ハイドラバッドのビリヤーニ

昨日やっとのことでローマに帰ってきました。なぜやっとのことで、とついているかというと、最初の日にも書きましたが、KLMが私の荷物をなくし、結局帰り着くまでなかったのです。

が!アムステルダムでも騒ぎ、ローマでも騒ぎまくったおかげか、その日の夜に電話がかかってきて「見つかったので空港までとりにきてほしい」ということでした。運んですらくれない。でも運んでもらっても仕事中は家にいないのでそれも困るなーと思っていたところだったのでさっそく空港に取りに行きました。

そしたら何故か厳重にロックがかかっています。アリタリアの印のはいったワイヤーまでかかって、ペンチなしには開けられないようになっていました。その場で開けるのは不可能だったのでなんとなく疑いつつも家に帰ると案の定、中のポケットというポケット、ファスナーというファスナーは開けられていて、「売れそう」なものだけ抜き取られて盗まれていました。

Continue reading “ハイドラバッドのビリヤーニ”

インドは叫ぶ

何だか抽象的なタイトルに見えちゃうかもしれませんが、実態はなんてこともなく、堀田氏の有名すぎる例の著書の結びが確か、西欧の国々が「死ぬのは嫌だ」と言いながら過ごしているのに対して、インドは「生きたい!」と叫んでいるのだ、というような内容だったため、その本を読んだ13歳の頃からずっと、私の中では「インド」は「叫んで」いるのです。
でも良く考えると、「インドは」じゃなくて「アジアは」だったかもしれない。
いずれにせよ、こうして初めてインドで数日過ごしてみて、まあそれがピッタリの表現だとは思いませんが、正直言って当らずといえども遠からず、といったところなような気がしてきました。インド、割と叫んでます。
まずこの国の人々のクルクルとしたまん丸の目に主張の強い眉、褐色の肌に映えるぷりっとした口元からのぞく真っ白な歯、そしてそこから出てくる英語!あのぅ…やっぱりそれは英語なんですよね…英国統治だったからきっと私のアメリカンかぶれのそれよりずっと正統派の英語なんですよね…。と気が小さくなってしまうほどに、ほぼ聞き取り不可能な英語。ちょっと江戸っ子なイントネーションも、リスニングの難度をかなりアップさせますが、その早さといったらすごいです。さすが2ケタの九九を国民全員スラスラ言えるだけあります(しちはちごじゅうろく、というのに3秒くらいかかるのにどうやって2桁ずつの九九を早口なしに言えようか)。

Continue reading “インドは叫ぶ”

インドのホテルの窓から。

出張でインド南部の町、ハイダラバッドに来ています。気候も良くとても過ごしやすくて良いところなのですが、スーツケースなくされました。必要最低限のものは機内持ち込みしていましたが着替えなどがなくて非常に困り、今日は一日ショッピングしてました。あまり質の良いものとは思えないけれどとりあえずスーツぽいものを購入し、そしてインドの服をチュニック風に着れたらいいなと思っていろいろ吟味してひとつ買いました。下着や必要なものもいろいろ。

そしておなじみになりましたが、ホテルの窓から一枚パチリ。インドではいろいろな人が考えたり人生を変えたりするそうですが、ここ「インドのシリコンバレー」と呼ばれるハイダラバッド、あのー、全然シリコンバレーじゃないんですけど。

でも相変わらずのインド風カオスがいっぱいで何となく楽しいのは確かです。この写っている道、早朝から渋滞がひどく、6時半くらいから、まるでコンテンポラリーミュージックかと思うほどのクラクションの雨あられ。一緒に来ている上司は朝食に来るなり頭を左右にふって「全然眠れなかった!」と言ってました。わたしは結構寝ましたけどね。週末はショッピング以外ではミーティングをいくつかすませ、明日にそなえました。スーツケースがなるべく早く届くのを願って、仕事がんばってきます。

ブータン・インドの国境の町から

Phuentsholing, Bhutan

ブータンに来ています。先週末は7時間ほど首都のティンプーから南へ、ボコボコの道を、ボヨンボヨン(まさにそんな感じ)と車で飛び跳ねながらドライブして、フンショリン(とブータンの人々は発音しているように聞こえますが、実際のスペルはPhuentsholingです)という国境の町に行ってきました。ここは自由交易の町なのでインド人とブータン人は気楽に行き来していてパスポートチェックすらありません。ただやはり検疫(植物や動物、食物など)はしなければいけないので、私が今一緒に仕事をしているオフィサーはここでの仕事を私たちに見学させてくれたのです。

Continue reading “ブータン・インドの国境の町から”