いくら一時帰国の短い期間とはいえ、やっぱり日本は温泉でしょう、ということで夫とふたりで箱根に行ってきました。実は私たちにとっては初めての箱根。つくばから車で2時間ちょっとで到着したので「ちかーい!」と大盛り上がりしました。泊まったのは昨年末にオープンしたばかりの界・箱根さん。温泉の写真は公式ページから勝手にいただきました(星野リゾートさん、宣伝につかっているので良いとは思うんですがNGだったら教えてください)。泉質すっきりの加水・掛け流しで強烈に癒されました。ここは男女とも大浴場は半露天。桜がちょうど満開で、しかも入った2回とも(夜と朝)、なんと貸し切り状態でした。夫のAさんのほうもそうだったみたい。ちょうどみなさんが夕食の時間と朝食の時間をつかって入浴時間にしたのが正解でした。2回とも大浴場でひとりで外に向かって「はぁぁぁぁ、温泉さいこうぅぅぅ!」と叫んでみました。気持ちよかった。
お部屋はこんな感じです。10畳のお部屋だったんですが、ソファがあるのは嬉しいですよね。チェックインのときにiPadを貸付していただけて、快適Wifiで楽しめます。iPadにはiBookのフォーマットの館内案内などあって便利でした。
国内国外問わず、私がある「場所」が好きか嫌いかと考えるときは、やっぱりどうしても私の愛する故郷の熊本と比べてしまいます。だから誰もが美しいというような世界のどんな素晴らしい街(大都市パリやロンドンでさえ)も私の想いのこもった熊本に負けてしまうという恐ろしいことがおこってしまって自分でもその強烈な偏見に笑ってしまいますが、そんな私のスーパーバイアスのかかった眼で見てしまった箱根さん、曇天で富士山が見えないと魅力8割減という哀しいことになってしまいますね。私たちは宿に直行したので静かな環境で心の底から温泉とお食事を楽しめたのですが、翌日、初めて箱根湯本駅のまわりを車で通ったとき「そうなんだ、箱根ってこうなんだ」とあまりのベタな観光地然とした雰囲気にちょっと衝撃を受けました。まぁでも京都でもどこでも観光地って確かにこうなってますよね。そういえば愛する熊本の熊本城のまわりも確かこんな感じだった(ミニサイズですが)気がするので、まぁ日本の観光地はこれでこそ、といった感もなきにしもあらずなので仕方ないですね。
仙石原にあるいくつかの美術館も少しまわってきました。勝手な誤解でこういうのはバブル時代の名残だと思っていたんですが、実際に訪れた2つの美術館は近年オープンのもので、ちゃんとつくりこまれていて良かったです。とくに星の王子様ミュージアム、期待を大幅に上回るかわいさでした。パンフレットがあの「きまぐれできぐらいのたかい」あの方の形になっています。それをスルスルっと開くと美術館の地図と説明が出てくるという仕組み。美術館は外のお庭もすごくキレイで、星の王子様の世界がちゃんと反映されていて、それでいてサンテグジュペリの人となりを形成するに至った数々のライフイベントもきちんと紹介されていて、建物の外側はお城やフランスの街並のフェイクになっているので子供も喜ぶような部分もたくさんあるのに、全ての展示物は私くらいの年齢の大人の心もがっちりキャッチという上手な構成になっていました。外にあるお花屋さんがトイレだったりする遊び心もあって、カフェも居心地がよくて良かったです。サンジェルマンデプレという名前のカフェのとおり、パリの同じ名前の場所にある超有名カフェであるカフェ・ドゥ・フロールの外見にかすかに似ていて(本場のほうの外見の写真はオフィシャルサイトのこちらどうぞ)いい感じでした。
ホテルが良かったので、また機会があれば同じ宿に訪れたいと思います。今度は富士山見えたらいいな。今回は箱根神社にちょこっと寄った程度だったので次回は芦ノ湖でも遊べたらと思います。
桜と菜の花の花見
イースター休暇を利用して日本に一時帰国しています。帰国後すぐの週末、3月30日につくばにある農林研究団地まで楽しみにしていたお花見に行ってきました。残念ながら、私が帰国した先月28日からずっと曇天続きで、しかも火曜日の大雨と水曜日の春の嵐(ちょっと怖いくらいでしたね)で今日は桜はかなり散ってしまっています。ですから今回の帰国では、結果的に近場での晴天の満開のお花見というわけにはいかなかったので、3月30日に行っておいて本当に良かった。しかも曇天でも十分キレイでした。
つくばにはみなさんご存知だと思いますが国立のもの、企業のものなどたくさんの研究施設があります。国立のものはほとんど独立行政法人化したので微妙に官民の中間のようなものなのですが、ほんとうにたくさんあります。そのひとつが農業・食品産業技術総合研究機構というところで、略して農研機構といわれています。その農研機構はつくばでも広大な敷地面積を誇っていてその中にこの農林研究団地があります。リアルタイムのウェブカメラもあるみたいですのでリンクどうぞ。これを見ると今日はお天気でお花もかなりキレイにみえますね。桜の花には稲の神様が宿るだなんていいお話ですね。これからお花見をするたびに感謝の気持ちがさらに倍増しそうです。
ローママラソン2013
日曜日の今日はローママラソン(マラトーナ・ディ・ローマ)の日でした。毎年この日は私の職場のあるチルコマッシモくらいを境にローマ中心部全域で、強烈な交通規制が敷かれるため、実は非常に出歩きづらい日でもあります。マラソンの出発とゴールがコロッセオ付近になるため、地下鉄のコロッセオ駅はなんと封鎖です。車で出かけるにしても、どこへ行くにもテヴェレ川沿いを遠回りしながら走る必要があって非常に面倒です。が、私は友達のDと一緒にこの面倒さ、ストレスを見事に解決する方法を数年前に発見しました。それは、このマラソンイベントのまっただ中に「参加者」として参戦し全てをお祭り騒ぎとして楽しんでしまうという方法です。ですからここ数年ストレスなしで、この日はおそろいのTシャツを着てキャーキャー楽しむ日となっております。写真はコロッセオとコンスタンティヌスの凱旋門を前にスタート前にウォームアップする人々。
私はと言えば朝の9時にこのコロッセオ前で待ち合わせをして、D、I、Sとそれぞれのちびっこちゃんたち4人と集合したので私たちは8人の大所帯となりました。それぞれストローラーを2つ押しているのでさらに巨大グループとなっています。本気マラソンの招待選手もいて、そういうグループはちゃんと42.195キロ走りますが、私たちは5キロマラソン(楽しむコース)の参加者。何万人も集まったコロッセオ前のスタート地点にたって、いつ始まるんだろうねー、とおしゃべりに夢中になっていたら、一体全体いつスタートしたのか分からないまま、巨大な人の塊がのんびりと歩きながら移動し始めました。人が多すぎて走れないため、実はこれがマラソンのスタートなのです。でもそれも毎年の事なので、私たちは無理して走ろうとはせず、ゆったりおしゃべりしながら歩き始めました。だんだん人がさばけてくると、スペースができるのですこしずつジョギング的なスピードで走り始めます。走るのが特に苦手な私を知っている人は、まさか私が5キロも走るなんて!とびっくりするとは思いますが、実は私、家からコロッセオまでの3キロくらいの道をさくさくと歩いたのですでにウォーミングアップができているので大丈夫です。それからの5キロなんてあっという間でした。ローマ中心部の美しい街並に車が一台も走っておらず、車道をどうどうと気持ちよく歩けるなんて、何と良いイベントなのでしょう。私の大好きなトライアノの市場もまた堪能できました。
ゴール地点の公園では協賛しているいろいろな企業が商品を配っていてそれをもらって歩くのもちょっと楽しいです。Tシャツはアシックスがスポンサーだし、ヤクルトもたくさん配っていたしで日本企業頑張ってるなーと思いました。去年いたナイキやマクドナルドはすっかり姿を消していましたが、スポンサーとしてあまり見返りがなかったのでしょうか。まぁマクドナルドは「健康」を主体としたマラソンのスポンサーとしてはどうなんだろう、という感じがしないでもないですね。
5キロマラソンのコースは途中でショートカットして先にゴールしてもよし、見かけたバールでコーヒーを飲んでから気合いを入れ直すもよし、というゆるい感じになっているので私の中では非常に嬉しいコースです。モンティの丘を下りながらバールに寄ってコルネットを食べたりカプチーノを飲んだり、そこでまたみんなで丸くなっておしゃべりしたり、と楽しい日曜日の午前中を過ごしました。家からスタート・ゴール地点までの往復で6キロ、5キロのコース、と結局11キロしっかり楽しく歩く事ができてすごく気持ちがよかったです。また来年も参加したいなと思います。
パリ・リュー・ドゥ・バックの教会にて。
先日パリに行ったときに、友達から勧められて、昔は修道院だったというChapelle Notre-Dame de la Médaille Miraculeuseという教会に行ってきました。直訳すると奇跡のメダルのノートルダム教会、といった感じの名前でしょうか。教えられたまま地下鉄のセヴール・バビロヌ駅で降りて、コンランショップやボンマルシェを見ながらてくてくリュー・ドゥ・バックまで歩くと、ここかな?というような入り口があって急になんだか荘厳な静けさがただよっています。教会の入り口まで続く細い道の壁には、この教会のいわれや有名な奇跡のメダルのお話が絵で描かれていたりして、フランス語がわからない私にもふーん、という感じです。最後のつきあたりの壁にはしっかり英語でも説明があったので、私はそこでこの教会と奇跡のメダルについての全てをやっと知ることができたのでした。詳しくはWikiやこちらのサイトでどうぞ。写真はつい興味を持って買ってしまったカタリナ・ラブレのお話の青いブックレットと、右奥にあるのがお土産のメダイユです。
まぁキリスト教にはありがちなお話といえばそうなんですが、私がいつも思うのは、どんな宗教でも、神様がいてもいなくても、信じていても信じていなくても、静かな場所で自分と向き合うと不思議に方向性が見えてくる事があるなぁということです。私は明日香村の大仏さまの前でも、このメダイユ教会のカタリナ・ラブレが見たマリアさまの前でも、ふと神妙な気持ちになっていろいろなことをしっかり考えたり、私には感謝すべき人が、自分が思っているよりもずっとたくさんいることに改めて気づいたりしました。だから、つまりはそういうことなんだと思っています。カタリナさんも私も、自分と向き合って、カタリナさんの場合はマリアさまが話しかけますが、私の場合は私自身が私に話しかけます。
しばらく観光客そのもので呆然とキレイなマリアさまを見ていたら、この教会にいた修道女の人が小声の英語で「ちょっと失礼、あなたには奇跡は必要ではないでしょう?」と私に話しかけました。唐突だったのでびっくりしながらも、確かに必要ないなと思って頷いたら(正確には否定疑問文だったので首を横にふったんですが)、「ほら、あなたって幸せでしょう?」とにっこりしました。私もそのあたりに幸せ感を振りまいていた意識はないんですが、そういわれてみると、私って心底幸せかもしれない、と思ってその日一日がほんわかと良い一日になりました。そして後で思ったんですが、そんないろんな人が集まる教会で、中には本当に奇跡が必要な人、どうしても何かに助けを求めなければいけない状況の人というのがいるのですよね。そしてそう思った後すぐに、それは「そういう人がいる」ということではなく、私でも誰でも「そういう時がある」ということなんだと理解しました。今の私にとっては「お土産」にしかすぎない、ここで1ユーロ程度で打っている「奇跡のメダイユ」には、そういう「時」に何かの意味がついてくることになるのでしょう。まだよくわからないけれど、そういうふうに思いました。
このメダイユは転売すると価値がなくなるということですが、人にあげるのはとてもいいことだそうです。私も大事な人の数をしっかり数えて買いました。本当に幸せな事に、その大事な人々の中で奇跡が今必要な人はいませんが、私があげるこの小さなメダイユを見てちょっぴりほんわかしてもらえれば、と思っています。
よくいただく質問4つ。
週に1度程度の割合ですが、ちょこちょことご質問をいただくことがあって、回答をまとめておくのもいいかなと思って、たまのゆったりした日曜にやってみようと思いました。質問の分野はさまざまですが、参考程度にどうぞ。あと、数週間前にメールをくださったFさん、高校を卒業して引っ越しのあと大学に行かれるという方、メールアドレスが携帯のものだったので、私のお返事が届かないようでした。もしよかったらPCのアドレスでまたメールくださいね。また、Fさんからの質問プラス、最近メールをいただいたIさん、Tさんからのご質問を参考にしていますので、個人に回答さしあげたメールを質問、回答ともに編集していますのでFさん、Iさん、Tさんそれぞれからの質問の流れとはやや違いますがご了承くださいね。
1. 海外での管理栄養士の立場は日本における立場と違うというのは本当ですか。
「海外」とひとくくりにすると難しい質問ですが、私が栄養士の方と知り合う機会のあった、アメリカ、タイではそれぞれに日本における立場とは違っていました。アメリカだけでいうと「栄養士(registered dietitian)」という立場は一つのプロフェッションとして確立されていて、そういった意味では「医師」という立場や「教師」の立場などの確率されたプロフェッションと同じ、ということになります。ただ、お給料などの話になるとやはりお医者さんや弁護士さんのお給料は栄養士のそれよりもはるかに良いです。ただ、だからといって、同じ職場で働く事も多い「医師」と「栄養士」の関係は決して上下関係にはなりません。日本では、上司部下のような雰囲気になることが時々あることを考えると、そういう意味ではアメリカの栄養士さんはとてもパワフルで「専門的知識」を持った人としてお医者さんにも積極的に意見し、お医者さんもしっかりそれを聞くので、受ける印象はとても違います。
2. まさみさんは語学はどれくらい学んでから大学に編入したんですか。
日本で初めて社会人になった頃は、私はそれまで受験というものをほとんどといっていいほど経験していなかったこともあって、英語力は一般の大学卒業のみなさんと比べると非常に低かったと思います。しばらく仕事をしたあと渡米したのが1996年の7月で、大学に編入したのが1997年の1月ですので、その間の6ヶ月は語学学校に通いました。2ヶ月が1タームの語学学校だったので合計3レベルを経験しました。最初はレベル3という、日本でいうと高卒程度の英語力のレベルからはじまり、4、5とあがりました。その語学学校ではレベル5を卒業すると、付属の大学(ワシントン州立大学)への編入が可能な語学力があると判断されます。
世の中には語学学校はたくさんありますが、この大学付属の学校は「大学で学ぶための英語」を教えてくれるところでした。会話力にはあまり力は入れず、分厚い本を読んだり、エッセイを書いたり、というような総合力をつけることに力を入れていて、はっきりいってものすごいスパルタでした。宿題が毎日毎日大量に出て、学校が4時や5時に終わっても、それから図書館で夜の11時まで勉強しないと終わらないほどでした(夕食は軽いサンドイッチなどで間にさっさとすませてました)。また予習も必要な雰囲気だったので、朝早く起きてその日の授業のための予習をしてからクラスに行っていました。ですから、その6ヶ月の真剣勝負に比べると、渡米前はゼロといってもいい勉強量だったと今となっては思います。でも、短期間とはいえそれだけ毎日やると、先生方がすばらしかったこともありますが、それなりにちゃんと授業にもついていけるような力がつくので大丈夫です。レベルをパスするのもなかなか難しいので緊張感もあったと思います。
また私はその後すぐにキャンパスのコンピューターラボでのアルバイトを始めたのですが、そのバイトこそが私の会話力を一気にあげてくれたと思っています。「仕事」なのでちゃんと時間毎ににひきつぎをしたり、様々な問題を解決したり、ラボにくる学生さんにいろいろなアドバイスをしたり、と働き始めた初日からかなりのレベルの会話力が要求されます。でも、今思えば、そういった会話を上達させるにはとにかく使うしかないので、実はどんなところでも上達する可能性があります。今現在仕事で使っている英語の基礎になるのは、実は大学での勉強のために通った語学学校で学んだ事ばかりだと強く思うので、そういう目的の語学学校に当時通う事が出来て本当に将来(今)のためになったなと思っています。
3. 自分で学費をかせいでアメリカの大学院に通う事は可能でしょうか。
こればかりはなんともいえません。可能でない事はないかもしれませんし、私も大学院の時はAssistantshipをいただいていて学費はゼロ(というよりAssistantshipの給料と差し引いて払わなくて良く、給料も出るという状態)でしたが、はっきりいって両親に甘えることも多々ありました。アメリカの田舎では車がなければ生活できないので中古とはいえ車を買い、メンテナンスし、家賃も毎月払い、パーキングも、授業でつかうテキスト(高額)、時々日本に帰る旅費、インターネットや電話などの通信費、コピー代、いろいろ考えると出費はつきません。ボロボロの部屋を借り、車は友達に乗せてもらい、テレビも買わず、インターネットも図書館で、というふうに節約することはできるかもしれませんが、かなりつらい日々になりそうです。田舎町だとコンビニなんてないので車で食糧の買い出しに行くことになるんですが、そういうときに「車にのせて」と毎回誰かに頼むのはものすごいストレスだと思います。
ただ、現在社会人で、それなりの貯金があってそれを切り崩していく、というのは可能かもしれません。よく「どれくらい貯金すればいいのでしょうか」と聞かれることもあるんですが、大学の種類(私立、州立など)によって全く額が違うし、住む町によって(田舎、都会など)お金のかかる場所、物も違ってくるのでなんともいえません。私が住んでいた田舎は当時で月々10万円から15万円くらいの生活費(家賃、車のメンテなどすべて込みで)という印象でした。もちろんそれより豪華に暮らしていた人もいますし、節約で半分くらいにしていた人がいたとしても納得かもしれません。でもこれに学費、教材費などがかかると思ってください。アメリカのレジテントでない場合は学費は非常に高いです。
4. FAOなどの国際機関で働くには博士号が必須ですか。FAOで就職するにはどんな内容の研究にしたほうがいいですか。
博士号は必須というわけではありません。ただ、競争の激しい世界であることは確かですので、単純に履歴書を比べたときに博士号をもっていたほうが説得力があるということだと思います。研究の内容ですが、私の場合は微生物学に関する部分と社会科学(食品安全に関する行動科学)に関する部分とがあるUSDAの大きなプロジェクトがPhDのプロジェクトでした。応用統計学を副専攻にしたのは、単純に興味があったからです。学位取得の分野は、そこから研究者になる場合はまさに自分の研究人生の基本になる部分ですので、自分が特に興味のある分野である必要があると思います。ですからそれがFAOに勤めるのに大事かといわれると微妙なところです。国連の専門機関は経済的に同じ分野の専門家を2人同時に雇う余裕がありませんので、それぞれの個人が自分の分野を分担して仕事をするということがよくあります。ですから、自分の専門分野と同じ人がもしもうすでに組織にいる場合は、雇われる可能性は低くなってしまいます。
私が思うに「国連」や「その専門機関」というのは単なる職場としてのオプションですので、「何をしたいか」のほうに主体をおいたほうが自分を見失わずにすむと思います。FAOで働いている人は私も含め、いたって普通の人がほとんどですが、はじめて着任するときの同じポストへの応募者は少なくとも100人、エントリーレベルの若いポストだと800人になることもあるそうです。強烈な才能や知識が必要ということではなく、ある程度の才能と知識があれば誰でも働けるのですが、運とタイミングも同じように大事になってしまうのが残念なところです。たとえばXXの需要がFAOにあるから、ということでがんばってそれを研究してきても、いざ応募しようというときにもしそのXX関連のポストが空いていない場合、またそのXX関連のポストを占めている人が比較的若い人で、後20年ほど長くFAOで働いてしまう場合、その分野で雇われるチャンスは20年間ゼロなわけです。
ですから、国連は目指すところというよりは、いろいろと自分の好きなことをやってきたうえで、もし目の前にオプションとして空席があれば、応募してみる、というスタンスで心においておく、というふうに思うのが一番かと思います。私の場合はそうでした。とにかく自分の好きな分野で思いっきり研究をして自分の知的好奇心を満たす、というのが博士課程にはとても大事な心がけだと思います。そうしておかないと、いざ何かでつまづいたりしたときに(博士課程では本当によくあることです)、「自分はなんのためにこれをやっているんだっけ?」と考え始めてしまい、心が折れてしまいかねません。好きだったらずっと続けられますよね。そして就職はゴールではなくスタートなので、自分が思う存分やってきたことを本当に生かすのは就職したあとだと思います。そのときにそのテーマが「就職するため」のテーマだった場合はちょっと自分を見失ってしまうんじゃないかと私は思いますがどうでしょうか。
