパー、クラス(プレゼンテーション)と、忙しくなりそうです。頑張ります。

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