「応援する人」になりたい

最近スポーツ栄養学のクラスを受けながら、いつもこの分野における栄養学の限界と可能性について考えてしまいます。どんなトピックを扱っても、そこには必ず拮抗しあうアイディアがあって、教授でさえもどちらを信じたらいいのか分からないんですね。そういうのを私が判断するわけにもいかず、なんとなく煮え切らない態度になってしまいます。私はバイオテクノロジーについて研究をやっていますが、その遺伝子組み替え食品というものに対する消費者の不信感というものが分かっていながら、それを「遺伝子組み替え食品は危険ですよ」とも「安全です、気にしないで食べて大丈夫です」とも言えないんですよね。現在の時点で正解が分からないというだけではなくて、それはとても混み入っていて、私が判断をくだすものではないという状況がうまれるからです。


羊をクローンしてドリーちゃんがうまれて、そのドリーちゃんからポーリーちゃんが生まれたということは誰もが知っていることだと思いますが、これに対して嫌悪感を覚える人もいるだろうし、「私は関係ないし、どうでもいい」と思う人もいるだろうし、「科学がそこまで発達すると、いろいろな可能性が広がる(臓器移植とか食料危機への対応とか)なぁ!」と思う人もいるだろうし、そういうのは個人的に決めることだと思うんですね。
私は最近祖父を亡くしたり、母が大変な状況になったり(今はかなり回復しています!みなさんどうもありがとう!)して、人の生死の問題を見たり聞いたりするだけで、かなり身につまされ、どんなに関係ないことでもまるで自分のことのように考えてしまうようになっています。これは1年前にはなかったことで、それで1年前にクローニングについてペーパーを書いたとき、「動機とそれに見合った方法とで行われるのなら認めるべき」という結論を自分の意見として書いたんですが、それはかなり変わってきてしまったと思います。
だから何を言いたいかというと、そういった個人的な感情が関与する問題について、他人も「そう思うべき」と思うようなことがなくなってきたんですね。だから、いくら私が、「遺伝子組み替え食品を恐れるのなら、品種改良の農作物やコンビニのおにぎりに入っているような保存料や、巷に溢れかえっているセントジョーンズのようなハーブ食品も恐れなきゃ」とか「そういうことだったら全ての事を恐れなきゃいけなくなってキリがない」とか思ったりして、他の人にもそう思って欲しい、と伝えたりしてきたことがなんだか意味をなさなくなってきた気がしてちょっと、なんと言うか気が抜けたような感じになっているのです。
それでも私の好奇心はまだまだあるので研究はもちろん続けたいのですが、それがどういうふうに実際問題として役立つのかどうかは不明のまま。ありていに言えば、どんなに健康的な食生活を続けても、ある日突然なにか病気であれ事故であれ犯罪であれ、信じられないような災難が降り掛かったりして、その健康的な食生活はそこでもはや意味をなさなくなったりするんですよね。当たり前のことなんですけれど。もし「健康的な食生活を送りたい!」という前向きな気持ちや「私は健康的な食生活を送っていて嬉しいわ」というような満足感のない、『健康的な食生活』だったら(たとえばお医者さんや栄養士に言われて仕方がないから言われた通りにあまり好きではないものを、あまり好きではない味付けで食べる)それはさらに悲しいことだなぁ、と思ったりします。
それでもやっぱり、「ガンになりたくない」という人に、今栄養士ができるベストの方法で「ガンになる可能性を低くする食生活」というのを勧めるか、「例外は必ずあるので(ガンは食生活だけでは完全には防げない)、お勧めする食生活があまりにも好みと違うのなら、ガンのことは忘れて自分の好きな食事をする生活」というのを勧めるか、というような感じで選択肢を挙げることはできるので、私達のような「なにかを求める人にその情報を『指導』という形で提供する職種」はやっぱり「教師風」なやりかたでやってはいけないかも、と思うんですね。どちらかというと、上手な言葉が思い浮かびませんが、「応援する人」という感じ。完璧な答えはあげられないけれど、選択肢をいくつか挙げるから、それを選ぶのはあなたよ、という感じ。
ということで、結論として何が書きたかったかというと、巷にある数々の栄養関連の本や雑誌、テレビ番組、インターネット上の情報などで、「ココアを飲むと頭が良くなる」とか「コーラを飲み過ぎると骨がとける」とか「遺伝子組み換え食品は危険だ」とか「O157の発生元はカイワレだ」とかいう「断言型」のテーマを見つけたら、それはとりあえず、それを書いた人の意見として興味深く読んで、できればその反対の意見や、それに基づくものがあることを知って欲しいなぁ、と思ったんです。それから、自分の考えをどちらにするか決める、ということです。そして、そういう「両方の意見の言い分」というのを一度に一般の消費者に与えることができるしそれをやるべき、という職種が食品や栄養の分野に限っていえば、栄養士かもしれないな、と思ったんですね。それで初めて、消費者は「自分の選択」ができるなぁ、と。だから栄養士の将来ってもしかしたらもうすこし前進して、「栄養指導」と共に「栄養情報提供」という部分を伸ばすべきかも。そして、私は「応援する人」になれるかも、というワケです!他の分野ではもちろん「応援される人」になりたいですけどね!
わけの分からないことをゴチャゴチャと書きましたが、こうして私が求めたいことを少しだけ見たような気がしてきました。そのゴールに対してはものすごい量の知識を得ることが必要だし、そのためには半端ではない量の勉強と好奇心が必要になります。私には無理かも、と弱気になることもあるけれど、やりたい気持ちがある限り頑張っていこうと思います!。。というか、とりあえず来週のOral Seminerでしゃべるトピックを考えるのが先ですけどね。また熱くなってしまいました。恥ずかしくなってきたのでここで今夜はやめます。おやすみなさい。

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