ちょっと仕事の話

週末にローマに帰ってきました。涼しかったエディンバーグから、日本の夏並みの蒸し暑さのローマへ。気温は毎日35度くらいになります。それでも私は夏のローマが好きです。ローマっ子たちがみんなローマの外にヴァカンツァに出かけるので、圧倒的に人が少ないのです。職場もがらーん。ランチも全く列を作らなくて良い状態でラクラクです。いつもこうだといいのに。
ということで、仕事もどんどん進みます。といっても、それはもちろん仕事によるわけで、チームワークが必要な仕事は全く進みません。チームの半分以上が夏休みだからです。でもひとりでできることはガンガン進みます。電話はほとんどかかってこないし、ミーティングもいつもの半分以下だし。
そこで今日、私はずっとあたためていた論文をえいやっ終わらせることに成功しました。3人の共著なので私だけの功績ではなく、実はひとりのスイス人の専門家がほとんどやった研究なのですが、彼が忙しすぎて論文にできないまま数年たってしまったので、「わたしやりましょうか?」といったらすんなりファーストオーサーくれました。でも今日最初の提出をしたばっかりなので、アクセプトされるのは(されるとしたら)来年の春頃かな。いやぁ、このプロセスを経験したことがある方なら分かると思うんですけど、この最初の一歩が強烈に面倒なんですよね。Elsevierのシステムなのでわりとサクサクのはずなんですけど、それでもやっぱり終わったときの達成感が、わりと強烈です。でもまだ次のリヴィジョンもあるし、まだまだ続くので達成感を味わうにはまだ早すぎるんですけど。
そしてその論文に関連した、所属機関の出版物もひとつ完成させました。私はナノテク担当なのですが、このページの右上のものがその本。これも2012年からずっとやっているものなので、出版できて本当に良かったです。ずっとやってきた何かが形になるのは、いくら仕事とはいっても嬉しいものですね。一緒に仕事をしてきた世界保健機関のオフィサーの方々も偶然日本の厚生労働省からの出向の方々だったので、楽しくお仕事できました。こんなところは絶対に見ていないと思いますが、Kさん、Mさん、ありがとうございました。いつもせっかちですみません。
さて私の夏休みまで一週間を切りました。あともう少し、このガラガラな職場環境でストレスも少ないはずなので、頑張って仕事しまくろうと思います!

本当の国際人とは

2週間連続で専門家会議をやっていたのでかなり開放感のある週末になっています。天気もいいし、観光客もたくさんのローマですが、私は家でのんびり中。というのも昨日は大規模デモの噂があったし、今日の夜からは交通ストがあるという噂なので、こんな時は家でいろいろと懸案事項を片付けるのがいいと思ったから。
それでちょうど日本の家族と時差がぴったり合ったので、昨日は茨城にいる夫、東京の姉、熊本の両親とそれぞれたっぷりSkypeやiChatでお話できました。最近私はつまらないことでちょっとした問題に頭を悩まされていたのですが、本当の解決のために、この「絶対に私の味方になってくれる」タイプの優しい人々(夫、姉、両親)にはなるべく意見を聞かないようにしていたのですが、なんとなく問題が終結の方向に向かってきたので、昨日ついにそれぞれにお話して、いろいろと納得する結論やアドバイスを得ました。私の愛すべき家族のみなさんありがとうね。
それでその問題とは直接関係ないとはいえ、話をしている上でいろいろと考えたのがタイトルの「本当の国際人とは」ということ。国際的な環境、つまり様々な人種、文化、言語、性別、年齢の人々が集まる環境で働くときにいろいろと大事なことを私はこの6年で学んだし、これからももっと学ばなければいけないだろうなと思ったので、節目としてちょっとまじめすぎるかもしれませんが書き留めておこうと思いました。
まず「『常識』というものは存在しない」ということを強く認識しておく必要があると思います。いろいろと考えてみたんですが「完全にユニバーサルなもの」というものがないのです。コミュニケーションにしたって、態度にしたって、仕事のやり方、人とのつきあい方、どんなことを考えても「絶対にこれだけは全人類共通だ」ということがないのです。例を出すと、日本では上司に「それいいね!」という一行だけのメールを送ることは「常識はずれ」かもしれませんが、国際的環境ではあり得るし、決して失礼ではないことかもしれません。日本であまり知らない異性の同僚を下の名前で呼び捨てで呼ぶことは「セクハラ」に近いかもしれませんが、当然、国際的環境ではそれがある意味「常識」になり得ます。イタリア人の同僚は同性でも異性でも、挨拶するときは両ほほにキスしますが、そんなことをアラブ系の異性にしたら「信じられない暴挙」と思われる可能性が高いです。
原則としては、もし私がどこかの国に行ったら、その国の常識、言語、文化を尊重する、日本に誰かを招くなら、日本の常識、言語、文化を説明して分かってもらうようにする、ということで、多分これは「2国間」ということだけを考えるとしごく普通のことなんですが、これが、「国際機関」といういわゆる治外法権的な「何の国にも属さない」ところになると大変難しくなります。どっちの文化、言語、常識を選ぶか、というのはラインを引くのがものすごく大変なのです。
そこで大事なことは、「とにかく何でも理解しようと心がける」ということだと思います。誰かが「私にとって」常識はずれでとんでもない言動をとったとしても、「もしかしたらこれは文化の違い、育ちの違い、言葉の違いかもしれない」とまずは考え、全てを前向きに考えるように努力するということです。これは口で言ったりこうして書いたりするよりはるかに難しいことです。悟りを開いたお坊さんのイメージトレーニングで必死で自分を落ち着けて考えなければならない時だってたくさんあります。人間は(というより「私は」かもしれませんが)「他人を理解する」よりも「自分を理解してほしい」生き物だと思うんです。ですがここはひとつひと呼吸ついて、この世界に「常識」は存在しない、まずは違いを受け入れよう、他人を理解しよう、と考えることができると、本当の国際人に近づけるかなと思います。
次に大事なのはコミュニケーションですが、もちろん、コミュニケーションには言葉と態度とあります。態度は上の「常識はない」というところに共通すると思うのでここでは言葉にしぼりますが、国連では「国連の正式言語」というのが決まっていて、英語、スペイン語、フランス語、アラブ語、中国語、ロシア語の6カ国語です。基本的には英語、スペイン語、フランス語の3つのうちどれかが完璧であり、さらに上の6カ国語のどれかが第2言語として仕事上使える状態でないと国連職員としてつとめるのは難しいとされています。ですが、私が思うに、現状を見る限り、やっぱり英語です。しかも、単に「英語ができればいい」のではないのです。
まず英語が母国語の人も、英語が母国語でない人も、「自分の英語は相手の英語と違う」ということを常に認識する必要があります。イギリス英語、アメリカ英語だけをとっても全然違う表現があるし、イギリスでは悪い言葉を使っても「まぁ気品がない」と眉をひそめられるだけの時がありますが、アメリカでは仕事上悪い言葉を使うと最悪の場合解雇されることがあります。これは言葉を超えた文化の違いです。国際機関ではいろいろです。常に悪い言葉ばっかり使うカナダ人もいます。東アフリカンの人々は英語で公務を行うため英語が堪能ですが、アフリカの英語です。日本人の英語、という種類も存在するのは当然です。基本的な考え方がそれぞれの国の環境、個人の生まれ育った環境、受けた教育の種類によって全く違うわけですから、それが言語に現れるのは当然のことなのです。
まず、英語は上達に上達を心がけることにこしたことはないと思います。私もアメリカに10年近く暮らし、国際機関で働いて6年になりますが、それでもまだ毎日のように英語を磨いていく必要を感じます。そして「私は英語は完璧にできる」というおごりは、国際的環境での摩擦を引き起こしかねないと思います。なぜかというと、国際的環境での仕事は、「理想」の社会とはかけ離れていて、重く厳しい「現実」の社会だからです。
その「現実」とは、英語を母国語とする人もしない人も、全ての人の英語が完璧でない、ということです。ものすごくキツいアクセントが入ってしまう人もたくさんいます(ラテンアメリカ、日本、中国などはそうです)。でもよっぽど全く分からない限り、誰も「あの人アクセントが強くて何を言ってるかわからない」とは言いません。言う人は「自分の、Non-English Speakerの英語を理解する能力がない人」なのです。「分からない人が悪い」のです。「分からなければ何度も聞き返さなければならない」のです。「あなたの英語わからない」と文句を言うのはナンセンスなのです。これは厳しい現実です。
数年前私は日本人のインターンの方を受け付けて、非常に頭脳明晰で英語も上手な日本人だったのですが、その方は「あの人の英語が分からない」「この人のメールのグラマーがめちゃめちゃで意味がわからない」といつも私に言ってきていました。もちろん、その件の外国人の上司はアクセントがきつい人だったので理解するのが難しいのは確かですが、その人が言っていることの「本来の意味」を理解するのはそんなに難しいことではないはずです。分からない時はその場で「それはこれこれこういうこと?」と確認すればいいだけだから。相手の英語のレベルがどうであれ、相手を理解しようという気持ちを持って真摯な態度で対応する必要があるのです。
ですから言語や言葉のコミュニケーションの上での「本当の国際人」とはつまり、英語が苦手な人の英語であっても理解できる、あるいは理解しようとできる人、ということ。国際環境での「英語力」というのは「読み、書き、話し、聞き」よりも「理解」のほうが重視されるということです。相手がパーフェクトな英語ができるようになるまで待っていたら仕事になりませんから。
ですが、やっぱり英語が出来ない人との仕事はかなりストレスがたまります。そういった意味で、少なくとも自分だけは、そういったストレスを相手になるべく与えないようにしようと努力しなければいけない、ということで英語力を毎日磨く必要がある、と上の方に書いたのです。自分ばっかり努力しなければいけなくて不公平に感じるかもしれませんが、そんな方は1930年代の名著、人を動かす(D. カーネギー)を読んでみてください。なぜ自分ばっかり努力することで(そして相手に変化を要求しないことで)いろいろと問題が解決するかが見えてくると思います。実際にはものすごく難しいですけどね。感情のコントロールなど、私を含め不得意な人は(女性には特に、かもしれません)多いかもしれないので。
そして優しくあろう、と常に心がけること。私もついイライラしたり、不平等や理不尽なことにぷんぷんと腹を立てたり、「正義がいつも通る訳ではないのね」と幻滅したりすることがよくありますが、本当にいろいろな状況を経験して、いろいろな人と出会って、理解しようとして、つらいことや楽しいことを経て生きて行くと、残念ながら世界は、世の中は、すべて不平等で理不尽で正義が通りづらいところなのだという現実に気づかされ、それを解決するのは、ただひとりひとりの人間の「目の前にいる人への優しさ」しかないと認識すると思うのです。結局目の前の人、同僚、上司に優しくできないひとが、国際機関の人道的援助という大きな名前のもとに行う「優しい援助」というのができるわけがないのです。
ということで、どんなイヤな人が上司、部下、同僚、友達、知り合いであっても、自分だけはその目の前の人を理解しようと心がけ、優しくしようとすることが出来る、という人が「本当の国際人」ということですね。そんな人世界に何人いるんでしょうか。道のりは険しく遠いですが私も精進します。

雨のドゥバイ

Dubai

土曜日からドゥバイにきてます。日曜から週が始まるので会議も日曜からでした。2日間の会議は無事に終わって、私もなんとか1時間のセミナーをこなして、質問に答えて終わらせました。ドゥバイでは小さなホテルなのですが、こじんまりとした感じが会議室もなにもかも好感が持てて、それなのに高くなくてすごく良かった。お部屋も十分すぎるくらい広くてありがとうございますという感じ。でもびっくりしたのが毎晩雨が降っていること。ここは広大な砂漠なのに、雨がふって雷まで鳴って、本当に心の底からびっくりしました。雨って降るものなの?と聞いたらドゥバイのみなさん、「Climate Changeでしょ」と真剣に言っていました。こんな砂漠であんな大量の雨が降ったら、みんな世界の終わりが来てしまったかと思うみたいです。それくらいすごい雨でした。

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春、そして食品安全に関する共同声明

どこにいてもどんなことがあっても、時間はとまることなく季節がめぐっていくのが、今は特に不思議に感じられますが、ローマにも春がやってきました。私のバルコニーにはミントが繁り、オランダから大量に仕入れて来たチューリップがぐんぐんと伸びて様々な色でバルコニーを彩って私を癒してくれます。
私の部署では先日、FAOとIAEAとWHOの共同声明を出しました。

横浜にあるFAO日本事務所が日本語版を正式に出しています。

金曜日には直属の上司が日本へ旅立ちました。これから忙しくなりそうです。

オランダから

すごくつまんない写真ですみません。ホテルの外が真っ暗なので今回は窓からではなくて窓を写してみました。出張でオランダに来てます。Noordwijkerhoutという発音できない街にいます。アムステルダムから車で30分程度のところ。近くにはチューリップ畑が広がっていてのどかなところです。春には観光客もたくさん来るらしいですよ。
仕事はマイコトキシンというカビ毒に関する国際会議。今回ひとつ特別セッションをやることにしたので気合いが入っています。私の個人的な感想ですが、私はこのカビ毒問題、特にとうもろこしのカビ毒問題は数ある食品安全の問題の中でも国際的には非常に重要度が高いと思っているんです。というのも、食糧供給が危うくなってきている昨今、カビ毒で失われているとうもろこし、ものすごく多いはずなんですが、もっとスキャンダラスなホットトピックの陰に隠れてしまっていまいちスポットライトが当たらない。しかもほとんどの先進国にとってとうもろこしは動物のエサである場合や、副食である場合が多いので、アフリカのたくさんの国ように主食として大量に食べている場合の影響を考える時にピンとこない。マイコトキシンのカビって、カビっぽくみえるところを取り除くと食べれそうに見えてしまうし、味もそこまで変わらないのでうっかり貧困国ではみなさん食べてしまうんですが(他に食べ物が無い場合なら特に)かなり高温度で長時間熱処理しないと毒はなくならないし、しかも恐ろしい事にこれって積もり積もってしまうと発がん性があるタイプの毒もあるんですよね(アフラトキシンなど)。じわじわと殺されてしまう。プラス、万一、超高濃度に入っていたりすると突然死したりもするのでさらに怖い。(注釈:これはすべてのカビのことではなくて、マイコトキシンと呼ばれるカビから発生するカビ毒の話ですので、カビが全部怖いわけではありません。確かにカビが生えたものは食べないほうがいいですけどね。)
というわけで、私は個人としてはこの問題は国際社会で十分に検討して優先度をあげてもらうべきだと思っています。もちろんBSEだとかO157だとかノロウィルスだとかサルモネラだとかコレラだとか、いろいろ食品安全の問題はたくさんありますが、カビ毒は影響を受ける人、死ぬ人のスケールが違う。しかも食糧供給に直接影響がある。しかも気候変動で地球の湿度が上がって温度も上がってしまうと、カビですからさすがに増えます。だから今後もっともっと重要になると思うんです。と、つい熱くなってしまいましたが明日からの会議頑張ってきます。