世界3大がっかりにリーチ

Copenhagen

もうすっかりローマに帰って来ていつも通りの生活に戻っている私ですが、気持ちは主人と両親と旅行の思い出にひたっています。写真で分かるようにコペンハーゲンでは例に漏れずちゃんとザリトルマーメイド見てきました。でもお分かりのように、ちゃんとその場所までバスでせっせと行って見てきました。前日にちゃんとボートから背中を見たにもかかわらず、です。ボートからだと背中しか見えないというのが、なんとなく顔を見たいと思わせる憎い演出な気もしてきますよね。

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Bridget Jones: Mad About the Boy

bjmatb.jpgBridget Jones: Mad About the Boy (Helen Fielding)
まずiBooksのセールで出版直後にダウンロードして2時間で一気読みしたあと、今度はゆっくりと少しずつ毎日読んでいたんですが、昨日やっと感想が書けるような気持ちになりました。いろんな人がいろんな感想を書いていて、やっぱりシリーズ物の久しぶりバージョンだとこうなるのか、と思うくらいに悪いリビューもあったりするんですが、私は一言で言えば好きでした、51歳のブリジット。
とりあえずかなり笑えます。3ページに1回くらいのかなりの頻度で声を出して笑う部分があります。非常に下品な笑いもあります。私にもTee Heeって笑う友達がいるのですごく分かりやすいgiggleです。ふいに涙がでるところもあります。伏線も盛り上がりもなく、たったの2行で泣かせるなんてすごいと思ってしまいます。78kgから60kgへのダイエットもあります(グラフ付き)。その人を殺しちゃだめでしょ、と思うところもあります。その人をそんな病気にしちゃだめでしょ、というところもあります。ウィットに富んだツイッターがすごいです。Toy boyとの2度目の別れがものすごく説得力があります。ブリジットぜんぜん成長してないのはこの話の流れからおかしいでしょう、と思うところもあります。でも最終的には伏兵(でもなかったけど)が飛び出して納得の終わりです。あっという間に読めるけど、読み応えありです。
私ももしこれからこの本をしまっておいて(クラウドに)、そして50歳過ぎてから改めて読んでみたら、他のアマゾンのリビューワーみたいに「50過ぎてまだこんなことやってるなんて人として魅力がないわ」とか真面目に思っちゃったりするんでしょうか。興味津々です。和訳でどのくらいこのブリティッシュジョークの真っ黒さが伝わるか、日本語版にも興味津々です。

チーズと塩と豆と

チーズと塩と豆と(井上 荒野・江國 香織・角田 光代・森 絵都)
この本は女流直木賞作家4名の短編集ですが、その中でも私が特に感想を書いて残しておきたいのは、角田光代さんの「神様の庭」。本の帯の「愛と胃袋、直木賞作家が食べて書くヨーロッパの田舎」という一文に含まれる「食べて」と「ヨーロッパ」という2つのキーワードにつられて軽い気持ちで買ったのですが、東京の姉の家を訪ねる電車の中でうっかり読み始めてしまい、読みながらこらえてもこらえても、ひたすらとにかくこみ上げてくる嗚咽となんともいえない感情に、何度も本を閉じて深呼吸をしなければいけないほどでした。50ページ弱のただでさえ1ページの文字数の少ない短編なのにこの読み応え。角田さん天才だと思います。感動しました。
日本人ではない登場人物と完璧にも日本ではない設定の物語なのに、限りなく深い何かを共有した気分がしました。「古い」家族とのすれ違い、時代と世代の違い、これらは世界共通、言葉も文化も時間も場所もなにもかも超えて、誰でもどこでもいつでも多かれ少なかれ経験することなのでしょう。アイノアのお父さんがバルセロナでの夕食のあと「こんなひどい店ばかりなのか」と言ったとき、その言葉そのものも、その先に起こることも、全部私がすでに経験したことだったと感じるような不思議な錯覚にとらわれて、正直びっくりしました。
私は幸運にも「食」に密接にかかわる仕事をしていることから、「食」が持つさまざまな意味を考えるチャンスがたくさんあります。先日イタリアの農家のおくさんに優しく「ローマではいつもひとりで食事をしているの?」と聞かれたことや、「ときどき、不思議と、日本にいる家族と、平凡な夕食をただもくもくと食べている食卓の夢をみることがあるのよ」と言ったパリで働く女性の話なんかが、またこの本を読みながらわーっと私を襲って来て本当に涙を表面張力でキープするのに困りました。
ところで、先日パルマの学会で知り合ったオーストリアの政府の食品安全技官の若い女性と頷き合って合意に達したのが、「正しい食生活」や「ナチュラルな食事」、「体にいい食べ物」や「ヘルシーな食品」などという話を始める人がいたら、その人が本当に栄養学を包括的に勉強したかどうかチェックするべきだ、ということ。彼女は今ウィーンで急激に増えている拒食症のカウンセリングを任せられたことがあるということをはなしてくれて「結局私が10年以上努力して勉強した栄養学は、拒食症の人が抱えている問題の核心に触れることすらできないのよ」と言いました。私も深く同意して「私もアメリカで超肥満の人のカウンセリングをホスピスでやったことがあるけれど、全く同じことを考えた」と言いました。もちろん、栄養学は「技術的」な「解決策」を提供するときに不可欠ではあるけれど、「なぜ拒食症・超肥満になったのか」「どうやって治すのか」という根本的な解決には「技術的な知識」は往々にして無力だったりするのです。当たり前すぎることを書くようで非常に恐縮だし、誤解をおそれずに書きますが、こういうときカウンセリングする立場にある「栄養学の専門家」の人に本当に必要なのは「包容力のある優しさ」「理解、あるいは理解しようとする本気の心」とともに、「栄養学だけでは解決できない」という認識なのです。そしてこう書くと、話がまるで360度戻るようですが、その優しさ、理解、認識を自分のものとするためには、結局、栄養学を包括的に学ぶことが必要なのです。
そして栄養学を包括的に学ぶと、何故か、いかに家族というもの(あるいは家族に近い人々)が大事かが分かってきます。そして、その人たちと笑いながら、楽しみながら、時にはケンカしたり泣いたりしながら、一緒に食事をすることが、どうしてそんなに大事なのかが分かってくるのです。

小さいおうちと教育勅語

51XFHk7aQRL._SL100_.jpg小さいおうち(中島京子)
久しぶりにブログを更新してます。9月の10日から熊本の両親が遊びに来てくれていたのと、そのあと主人のAさんも合流してくれてすっかりちょっと遅めのバケーションを楽しんでいたのでインターネットから遠ざかっていました。日本からAさんが「ハイ、直木賞受賞の本。読みたかったんでしょ」とこの本を持ってきてくれました。すごく嬉しかったのでゆっくり楽しみながら読もうと思っていたのに、Aさんが日本に帰る前に読みおえてしまってちょっともったいなかったかな、と思っています。
本は構成が斬新といえば斬新だし、著者はものすごい量のリサーチをしてこの本を書いたんだろうなと思えるものなので、とにかくそのことに感激します。主人公のタキさんは、大正生まれの私の祖母とはなにもかもが全然違うんですが、それでも、この本を読んでいると私の祖母のことを思い出さずにいられないというのがその「時代」というものの存在の大きさでしょうか。私の祖母は当時の女性にしてみるとものすごくクールな性格で「現実主義」という言葉がしっくりくるタイプなので、この本に書かれているようなモガのような華やかな世界とは遠いところにいる人です。昭和一桁のころに女学校で教育勅語が異常にうやうやしく扱われ、直視してはいけないと全員うつむき目をつぶっていたところを「私は薄目を開けてみてたけどね。紫色の風呂敷につつまれててありがたそうだったけど、良く見たら普通の綴じ本だったよ」としゃあしゃあと言ったことがあるくらい。
脱線しますが、教育勅語って実は今の時代にこそ必要なものじゃないかとふと思うことがありますね。
親に孝養をつくそう(孝行)
兄弟・姉妹は仲良くしよう(友愛)
夫婦はいつも仲むつまじくしよう(夫婦の和)
友だちはお互いに信じあって付き合おう(朋友の信)
自分の言動をつつしもう(謙遜)
広く全ての人に愛の手をさしのべよう(博愛)
勉学に励み職業を身につけよう(修業習学)
知識を養い才能を伸ばそう(知能啓発)
人格の向上につとめよう(徳器成就)
広く世の人々や社会のためになる仕事に励もう(公益世務)
法律や規則を守り社会の秩序に従おう(遵法)
正しい勇気をもって国のため真心を尽くそう(義勇)
そういえば久しぶりに両親と濃密な日々を過ごしたためか、これからの日本は何に力を入れるべきかなんていう壮大なテーマまで話したりしてすごかったんですが、受験勉強のための「教育」やカルチャースクールのような「教育」ではなく、この勅語のような「教育」が大事なのかもしれませんね。
いやこんなことは本の内容とは全く関係ありません。すっかり脱線してしまいました。本を読みながら私が胸を突かれたのはもっと違う部分だったはずなので今度またゆっくり感想を書き足したいと思います。

オルセーリベンジ、そして謙虚であること

国立新美術館

休暇で一週間日本に帰って来ています。パリで悔しい思いをしたので、旦那さんのAさんに「行く?」と聞いたら「行きたいと思っていた」というので、先日の3連休の中日に早起きして国立新美術館のオルセー美術館展に、結局行ってきました。連休だしものすごく混んだりするんじゃないかと思って開場が10時なので9時15分頃到着してみたら、すでに長蛇の列。と思いきや、特に待ち時間はなく、9時半に早めに開場してくれて5分後には私たちはモネの庭の蓮やタヒチの女たちを至近距離で眺めていたのでした。

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