友達と恋人の境界線

実はキャンプに行くはずだった今日なのですが、なんと中止です。というのもAの車の調子が悪いから。クーラントがちょっと漏れていて、それも1箇所や2箇所ではないらしい。タイミングベルトとかも濡れてしまっているかもということでした。心配ですが仕方がないでしょう。ということで修理にだして、そして夕方に戻ってきました。結構お金がかかったらしくてかわいそうです。


ということなので、せっかくだから稼いでしまおう、と思って今日はバイトに出かけました。お昼はAとSwilly’sで食事をして(Rickが日本人のビジネスマンみたいな人々と食事をしているのを目撃しました。聞くと日大との新しいプログラムをはじめようとしているらしいです)、それからマカリスタービルへ。今日のバイトは私の大嫌いなバックアップ作業でした。嫌いー。バックアップ嫌いー。
先生達のオフィスにはそれぞれひとつずつ、古いマッキントッシュがあって、それを全部フォーマットして新しいシステムを入れることになったんですが、もともとイーサネットサーバーを使って書類管理をしているので、それぞれの先生のマシンにローカルに保存されている書類をバックアップしなければならないことになったんですね。それがもう、時間がかかるかかる。書類整理していないひとは、同じ名前のフォルダがたくさんあって、それのシンクロから入らなければならなくて、そこで密かに先生達の性格が分かったりします。また、環境もさまざま。オフィスがきれいな先生、汚い先生、食べ物、飲み物の用意がいい先生、ゴミが散乱していても平気な先生、などなど。そんなこんなで結局4時間くらいかかってバックアップをしました。続きは今度の月曜日に行う予定。
ところで今日はずっとちょっと友だちと恋人との違い、というようなトピックで盛り上がって話していたのでそれを書きたいと思います。まず私の性格から分かっていただかないとこの話は難しいのですが、私は実はけっこうなエゴイストなので(分かっているなら性格をなおせばいいんでしょうけれどそれがなかなか難しい)、それが理由なのか何なのか、あまりツルむ、ということが苦手です。もしかしたら怖がられているか、それか単に嫌われているか避けられているだけかもしれませんが。まあ、もともと女の子っぽい人は私自身が苦手だったりします。でも、女の子の友だちは貴重なので、結構大切にしているんですよ。でも正直な話、ウワベだけではない友だちって、誰もがたくさん持っているものではないと思う、というかそう信じたいという感じなんですけど。
それでも私は友だちに関してはけっこうツイていて、「親友かなあ?」と思えるような人はいます。これは「男女の友情はなりたつか」とかそういう高尚なモノを話すにはあまりにもレベルの低い友情なので(うわーごめん、私の悪友たち)、そういう話はまったくしたくないんですけれど、その人の前では何をしても、どうでもいい、という感じがします。相手がどう思ってもいい、という感じです。同じく、相手がどんなことをしても、私は一生、その人を嫌いになったり、また逆に不必要に好きになったりしないんじゃないかなあ、と思います。
いつも一緒にいなくていいんですけど、タマにどうしてもアイツにコレを話さないと、とか、そういう気分になります(それはしばしば、シブ目の歌番組で堀内孝雄が曲の間に「サンキュウッ」と言ったか「アリガトウッ」と言ったかの違いなどを話し合うためだったり、新しいホンダのバイクがダサいと思ったときに伝えるためだったりもします)。今なんて、アメリカと日本に離れているので、電話もしないし、積極的には連絡もとらないんですけれど、でも「親友っていわれるとイヤだけど強いて言うならやっぱりアイツかなあ」と思うような友だちです。
結局恋人であって欲しい人には、私はやっぱり好かれたいし、私がものすごいエゴの持ち主であることをなるべく気付かせない(まあ、すぐ気付くんでしょうけれど、頻度の問題ということで)ようにしたいと思うんですね。「あ、怒らせた!」と思ったらどうにかしてその状況を良くしよう、とか。だからつまり、「どう思われているか気になる」ということだと思うんです。きゃー、私も女だったんですねぇ。でもそれってちょっとトリッキーなことだったりします。私はとても好きな人に対してはもちろん「一番大事な人」になりたいと思うし、でもそれと同時に「一番良き理解者」でありたい、と欲張ってしまうんです。そういう気持ちって私だけかなあ?そしてもし相手に、「理解者」的な女の親友がいたらどうなんだろう?と思います。やっぱりココロ穏やかではないかも。俗っぽい話ですけれど。
でもまあ、私自身の「親友」さんに対して私は「良き」理解者ではないと思われるので、いいかな。結構どうでもいいんです。私達はひとつの時代を一緒に楽しんだ「仲間」であるし、その仲間関係の中に、あとで知り合った「恋人」さんなどが入り込むことはかなり不可能だと思われるし。逆の場合だってそうでしょうねぇ。無理に入り込もうとしても自分がイヤになるだけではないかしら。結局なにを書きたいんだか自分でも分らなくなってきましたが、私が、友だちとして選ぶ人(通常「営業タイプ」の自分を捨てることができる人々)と、「あらステキだわ」と思ったりする人(ちょっと地味でややおとなしく、できれば賢くて尊敬できる人々)とがあまりに違う人種なのを不思議に思う人が多いので、それを自分なりに分析してみようと試みて失敗した、といった感じでしょう。もはや自分でもなにがなんだかわからない。
結論としては、「私の中には、友だちを選ぶ時と恋人を選ぶ時の境界線が、無意識ながらハッキリと存在している!」ということを言いたかっただけかもしれません。イヤな感じですが、きっと真実だと思われます。新しい自分発見のような気がしましたが、これってもうすでに誰もが知っていることだったりするかも。失礼しました。もう寝ます。おやすみなさい。

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