今日は2020年3月上旬に(また)行ったブータンのお話です。上の写真はブータンの国際空港があるパロという街のホテルの敷地内から撮影したものですが、遠くでライトアップされている大きな建物が「ゾン」と呼ばれるいわゆる城塞です。ブータンではそれぞれの行政の単位をゾンカ(正確には「ゾング・カグ」と書きますが聞いているとゾンカに聞こえます)と読んでいて、この辺りはパロのゾンカ、つまりパロ行政地域となっていて、このゾンがその庁舎というわけです。庁舎といっても、そもそもは僧侶たちが仏教抗争の末、身を守るために建てたものであるので、過去には要塞としての意義の方が大きく、周囲を見渡せ、攻撃も受けづらいようなところに建っていることが多いわけです。そしてもちろん、僧侶が使うところであるので、たいていのゾンカは行政の部分(庁舎)と宗教の部分(地区の総本寺)を合わせもっていることになります。
Continue reading “ブータンの城塞、雪峠、石風呂、そして織物”ニューノーマル
6月ももう半ばに差し掛かって、今年は珍しくバンコクにずっと留まっているにもかかわらず、時があっという間に過ぎ去っていくように感じますね。毎日決まった時間に起きて、ルーティンをこなし、自分にタスクを科してそれをひとつひとつやり遂げていく日々が、そんなにつまらなくないことに驚いています。とはいえ、最後に出張に行ったのが3月の上旬だったし、その前に1月も2月もデンマークやカンボジアにも行っているのでバンコクに留まっているのは実はたったの3ヶ月弱なんですけどね。ここ15年くらいそんなことはなかったというだけのことですね。
ところでニューノーマルに関係あるとはいえませんが、昨年富士山の頂上アタックができなかったので、今度こそはと思っていつもやっていることがあります。登山時の滑落による惨事を最小限にとどめるため、何としてでもコアマッスルを鍛えなければ!と夫のAさんと毎日のクランチやスクワット、トレッドミルなどを1月から新年のリゾルーション(抱負?)として続けてきていたんですが、2月半ばにテニスのレッスンで運動音痴プラス年齢のこともあるのに必要以上にハッスルしすぎて右足の脹脛の肉離れを起こしてしまい、スクワットからまず脱落。そしてトレッドミルは3月の半ばにジムが閉まってさらに脱落。ということで今はクランチだけをひたすら毎朝頑張っています。ちなみに上の写真は毎朝クランチのためだけにパタパタと広げるヨガマットです。カーキな色も、よくあるパステルカラーや蛍光カラーのヨガマットと違って気に入っているし、巻くタイプではなくパタパタとまとまるタイプなのも気に入っています。材質もすごくいい感じでエンボスのトロピカルな模様もちょっと可愛いです。でも今年の登山はもう断念せざるを得ませんね。富士山はきっと待っててくれるけど、私の体力は待っていてくれないので、さらに精進しなければ。
Continue reading “ニューノーマル”少しずつ日常を取り戻す4つの理由
今日は久しぶりのテニスのレッスンに喜びを隠しきれず、レッスンの3時間前に家を出てきました。というのは半分本当で半分嘘です。レッスンを楽しみにしているのはもちろんなんですが、3月から頑張っていた自粛を今週末から解除の方向に向けようと思って、私の愛するクルマちゃんを昨日久しぶりに走らせたら、普通に走りはするんですが、物凄い量のチリとホコリが積もっていて、ネイビーブルーのはずが茶色に見えてしまっているんですね。なのでテニスに行く前にモールに寄って、買い物ついでに洗車をお願いしようと思ったのでした。バンコクのショッピングモールは駐車場に限りがあるので週末は駐車スペースの奪い合いになるんですが、洗車をすると洗ってもらえる上に駐車場も確保できるので私はこのシステムを大活用させていただいています。今日は洗車だけではなく、内部の殺菌もしてもらえるということで、どれくらいの効果があるかは置いておいて、きっとモールが自粛していた2ヶ月間ほど、きっと経営も大変だったことと思われるので、洗車&殺菌コースをお願いしてきました。それに2時間かかるわけですね。ちなみに上の写真はモールの中の空中庭園にあったなんだか可愛いモビールです。
Continue reading “少しずつ日常を取り戻す4つの理由”「ことば」という不明瞭なツール
ここ数年間、定期的に考えることなのですが、人間は種類は違うとはいえ、言語というものをあみ出して、その言語さえ通じればほとんどの意思の疎通が可能になった、ということで種として発展してきた、という事実があるのは誰でも知っていることだと思います。でも、同じことばを話すからといって、どんなに長い時間しっかり話し合ったって「なんだか分かり合えない」ということがあるのも、これも誰もが知っていることだと思います。それはもちろん、人間が基本的に、その度合いに違いはあるとは言え、嘘をつく生き物であるからというのがあります。嘘、というと語弊があるかもしれません。体裁を繕う、あるいは当たり障りのない言い訳をつける、といったそういう意味合いです。
また、たとえ嘘をつかなくても、根本的な考え方が違えば、わかり合うことが突然困難になります。例えば、「明日連絡するよ」と言ったのに連絡してこない人がいたとして、その人にとってみたら、仕事じゃないんだからそんなにガチガチに期日を守る必要がないと思っていて、その日に連絡しなかったとしますね。その人にとってみたら「明日連絡するよ」は社交辞令のようなもの、あるいは「今日は連絡できない」ということの裏返しなだけかもしれません。でも相手からしてみたら「明日連絡する」という字面通りの言葉で、次の日になって連絡がなかったとして、「連絡するって言ったから待ってたのに連絡してこない!」と怒ってしまう、ということが起こるわけですね。こういうものは、もしかしたらどんなに話し合っても、最終的に「そっかそっかそうだったんだ、あははは」と完全和解できるようなことではないかもしれないのです。なぜならそのことに関する根本的な態度と考え方がお互いに違うから。同じことを「大したこと」と「大したことでないこと」と捉えるのはあまりに違いますよね。どんなに完璧に同じ言語を話していても、言葉には限界があるわけです。
Continue reading “「ことば」という不明瞭なツール”メタボラ:日本の若者のリアルか
このブログエントリーはどうやら2010年ごろに書き始めたようですが、結局書き終わってなかったので今頃発見して10年ぶりに日の目を見ることとなっています。イタリアに住んでいた時に読んだようですが、恐ろしいことに、読後の微妙に嫌な気持ちと、時事問題盛り沢山の内容に「ほんと?」と思う自分の気持ちしか覚えていません。記憶ってなんだろう。科学の本とかだと割と細かいところまで覚えているのに。で、以下は10年前の私の文章です。すごく尖っていて、今の私の考えと違うところもあるけれど、これはこれで10歳若い私が面白いのでこのまま載せます。
今日はボルゲーゼ公園にブランケット持って昼寝&読書に出かけてきました。風がずーっと吹いていてすごく気持ちよかったです。日本から暇つぶしのために何か長編を、と思って目についたこの本を買っておいていたんですが、ずっと手をつけていなかったので、この際読んじゃおうと、水筒に入れたアイスティー+ハニーを片手に、芝生でゴロゴロしながら今日読みました。文庫本で上下巻。本の感想なんですが、私本当に非常に恐れ入るくらいにまったく知らなかったんですけれど、こういうのが「現在の日本の若者の現実」みたいな感じになってしまっているんでしょうか。いやもちろん、さまざまな事件などのニュースを見たりその若い犯人像を知ったりする段階で、こういったことが最近問題になっているということは知っていたんですが、まだまだマイノリティだと思っていたんですがメインストリームになりつつあるんでしょうか。私は幸せにもこの世界をカケラも知らないって思ってしまいました。これは幸運にも愛情たっぷりに甘やかされて育った私の勝手な感想であると痛いほど分かってるけど、もしこういう若い人たちが日本に思った以上にたくさん存在してるとして、そして実際これに書かれているような理由で結果、辛い人生になってるとしたら、やっぱり厳しいようだけど、どう考えても甘い&弱い。
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