イースターサンデーだった昨日、感染対策をしっかりしてから、夫のAさんとマティネーの時間に観にいきました。シネマコンプレックスの小さめのシアターに観客は10人いなかったと思うのですが、特大シネマスクリーンでこの映画を観ることができて本当によかったと思いました。私が1996年から2005年まで過ごしたワシントン州東部の州道26号線や州間高速(フリーウェイ)のI-90号線をドライブ中の、異常な風の強さ、雪やみぞれの惨めな匂い、夏の日照りがフロントグラス越しに顔に当たってちょっと痛い感覚、小石がはねて車の窓に当たる音、車と速度を合わせるかのように道の両側を謎にひたすら転がり続けるいくつものタンブルウィードの姿、何時間も変わらない車窓の景色、そういう超リアルな刺激が、大画面には全く描かれていないにも関わらず、私の脳から突然ぐわっと五感に伝わってきて息が詰まりそうになりました。以下ネタバレになりますが感想を書いておきますね。この映画の私の評価はAです。
Continue reading “Nomadland (2020)”風と共にゆとりぬ
風と共にゆとりぬ(2017、朝井リョウ):キンドルで「時をかけるゆとり」を一気読みした後、速攻買って読みました。この方のフィクションの方の本は、まるで一人称のような三人称で、わかりやすい形で「今」を切り取るような視点だと思って読み始めたのを思い出します。でも実は意外に難解な形で切り取ってあったりして、個人的には割と何度も読み返して「うわー、ほんとだ!」と思ってしまうようなお話が多いんですよね。ちょっと分かりづらいかもしれませんが、例えば「意識高い系」の人を登場させて、それに「同調系」の人だったりそれを「イジる系」の人々が登場し、さらにそれを「鼻で笑う系」がいたりするのに、結局最後はその「鼻で笑う系」の人の心の動きが「同調系」の人のそれと何も変わらなかったりして「おおなるほどそういうことか!」と気づかせてもらえる、という感じでしょうか。私の表現力が無さすぎて自分で書いていてちんぷんかんぷんになりましたが。とにかく分かりやすく才能に溢れているという意味では読みながらさすがだな、間違えないな、といつも思います。
で、エッセイの方はどうかというと、実はこの方は自分が陰キャだと主張したいけれど、どうしても隠せない陽キャだ、と思いました。最後の3分の1はお尻の話に終始していて、それに笑いながらも大変だなぁと普通に心が痛みましたが、前半は割と前のエッセイに比べて「若者」寄りというよりは「大人」寄りな著者に驚きました。これで伝わるかどうか分からないのですが、そういう意味では指原莉乃さんと同じ匂いがします。若者なので若者っぽくふるまっているんだけれど、それを冷静に見ている大人な自分がちゃんといて、その大人な部分が実はちょっと恥ずかしいのが本人にも分かっている感じ。読んでいて細かい部分でお!と思ったのは:
Continue reading “風と共にゆとりぬ”のかなと思う文法
最近テレビのニュースなどで比較的若い方がインタビューされていて、質問にテキパキと、的確なことをスラスラとお話しするのを目にすることが多く、いちいち「エラいわー」とおばちゃん目線で感心してしまうんですが、いつも「ん?」と引っかかってしまうのが、この「のかなと思う」文法です。特にアスリートの皆さんに顕著ですが一般の方もたくさん使っていらっしゃるように感じます。若い方々だけではなく、インタビューやコメント慣れされている方々だと年齢に関係なく使われていますね。例えを出すと:
「これに勝てば、記録となる3連覇ですが、意気込みをお聞かせください。」「そうですね、記録は特に意識していません。目の前の試合を一つ一つ大切に戦ってきましたので、落ち着いて同じように戦っていけば、自然と結果はついてくるのかなと思います。」
Continue reading “のかなと思う文法”さよなら、田中さん
さよなら、田中さん(2017、鈴木るりか):確か新聞でこの若い著者が紹介されていたのを見て興味をもって読みました。賞に応募するために数時間で書き上げたという短編も入っていて、はっきり驚かされました。ちょっと全く関係ありませんが、最近のジェンダー関係の事象で「女性なのに」とか「女性初」といった表現にモヤモヤする感じが分からないでもないなと思っていたところなんですが、こういう作家がいると同じような感じで「こんなに若いのに」「まだ小学生・中学生・高校生なのに」なんて言われちゃうんだろうなと思います。そういう意味で大変申し訳ないけれど、でもやっぱり言いたい。この本の著者はこんなに若いのに、まるで全てを悟ったかのような、複雑な人生の難問の正解が見えているような、それでいて、そういうものを恥じらいなく大声で清らかに主張してしまう、若さゆえの痛々しく微笑ましいものが共存している、そんな雰囲気があります。でも素直で清らかで痛々しいものを真っ直ぐ表現することほど難しいことはないし、それをまるで簡単なことのようにあっさりスッキリ書いてあって、だからこそ、その内容が胸を突くんだな、と納得させられます。
Continue reading “さよなら、田中さん”イタリア語思い出し復習編
私のブログで「イタリア語」を検索してみると、時には真面目に、時には笑い転げながら、時には自分の記憶力のなさに呆れながら、私がそれなりにイタリア語を勉強「しよう」としている姿が何年越しかに浮かび上がってきます。そしてタイに行った2017年、私は自分自身に非常にがっかりすることになります。何故なら2005年には市場で自由にクイッティアオの中身や、ガイトーッの鶏肉のパーツを説明して好きなものを選んで食べ、布地を安く買っては縫ってくれる人のところにいてワンピースをオーダーしたりしていた私は、2017年にレストランで「レモンティーください(コーチャーマナーウカー)」と言っても「チャーアライナ?(何茶って言った?)」と怒られたり「砂糖入れないでください(マイサイナムタームカー)」を頑張って言っても「ノーシュガー?」とあっさり英語であしらわれたりするだけのタイ語力しか残っていなかったから。そこでタイでイタリア語に触れることはほとんどないまま4年が経ってしまった私に一体何が残っているのかと考えた時、更なるがっかりが訪れると思われます。そこで日本にいる間だけでも、天下のNHK様のイタリア語講座(ラジオ、テレビ)で、目についたイタリア語をちょっと復習しておく努力をしようと思ってこれを書き始めました。出てくるイタリア語の順序は全く脈絡がないのと、内容が超絶入門編なのはあしからず。
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