Gravity

gravity-poster-jpg_030656.jpgGravity (2013), (A)
話題の映画、見てきました。何と2回も。最初は私サンドラブロックさんの大ファンだし、とりあえず見たいと申し出てAさんと普通に字幕版を観に行ったんですが、かなりすごい映像だったので急に3Dが気になって吹き替え板も観に行ったのでした。いや、吹き替えが微妙すぎてやっぱり2Dでも良かったかもしれない。でも涙のところやあのおそろしいいろいろなものが飛んでくるところなんかは3Dじゃないと迫力が半減、などといろいろと考えてしまって結局どっちが良かったかは結論はでないままです。
いろんな宇宙飛行士たちが「宇宙をどうしてあんなにリアルに撮影できるのか」と驚いたという話や、メイキングの「無重力じゃないところであの映像を撮影した」という話などにも非常に驚くのですが、そういうテクニカルな事より何より、私はやっぱり全ての流れに置いて人の気持ちの細やかな部分を全く無視しなかったのがこの映画の成功だと思いました。仏教のメディテーションやキリスト教のお祈りについて考える時によく思うんですが、人は日々のいろいろな事柄、身近な他人との人間関係、家族や大事な人や自分にとってつらいことや難しいことなどが自分を落ち込ませたり弱くしたりしていると思いがちですね。そしてそういうことは避けたい、と思いがちです。でもそうやって困難なことを経験したことと、そして頑張って得た様々な知識、訓練、様々な考えを持った人たちとの交流によって得た理解などによって、実は少しずつ少しずつ強くなっている「自分」というものが、実は最終的には肉体的にも精神的にも、一番ピンチに陥った自分を助けることになる、と強く思うのですね。他人と交流しない人に他人の気持がわかるでしょうか、自分の気持がわかってもらえるでしょうか。人の痛みを見た事がない人に突然訪れた自分の痛みを癒す事ができるでしょうか。この映画は、私が日頃思っているそんなすべてのことを、私が今まで考えもつかなかった方法で全部事細かに表現していました。私が一生懸命日々考えていることなんて既にたくさんの人が考え尽くしているという一番の例ですね。そして、実はこの映画に関わる人たち自身が、本当はひどく悲しいことを経験したりそれを乗り越えたり困難に立ち向かったりした結果、心を少しだけ強くして、こうしたストーリーテリングができているんだと思うだけで純粋に感動します。
この映画を見てない方にはネタバレになりますので以下は読まない事をおすすめします。下に映像を貼付けていますがいつものトレイラー(予告)ではなく、かなりネタバレの映像になるのでそれも、見てない方は映画を見た後にご覧になることをおすすめします。
映画中盤のメイデイコールを傍受した人がいましたよね。なんとあの部分がAningaaqというショートムービーになっています。Youtubeで見ることができます。私の心からのおすすめです:映画を見た後でご覧ください。こちらからみてしまうと心からがっかりすると思います。

本当になんということでしょう。田舎の雰囲気はしましたがまさかこんなに過酷なところにアニンガがいたとは。彼と家族がイヌイットだったとは。そしてあの犬がそんな状態だったとは。途中から涙が止まらなくなってしまいました。誰もが皆、まわりの命に支えられている、まわりの命を犠牲にして生きなければいけないこともある、それが信じられないほどつらすぎることもある、でもそれでも、生きろ、という強いメッセージだと思いました。そして最後の音。絶対にくると分かっていたのにびくっとしてわっと泣いてしまいました。あそこからは雲が厚くて空さえも見えないけど一瞬見える光の流れ。そしてまわりには重力だけで積もっている大量の雪。
邦題をゼログラビティにした人の意図が全くわかりません。グラビティって重力のことだけじゃない。大事だってことだったり大切だってことだったり、いろいろな意味が含まれています。そして映画の最後、必死になって水から這い上がるライアンの部分、重力がゼロじゃないからこそのありがたみ。あそこにかぶるタイトルの文字がとても大事だと思います。なんで普通にグラビティじゃいけなかったのか全然分かりませんでした。
これから先も何度も考える事になるだろう映画でした。本当に良かった。評価はアニンガのショートムービーとのセットでAです。

あなたへ

20130406_anatae.jpgあなたへ (2012), (A-)
今日実はローマに帰って来たんですが、日本で昨日の夜、Apple TVで見ました。ストーリーとしては全編を通してだいたい予想通り、想像通りに話が進んで行き、ロードムービー的な良さもあり、と、たんたんと(でも常に泣きながら)観ることができました。びっくりといえばビートたけしのくだりと最後はやっぱりどんでん返しと言えなくもないんじゃないでしょうか。想像していたといえばしていた気がするけれど「鳩」になるところは予想していませんでした。高倉健さん、実は私の父の永遠のヒーローなんですけれども、あんなにもっさりとした服を着て口数少なくただそこにいるだけなのに、あの異常なカッコ良さはなんなんでしょうか。ズルすぎると思いました。
さてここからネタバレになりますが、この映画の残念なところと言えば綾瀬はるかさんの長崎弁(というより平戸弁か)かな。もう少し頑張れたはず、と思ってしまいました。イントネーションが東北アレンジっぽくなってしまっていて、もうそれだけでいくら語尾の言葉が同じでも違う方言に聞こえてしまうのです。でも激烈にかわいいからいいか。そしてたぶん、すべてを完璧な平戸弁にしてしまうと、映画を見ている人がワケわかんなくなるんだろうなとも思います。大滝秀治さんの名セリフの「ひさしぶりにきれいなうみばみた」というのを完璧な長崎弁で言ってしまうと、「さしかぶいにきれかうみばみた」になるはずなので、忠実にしすぎるとせっかくの名台詞が伝わらないというジレンマが生まれるのでしょう(「きれか」は「れ」に強いアクセントをつけ、音はのばさない)。そうそう、百恵ちゃんジュニアも非常に良かったです。ジュニアといえばもちろん佐藤浩市さん、カッコよかったです。それにしてもあんなにずっと無言だったのに、健さんと口数少ない同士、すごく分かる部分があるんだなと思いました。最後「主任」の話を聞くわけでもなかったのはきっと「彼は大丈夫」と思ったからなんでしょう。みなさんいろいろ抱えていてさまざまな状況がありますよよね。現実社会でも。予告編つけておきます。

それにしても久しぶりのローマなんですが、まだ春がきていないことにびっくり。はーやくこい!

My week with Marilyn

week-marilyn-stills-2011-weinstein-company-poster-64731.jpgMy week with Marilyn (2011), (B+)
昨日仕事帰りに友達と一緒に観に行ってきました。実はここ数年、結構いいペースで頻繁に映画を見ているにもかかわらず、私ぜんぜんここのページで更新していませんね。すみません。つい最近はジョニーデップのヴァンパイア映画を観に行ったんですけど、もはや内容を忘れてしまいました。さてこの映画ですが、マリリンモンローという特殊な人を扱っているというのは分かりきっているにもかかわらず、月並みにも「ああ、こういうひといるよね」という感想を持ってしまいました。こういう、女の人、時々いる。
彼女のジョークがウィットに富んでいるところ(実は賢い的な)なんかがわりとハイライトされていたと思うんですが、そういう演出は私はあまり好みではなくて、別にいわゆるセックスアピール部分を強調されすぎたばかりに、「ブロンド」扱いされてしまった、ということは結局のところは本人にとっては単なるきっかけに過ぎなかったんだと思うんです。かえって、そうやっていろんな人から讃えられ、憧れられ、スターになっていってしまったために、逆に人から人気がある、カリスマがある、もてはやされる、ということと、身近な人に、自分を唯一無二の存在として大事にされる、ということと「愛され方」の違いを徹底的に知らされてしまったのが不幸だったのかなと思いました。一般人の私なんかには分かりかねる部分でもあります。
映画としては全体的に時代のおかげというか、音楽がとても「古き良き」時代の物だったのが素敵でした。ジュリアオーモンドさんのヴィヴィアンリーの役もはまり役だと思いました。評価は普通、でも音楽が良かったのでB+です。

Hereafter

hereafter_smallposter.jpgHereafter (2010), (A-)
AさんがApple TVでレンタルしてくれたので観たんですが、クリントイーストウッドさすがですね。これは初めの方があまりにタイムリーでリアルな津波の映像だったので日本では自粛という形だったと思うんですが、本当にリアルで映像をみているだけで泣きそうになったまま、全てのストーリーがだんだんつながりそうになってくるところでドッときました。
私はサイキックというのは良く分かりませんが、「臨死体験」をしたひと(そして同じ文化を共有する)誰もが同じ話をするっていうところがすごいなと思っていたので(三途の川など)、ふーん、まあそういう考え方もあるのかなと思いましたが、それよりなにより、大事なポイントはその話が本当かどうかとかそういうことではなくて、もっと基本的な部分で、「身近な人を本当に大事に思う」ということはどういうことなのかとか(マットデーモンのお兄さん役の人は上手にそうでないことを演じていましたね)そういうことをずっと考えました。マーカス君かわいそうでしたが、これから大丈夫かなと思わせられたので安心しました。
トレイラーどうぞ。

We’re no angels

were_no_angels.jpgWe’re no angels (1989), (B+)
こんな名作におこがましくもB評価すみません。DVD借りて観ました。ショーンペンのやんちゃぶりが青くて懐かしい感じがしました。ロバートデニーロはすごくいいのにやっぱりショーンペンが全体的にかなり微妙に見えてしまうのは、頑張りすぎてるように感じるからかもしれません。日本人って、頑張りすぎる人はあんまり評価しないところがあるような気がするので、私もそんな感じなのかもしれません。すっごい上から目線ですが。まあ素人の映画の感想なんてこんなものでしょう。そうだ、これって逃げ出す理由になる張本人の罪人がめちゃくちゃ怖くてなんだかカッコいいです。
それにしても宗教のことを考えるといつも北野武原作の「教祖誕生」のことを考えてしまうんですが、ちょっと似てるところはあります。この映画もコメディ的な要素がたくさんあるわけではないけれど、要所要所で、ここで笑わせるの?と思うようなコメディシーンがあります。最後のショーンペンの「ブラウン牧師」の説教のところは私にとっては、感動ポイントでもあり爆笑ポイントでもあった(こっちのほうが大きい)気がしました。「そんなときポケットの中には何がある?」えーっと…銃?(大笑い)という感じ。
それでもすべての「奇跡」が実は奇跡ではなくて人工の偶然のようなもので、「ブラウン牧師」が言うように「すべてのことは頭の中で起こっている」というところで深く納得させられます。私は人生の中でまだ幸運なことに「絶望」を感じたことはなく、この年になっても近い人の死に直接面したことも非常に少なく、家族が不治の病だとか何かが不自由であるとかそういったことがないので、えらそうに「つらいこと」について話す権利はあんまりないんですけれど、それでもやっぱり日々楽しいことや嬉しいことがあるかわりに物事の大小はあれ、それなりに「つらいこと」というのもあるわけで、それが雪だるま式にどんどんふくらむこともあればさーっと解けてしまうこともあるわけです。そしてそのほとんどは人々の頭の中だけで起こっているということに納得してしまいます。誰か家族や友人が「大丈夫だよ」と言って肩をたたいてくれるだけで解けることもあるし、一人で引きこもってしまって手に負えない大きさの雪だるまになってしまうこともあるでしょう。
前にみてもらったことのあるアメリカのお医者さんが、「私東洋医学にもとても興味があるの」といって、以前に読んだという「身体の不具合は精神で治せ、精神の不具合は身体で治せ」という教えは正しいと思うと言っていたんですが、時々これは本質的なことだなと思うことがあります。精神的に不安定なときは何も考えずに運動したり走ったりして汗を流すと、何故かすーっと不安がなくなってしまうことがあるからです。どこかがすごく痛いとか、そういった身体の不具合はそれは西洋医学で治した方がいいですけれど、それにプラスしたメディテーション的な要素は割と大事な気がします。生活を規則正しくしたりすることでなくなる頭痛や、部屋を片付けることでなくなる疲労ってあると思うから。
そんなことを超脱線しながら考えて見た映画でしたが、最後はやっぱりきっちり捕まってほしかったというのと、ショーンペンが微妙だったという理由でB+です。デミムーアはキレイでした。