The Tree of Life

2011-08-16.jpgThe Tree of Life (2011), (A-)
今まで見た映画の中でも3本の指にはいる超のつく難解映画でした。難解すぎて唖然とします。周囲の数人が途中で映画館を出て行き、周囲の多数の人々がスヤスヤ状態でした。一緒に行ったAさんも途中かなり危なかったみたいです。
私は全く解読できなかったので、もう一度見たいなと思いました。だから評価高めです。
結局分からずじまいで悔しいので、ランダムに箇条書きで思ったことを。

  • Father と father(イタリア語でPapa と Papa’)が最初から混乱しました。どっちに語りかけてるの?どっちも?
  • 母と、弟が導いてくれたということは「正義」や「善人」が導いてくれて、父親と自分はその逆にあるということかな?
  • ナチュラルに生きるということを世俗的に生きると訳されている。。。それってどうなんだろうと思ったけれど、本当にナチュラル(自然)ということは動物的に本能的に生きる=利己的に生きるということなんでしょう。
  • ハッブル天文台の写真かな、とてもきれい。キレイなものと恐ろしいものは常に同じものに同時に存在している。
  • 好きであることを表現するためには好かれていることが前提だから、難しいな。
  • 「チャンスを待っている間にすりぬけてしまった」的なことは成功する人のメンタリティでなかったということだけれど、それと同時に大切なものを得ている(=成功すると得られなかったもの)ということで理解できるかも。
  • 謝るということは勇気がいるけれどパワーがある。謝ってどうなるというものでもないけれど、その影響力は計り知れないと思う。
  • 成功する人は善人ではいけないというのはあらかた正しいと思う。少なくとも、冷ややかすぎるほど物事を客観視できる必要がある。そしてそこまでして成功したいかどうかというのは個人の価値観であって、最初の「ナチュラルに生きる」か「グレースに従って生きる」かというところなのかも。でも神を信じていない私には後者に説得力がないかも。
  • 森の風景にモルダウの大音量合唱が結構強烈!
  • 最後の天国的なビーチ?はなんのことなんでしょうか。結局大事なものは身近な人々なんだよということ?
  • 末っ子はどこにいっちゃったの?

いつものようにトレーラーコピーしておきます。

Super 8

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Super 8 (2011), (B-)
昨日の夜、Aさんと一緒に自宅から徒歩2分のモールのレイトショーで観てきました。結構怖い前半にびっくりしましたが、B-の、超上から目線な辛めの判定なのは、「予想できた結末」という部分と、カッコ良かったお父さんの内面のようなものをもう少し見たい気分になったという部分、あと長時間逆さに吊られていたのに、降ろされたら速攻走れる違和感たっぷりの部分なんかが全体的に残念賞だったような気がするんです。
ペンダントの部分は「スタンドバイミー」のコームを落とすシーンのようだったし、結局さまざまな「少年が大人になる」映画がいろいろと混ざって、プラス少年の好きそうなスプラッターやモンスターな要素が入り、淡い初恋も入り、で盛りだくさんでしたね。ひとつひとつはいいのに、たくさんすぎてぼやけてしまったのかしら。
でもエンドロール後のSuper 8の部分はかなり上手でよかったなーと思いました。チャールズ目線で全体を見たかった気もしました。
最後にトレーラーコピーしておきます。

Changeling

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Changeling (2008), (A-)
我が家ではアップルTVがかなりの大活躍で、これもレンタルで観ました。iPhoneがリモコンになったりして便利ですよね。この映画はとにかく怖かった。誰も信じてくれる人がまわりにいない状態に身を置かれて、何を言っても何をしてもダメという状況は本当に心が病んでしまうだろうと思ってしまいました。タイトルもかすかに怖い。言い伝えや童話って面白かったりためになったりする反面、どこかしら怖いような寂しいような感じもしますよね。大江健三郎さんの小説も思い出しました。あれはちょっと私小説っぽい雰囲気ですけれど。
アンジェリーナジョリーさんはキレイで、その強烈な存在感は、私の中ではGirl, Interruptedの印象が強いので、こういう役は本当に一番合うというか、美しくも少し狂気じみている感覚があって、本当に変なのは彼女なのかもと思わせられる可能性があるという意味で、脚本もちょっと変えれば良かったのにと、一瞬思いましたが、やっぱりTrue storyということなので、本来のメッセージを伝える意味ではこれがベストだったのでしょう。LAPDやアメリカの組織につぶされる可能性のないクリントイーストウッドが監督であるということもポイントかもしれませんね。
心理的にすごく怖かったのと、路面電車が走っている頃のロサンジェルスを再現していたのがすごかったので、A-です。
[ DVD | 日本語DVD ]

トレイラーくっつけておきます。

恍惚の人

img_1198132_34943323_1.jpeg恍惚の人 (1973), (A)
先日、熊本の実家で母と夜更かししながらおしゃべりしていた時に、NHKのBSプレミアムの「山田洋次監督が選んだ 日本の名作100本家族編」という番組で放映されていたのがこの映画です。私の生まれた年の公開ですので当然白黒の映画ですが、重いのに軽い、軽いのに重いという何とも言えない映画でした。心にすごく残りました。当時流行語ともなったというこの「恍惚の人」、母が森繁久彌の姿を見てすぐに、「これ、『恍惚の人』じゃない?」と言ったくらいなのでかなりの話題作だったんだと思います。というのも、母は映画は好きなんですが、暗いところに行くとスヤスヤしてしまうタイプなので、1シーンを見てすぐタイトルが分かるのはすごいことなんです。その森繁久彌、解説を聞いて初めて知ったんですが、この84歳を演じた時は59歳だったらしいですよ。途中に白黒映画だからこそのシーンである、泰山木の美しい白い花をじっと見るシーンがあるんですが、そのときの表情を見ていて何とも言えない気持ちと記憶といろいろなものが混ざってこみ上げてきて苦しい気持ちになりました。
そしてなにより印象的なのがこの高峰秀子さんの美しさ。今の芸能界ではハーフのモデルさんや、日本人離れしたしっかりした目鼻立ちの美人さんが人気で、確かにみなさんものすごくカワイイなと思うのですが、この高峰秀子さんのように、日本的でかつ、類い稀な美人というのは最近はあまり出てこないなぁと思います。道子妃殿下を見てもいつもそういうふうに思います。お若い頃もそうでしたが、今も、美しく凛としていらっしゃる姿を見るとため息が出ます。この映画の最後のシーンで、高峰さんが鳥かごをじっと見つめながら「もしもし…」とつぶやくところがあるのですが、監督はこの高峰さんの美しさをこういうふうに撮影したい、そしてラストシーンにしたい、と強く思ったんだろうなぁと思ってしまいました。本当に美しいです。
そして主題ですが、老いと認知症と介護のお話です。原作の有吉佐和子さんによるとそれまではまるでタブーのようになっていて触れてはいけないような雰囲気があったのと、文壇で扱うにはあまりにも俗っぽい話題だったりして、ベストセラーとしての評価は得ても、作家としての評価は高くなかったそうです。『日本外史』の中で三好長慶のことを「老いて病み恍惚として人を知らず」と言ったというところからとったという、この原作のタイトルがすばらしいですよね。
母に聞いてみると、この映画は、母の友人が語るいろいろな認知症の方の症状をそのままよくとらえていて、ひとつひとつの奇行が、本当によくあることで(おなかがすいたと常に訴える、電話のベルに強烈に反応する、家を訪れる人を賊だと勘違いする、どこでも眠る、閉じこもる、排泄物に関する奇行などなど)、映画でそれらを、決して大げさに見せるでもなく、解決法を見せるでもなく、重すぎず、軽すぎず、丁寧に描いてあるのが本当に現実的でハっとさせられました。実の息子や娘(小姑)の態度や、若い受験生の息子が意外にもしっかり手伝ってくれているという事実など、いろいろな部分がリアルで本当に考えさせられました。ちょっと自分で面白かったのが、私の場合、映画を見ながら高峰さん(介護する側)に感情移入したのではなく、思いっきり森繁久彌さん(介護される側)に感情移入していることに気づいたんです。
映画では当然当時は「認知症」という名前ではなく「老人性痴呆」というふうに表現されていましたが、昔はこうなってしまった老人はちょっとした精神障害があるとされて家に閉じ込められていたことも少なくなかったとか。長慶もきっとアルツハイマーのような状態だったんでしょうか。介護、介護というけれど、難しい問題ですね。あくまでも「理想」としては、私は家族が家族のことを思いやって必要なことはしてあげる、してもらう、そして心の底から感謝しあう、介護してもらう方はお礼ができるならする、介護してあげるほうはしてあげるのが当たり前だと思う、見返りは求めない、というような基本的なことが家族の中にあって、その上で介護に関する社会的な援助システムを利用する、というのがベストだとは納得するんですが、こういったことはそれなりの経済力や時間的な余裕、それまでの人間関係や地理的な状況などが複雑に絡み合っているので、理想をそのままいつでも誰でも実行できるわけではないですよね。
だからやっぱり、もし私が将来認知症になったりしたことを考えると、私は家族に優しくしよう、今私ができることをして、私の身の回りの人に少しでも助けになることをしよう、どんなに気の合わない身内がいたとしても、なるべく理解をするように心がけよう、そして今のうちから、将来経済的に困らないようにちゃんと計画しておこう、などなどいろいろと先回りして考えてしまいますね。考え過ぎなのかもしれませんが。
そういうわけで若い頃の森繁久彌さん、私がよくテレビで見ていた90歳前後の森繁さんよりずっとおじいちゃんらしくて、それを見るだけでもこの映画を観る価値があると思います。そして美しい美しい高峰秀子さん。それに尽きます。

阪急電車

阪急電車 (2011), (A-)
連休中ずっと家でしずかにのんびりと過ごした私たち夫婦は、連休最終日の今日(まだ「なか日」の方もいらっしゃるかもしれませんが)はさすがに外に出かけて映画でも観に行こう、ということになって、大阪出身のAさん家族の毎日の足ともいえるであろう阪急電車がたくさん出てくる、その名も「阪急電車」を観てきました。Aさんの実家は阪急千里線沿線ですが、この映画の舞台は阪急今津線(北線)。大阪の実家に遊びに行かせていただく度に乗る阪急電車ですが、艶やかなえんじ色の車体に落ち着いたグリーンの内装で、まさに昭和な電車風なので鉄道に詳しくない私もかなり好きな外見です。
九州出身の私の勝手なイメージなんですが、宝塚からの阪急沿線はなんとなくですけどステータスとまではいかなくとも、ちょっと上品なイメージがあっていい感じなんですが、私が乗ったことがある梅田までの沿線ではなく、神戸方面行きの電車なのですね。神戸のおばさまたち(とは言いがたい「おばさまたち」でしたが)の言葉が、千里線の中で聞く関西弁よりかなり神戸寄り(よりキツい関西弁?)のような感じがしましたが、こればっかりは関西の方に聞いてみなければわかりませんね。時々関西弁講座をAさんに開いてもらう私が今日、この映画を見る前に「私の関西弁もなかなか上手になったやろ?」と言ってみたらAさんに「あなたの関西弁はな、基本がぜんっぜんなってへんねん」とスッパリ言われました。Aさん、わりと穏やかな性格だと思っていたんですが関西弁になるとちょっとだけ性格も変わる気がする…。
さて、映画ですが良かったです。あまり期待せずにいったので、びっくりするくらいよかった。流れとしてはLove actuallyのような感じだと思いました。最初の方に南果歩が演じる主婦の3人家族のテンポのよい団らん風景に、何故かいきなり号泣してしまったので、その後映画を通じてほんのちょっとしたことに涙腺を刺激されてしまい、良い音楽だったこともあってずっと泣けてしまいました。よく考えるとそんなに感動的なことは盛り込んでないはずなのに、不思議。中谷美紀がキレイで、私の身近なある人ににてるなぁと真剣に思ったので、映画のあとAさんに「中谷美紀ってさ」と話しかけると「XXさんに似てるんでしょ、思ったよ。まぁ当たり前だけど中谷美紀の方がキレイだけどね」と言ってくれたのでやっぱりそうかと思って安心しました。XXさんが恥ずかしがるといけないのでここには書きませんが、後日、本人に伝えようと思います。
1800円の価値があったかどうかはちょっと厳しい感じですが、日本で、ゴールデンウィークにこれをAさんと一緒にこの映画を観た、ということが私にとっては価値があったと思ったので満足です。ほっこりしたい人におすすめで、あまり感情を刺激されるということはないのでのんびり観れるはず。原作の文庫本もさっそく買ってきたのでこれから読もうと思います。