マドリード生まれでマドリード育ちの友人、Lが1ヶ月もしたらローマに引っ越してくることになって、引っ越しまでにマドリードに遊びにきてよ、と言ってくれたのでお言葉に甘えてマドリードまで8月の最初の週末に行ってきました。上の写真はチョコラテリア(ホットチョコの老舗)であるサンヒネス(San Ginés)のチュロスとポラス(太い方)です。朝食にお腹を空かせて1キロほど歩いて行ったにもかかわらず、私にはチュロス1本半、ポラス1本、チョコラーテは半分が限界でした。残りは左隣にいたメキシコ人の母娘の旅行客と左隣に座ったイタリアはナポリから来た二人の青年がもらってくれました。こういう時におひとり様はちょっと困りますね。でも味はとても素朴で美味しかったです。ポラスは初めて食べたのですが、チュロスよりもカリカリ感が少なく、フワッとしていて、チョコラーテに浸した時の満足感がチョコドーナツの満足感だったので、ああ、これを好きな人はいるだろうなぁと納得しました。ちなみにバルセロナではチョコラーテにホイップクリームたっぷりのものをスイソと言っていましたが、マドリードでは普通にイタリア語(チョコラータ)に似ている(というより複数形そのもの)チョコラーテ、と言っていました。フランス語だとショコラショゥというので同じラテン語系でもそこそこ難しいですよね。
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先週は水曜日から土曜日(昨日)までスペインはセビージャ(セビリア)へ会議出張してきました。セビージャは暖かいイメージがあったのですが、突然の寒波だったらしく、ローマと同じくらいか、それ以上に寒くて驚きました。あまりの気温の低さに会議を開いてくれた側も驚いたみたいで、建物のパティオでコーヒーブレイクやランチを出していたのを、翌日には建物内に変更してくれたくらいでした。突然の気温の変化で町の木々も瞬時に紅葉したそうです。写真は川岸の遊歩道。ここを歩いて毎日会議に行きました。
今回会議を開いたのは欧州連合の研究機関のひとつ。じつはたまたまなんですが、そこに勤める私の仲良しのイタリア人の友達(この夏ボーイフレンドと一緒に東京にきてくれた子です)がいて、仕事のついでとはいえ、久しぶりに再会できてすごく嬉しかった。いろいろとつもる話もあって毎晩のようにちょっと会って、タパスバルに行ったり、ケーキと紅茶が美味しいカフェに行ったりしてしゃべりまくりました。彼女のボーイフレンドも一緒に参加してくれた夜は日本での思い出をさんざんおしゃべりしてくれて、ふたりとも日本では私の夫のAさんとも時間を過ごしたので4人で過ごした面白可笑しい話をひたすら続けて笑い合いました。築地で朝からみんなで頑張った話や、そこにいたヘンテコイタリア人のおじさんの話など、本当におもしろいことばかりでした。
タパスバルではとりあえずイベリコ豚のハムをいただき、相変わらずのトロトロの美味しさに感動です。日本での食事はすべてが感動の連続だったと語る二人ですが、いろいろなところでさまざまな日本人に巡り合って、とても良い時間を過ごしたそうです。小さな町の旅館のおじさんと仲良くなって、行くところ行くところすべてに電話してくれて全員に親切にしてもらった話、ふらっと入った食堂で同じカウンターに座った英語堪能な壮年夫婦と10分くらい盛り上がっただけで、その夫婦が帰った1時間後くらいに店を出ようとしたら帰るときに「お会計はあのご夫婦からいただいております」と言われて驚愕した話、デパートで和風の布を買おうとしてデパート総動員で東京中のお店に電話して本物の和服の布の端切れが買えるところを教えてもらった話、関西で「するっと関西」の買い方を聞いただけなのに、お金持ちそうなおばちゃんが2枚目の前で買ってくれて、それをくれた話(私もびっくり)、奈良までいく電車の中で前に座った60代の姉妹が次から次に食べ物を与えてくれ(あめ、チョコ、どら焼き、おたべなど)もらうたびに「アリガトゴザイマス」と言っていたらキャーキャーと喜んでくれ、最後にはおむすび弁当にお茶まで買ってくれたという話、などなど私も驚く日本人らしさ全開で聞いているだけで心が非常になごみました。
このイタリア人の女の子とアルゼンチン人の男の子カップルが、非常に素朴でかわいらしい雰囲気だというのもすごく大きいと思うんですよね。いつも笑顔で、助けたくなる日本人のみなさんの気持ちが良くわかります。私の故郷を楽しんでくれて本当に良かった。そして関西(大阪、京都、奈良をたずねたそうです)がいちばん個性が強くて楽しかった、と言ってくれて大阪出身のAさんも喜ぶことでしょう。今度は九州にも来て欲しいところです。
仕事もすんなり行ったし、満足の出張となりました。たくさんの同じ分野の専門家と出会えるのもこういう出張ならではです。ネットワーキングもできたことだし、また一週間がんばります。
ヒターノたちのフラメンコ
セビリアはスペイン南部のアンダルシア県にある比較的大きな都市なわけですが、アンダルシアといえばフラメンコの本場です。フラメンコといえば今でこそ華麗な衣装と情熱のダンスとして世界中で有名ですが、実際に本場でフラメンコを見ると、その歴史のことを考えずにはいられず、フラメンコというものを、今までの認識とは違うように考えるようになります。それにしても、友達のClの家についてお土産をあげたりしていたときに、「私もあなたにふたつプレゼントがあるの、ひとつはそんなにエキサイティングではないもの、もうひとつは多分ちょっとだけエキサイティングなもの」と言って、まず、私の仕事にも関係する彼女の論文をひとつ(掲載おめでとう!)、そしてフラメンコのチケットを2枚、彼女と一緒に観に行くようにくれたのでした。こういう感激的なプレゼントの仕方にとても感銘を受けたので、私もこれからこういう喜びを友達や家族に与えられるようにしたいと心から思いました。ひとつ学んだ気分。
そしてこの写真が、Clと一緒に行ったそのフラメンコのショウ。あまり写りが良くなくて申し訳ないのですが、セビリアのカルチャーセンターのようなところで中庭(クロイスター、回廊)の上部に布を張り、ステージをつくってショウができるようにしてあります。中心の踊り子の女性は多分40代後半で、Clいわく、上質のフラメンコを観に行くと、必ず彼女くらいの年齢か、さらに年上の鍛え上げた体の女性が踊ることが多いそうです。つまり、踊り子たちは小さいときから踊りを学ぶものの、その踊りが本物になるにはかなりの年月がかかるということ。そして彼女たちは、スペインジプシー、つまりヒターノたちです。フラメンコはその血に入っているのです。
イベリア半島(スペインとポルトガル)はその昔、もちろんローマ帝国の支配下にあって貿易の中心となったこともあってたくさんの人種が入り交じる場所となり、さらにそのあとイスラム帝国支配となったこともあってイスラム系の人種も大群で中東やアフリカから移住してきたわけですが、そのあと歴史が知る通り、キリスト教諸国の征服によって今のスペインの基礎が造られたわけですね。ヒターノたちはこの頃のイスラム系の子孫がキリスト教からの追放令に追われてジプシーとなって住むところを転々とした人々なわけです(ほとんどのヒターノの先祖はキリスト教に改宗しています、多分無理矢理。)。今もヒターノたちはヒターノとしてのコミュニティに住んではいるものの、イタリアや他のヨーロッパの都市にいるジプシーとは違って、一般の人と同じように普通のアパートに住んで、貧乏な人もいればお金持ちの人もいて、というような生活を送っています。そんな人々が踊るのがフラメンコ。厳しい環境の中、貧乏になって差別的な扱いを受けないためや、生活のため、プライドを少し曲げて観光客の前でプロフェッショナルすぎる踊りを踊るこのスペインジプシーたちは、そのあたりの普通のセビリア人も全くかなわないほど強い情熱と精神力を持っているといいます。そんなことを考えながら彼女たちの強いパッションと、思い詰めたような表情に代表される悲劇的な思いの詰まった激しい踊りを見ていると、こちらも思わず息を詰めて見守ってしまいます。激しい動作のあとの「オレーイ」の官能的なかけ声にドキっとしながら、こんな踊り、生温い平和な環境で育った私のような人間に踊れるとは到底思えない、と思ってしまうのです。
青すぎる空の下のセビリア
前回のエントリーに書いた通り、週末はセビリアに遊びに行ってきました。前回行ったバルセロナや、首都のマドリッドとは全く違う文化を持つアンダルシアの都市です。ドンファン、カルメン、セビリアの理髪師、などいろいろなフィクションの舞台にもなっているのもすごく納得できる、独特なところでした。
まず、暑い。かなりドライな気候ですが、ヨーロッパの先進都市の中では1位2位を争う暑さだそうです。ちなみに写真は日曜日に行った、1929年のイベリアアメリカエクスポの会場にある噴水。空は青いし噴水には虹がかかっているしキレイでしたが、どこもかしこもジリジリと太陽が照りつけてきて、実際びっくりです。でも私が行った金曜日にはなぜかさわやかな秋風のようなものが吹いていてセビリアに住んでいる人々がびっくりしていました。土日は普通に暑くなりましたが。面白いのが、あまりにも西にある都市なので、暑さのピークが夕方5時なんです。12時くらいまでは朝のさわやかさがあって、昼を過ぎて急にどんどん暑くなり、5時6時に信じられない暑さになる、という感じ。でも木陰に入ると一気に涼しくなります。また、地面からの反射熱がすごいので、いかに日陰を町にたくさんつくるかということが大事みたいで、街角のビルとビルの間には布が張られていました。それが異常なほど涼しさを運んでくれるのもまた驚きです。
到着して友達のCのボーイフレンドのC(ややこしいので女の子の方をCl、男の子のほうをCrと書きますが、元素記号みたいになってきますね)が約束していたところまで迎えにきてくれて、そこは街のほぼ中心地だったんですが、そこから徒歩30秒くらいでClのアパートに到着しました。こんなショッピングストリートに住むとこなんてあるの?というようなところに突然ドアが出現し、そこの2階部分と3階部分がお家。3階はメインベッドルーム、バスルームと広いテラスになっていて、私には2階のサロンにある強烈に居心地の良いソファベッドが用意されていました。家につくとCrが冷たいお水を出してくれて、ベッドをつくってくれて、到着したばかりなのに家にいるようなくつろぎ気分に。でもすぐにClが仕事が終わって歩いて帰ってくるというので、中間地点で会おうということになって、テクテク街を案内してもらいながらキョロキョロして感激しながら歩いていると、Clが遠くからやってきているのが見えました。1年ちょっとぶりに会うのでつい興奮してきゃあああああといって抱き合い、すぐ横のバルへ。腰掛けるとすぐに注文を聞きにきてくれたバルマン君に、Clが、「私はクララ」といいます。何そのカワイイ名前のドリンクは!と思って聞くと、「セルベッサ・クララ」の略で、ビールの炭酸割りのことなんですね(セルベッサが「ビール」のスペイン語)。他にもレモネード割りの「クララ・コン・リモン」もあるということで、試してみたんですが、ただでさえ薄い地元のビールのCruzCampoが甘いレモネードでたっぷり薄まっていて、普通に強烈に美味しい。暑い都市ならではの飲み物ですね。私は実はアルコールがあまり得意ではなく、飲むのは好きだと思うんですが、1口飲んだだけで、酒豪のように全身真っ赤になるタイプなので、普段はあまり飲まないようにしているんですが、暑いのと、知らないところに来た興奮と、Clに久しぶりに会った嬉しさでたくさん飲んでしまいました。でも全然酔わないし、すごく美味しいのです。セビリアのCruzCampoすごくさわやかで美味しいです。
それから街をうろうろして、私は母にお土産をひとつ見つけて、それから姪のMにもカワイイものを見つけ、そのあと主人のAさんにもいい感じのものを見つけて1時間弱であっというまにショッピングを終えたので「なんて効率的!」とClとCrに大絶賛をいただきました。あとは自分のために観光に時間を使うのです。
夕方になってちょっと小腹が空いた私たちは、タパスバーに入ることにしたんですが、またクララをのみながらClが「スペインにはおいしいイベリコ豚のハムがあってね」とかなり小さな声で私に言ってくるのでなんだろうと思ったら、今思い出してもちょっと笑っちゃうんですが、イタリア人としてよその国のハムをほめるなんて、自分の国の、イタリアのハムを自慢に思っている愛国者に申し訳ない気分になってしまうみたいです。しかもClはセビリアに引っ越す前はパルマハムの誇りだけでなりたっているようなパルマに住んでいたのでその気分はなおさらでしょう。パルマにはパルミッジャーノもありますが。そしてそのタパスで出てきた小さなカナッペに淡いピンクのトマトのペースト(サルモレッホ、Salmorejo)が塗られ、薄いイベリコハム(Jamon Iberico、ハモンという地方のものが一番有名)が惜しみなく載せられています。そして一口食べてみて、絶句。激ウマです。イタリアの皆さんごめんなさい、私、イタリアのハムも好きですがこのハムのほうがあからさまに美味しいです。写真とってなくてごめんなさい。
そして夜は9時半に集合してClとCrの友人のドイツ人のTとその彼女のPと一緒に車に乗って、セビリアの隣町、「2人の姉妹」という名前の町に住んでいるスペイン人夫婦のLとPのところに行きました。Lがお誕生日ということでみんなでお祝いをすることになっていて、Clが、私が到着すると同時に「あなたにノーというオプションはないからね、あなたの席もお料理もなにもかも用意されているんだからね」と言われていたので遠慮なく参加しましたがすごく楽しかった。スペイン語とイタリア語はすごく似てるんですが、同じ言葉で全く違う意味の単語がわりとあるみたいで、その話で盛り上がりました。ちょっと下ネタで申し訳ないんですが、Clがスペインに初めて住むためにサンティアゴに行ったClは、今でこそスペイン語はネイティブ並みに流暢にできますが、その時はやっぱりたどたどしかったらしく、市場にいって、グリーンピースを買おうとして、ふと自分の家でお父さんが家庭菜園でつくっていた豆を見つけて、「ああ、この種類の豆、私の(家の)菜園にあるよ」とスペイン語で言おうとして、「菜園」や「畑」はイタリア語だとOrto(オルト)というので、同じだろうと思って使ったらしいんですね。そしたらあとで調べたらスペイン語ではオルトはお尻の穴だったそうです。「ああ、私のお尻の穴にこの種類の豆があるよ」と市場の人に言ってしまったんですね。かなり笑えます。
イタリアより食事の時間が遅いからね、と言われていたけれど、本当に遅くて、夜の10時半に始まったディナーはスペインならではのトルティージャ(具沢山のふわっふわのオムレツ)や、Lの旦那様のPが腕によりをかけてつくったスペイン北部の家庭料理(ミートパイ)までいただいて、みんなで飲んで、議論して(みんな英語ができるのでだいたい英語でしゃべってくれましたが、イタリア語、スペイン語も飛び交っていてすごいことになっていました)夜中の2時までわいわいと時間を忘れて楽しみました。帰ってからはどうやってベッドに入ったか覚えてないくらいヘトヘトになってました。
こんな感じのペースでセビリアを満喫したので週末はとにかく遊び通したという充実感でいっぱいです。ローマへ帰る飛行機が1時間半ほど遅れてしまったのでチャンピーノに駐車しておいた車で帰って(家までは20分くらいです)、家に到着してみて初めて、自分がいかに自分の年齢のことを忘れて若いときみたいに遊んでいたか思い知らされるほど全身がガクガクしてました。でも留守の間に来てくれていたGがベッドをふんわりにしておいてくれたので倒れるように眠ったら翌朝にはスッキリしましたけど。また小出しにしながらセビリアの思い出を書いてみたいと思います。
セビリアへ
WHOへの出張から帰ってきて、今日は朝から仕事をこなし、これからスペインはセビリアへ行ってきます。というのも仲良しのイタリア人の友達のCとそのボーイフレンドのCが大学院留学のためにセビリアに行ってからというもの、毎回連絡を取るたびに「次はセビリアで会おうね!」と言うのに、フットワークの重い私は全然セビリアへ行く計画を立てず、なんと2年が経過してしまったんです。このままだと賢いCはさっさとPh.D.を取ってしまってセビリアからいなくなっちゃうと思い、えいっと腰を上げて行くことにしました。
そして昨日Cから届いたメール(太字と下線は原文のままです):
「Masamiへ、
明日が全然待てない私は最終情報を送ります。
天気:セビリアは真夏です。予報によると週末はいい天気で、さわやかな朝と暑い午後になるみたいです。
空港からの交通:オプションは2つあります。
バス:出口の目の前に空港にひとつしかないバス停があります。バスは30分に1回。バスに乗ったら20分から30分くらいでセビリアの中心地に到着します。降りるのは最後のバス停のPrado。降りるところへC(彼)が迎えに行きます。
タクシー:だいたい20から25ユーロくらいかかります(空港からはフラットレート)。でも絶対25ユーロ以上になることはないのでだまされないでね。日本人に見えるから危ないよね。あ、日本人か。でも絶対乗る前に価格確認してね。そして「プラザアルファルファ」まで行って、と告げてください。C(彼)がその広場まで迎えに行けるはず。
結論:セビリアの空港に着いたらとにかくC(彼)にsms(番号はこれ:xxxxxxxxx)を送って、バスに乗るのかタクシーに乗るのか教えてね。もしバスに乗るなら、バスに乗ってからまたsmsを送ってください。
これでクリアーだよね?
ビッグハグ
Cより」
はい、クリスタルクリアーです。行って参ります。まずはチャンピーノまで運転しなきゃ。