Wild

2019年の12月のエントリーにちょっと書いているのですが、2014年のリースウィザースプーン主演の映画、Wildは私の好きな映画の一つです。これは原作があって、そちらもいいのですが、ニックホーンビィによる脚本が本当に優れすぎているので、映画を強くおすすめします。リースが共同プロデューサーとなっていて、多分もともと彼女自身がこれをすごく映画化したかったんだと思います。アメリカ人女性の強い意志と、家族の愛情とその裏側と、すばらしい演技と、本物の(何もない)アメリカ、しかも太平洋側のアメリカの大地をこれでもか!とばかりに2時間弱しっかり見せてもらって大感動しました。素敵すぎる母親役をローラダーンが演じていて最高です。評価は完全にAです。

想像に過ぎませんが、ちょっとしたきっかけでいろんな歯車が狂ってしまって、ここからどうやって挽回していけるかわからない、と途方に暮れてしまうことって、実は誰にでも起こりうることなんだと思います。家族に愛された人も、愛されなかった人も、お金があった人も、お金がない人も、どちらの場合も後者の方がもちろん大変だとは思いますが、歯車が狂うのはどちらのケースでもありうることなんだろうな、とこの映画を見ながら思いました。主人公のシェリルは父親には恵まれなかったものの、母親に愛され、結婚した相手にもとても恵まれ、一見幸せそうな人生にも思えます。どん底の時に友人が本気で助けてくれようとしている様子を見るかぎり、シェリル自身もそういった友情を得られるだけの人柄なのかなと思わせられました。シェリルは人生を仕切り直すために、PCTと呼ばれる太平洋側のアメリカの州を縦断する、かなりハードなトレイルトレッキングをすることを決断するのですが、初めてのストップであるケネディメドウズで、元夫からの仕送りの着替えや本などの箱を受け取って、手紙の最初が”Sweetheart,”とはじまった時には私もシェリルと一緒に下を向いて涙してしまいました。それだけ愛されていたのに、どうして手がつけられないほどに自分で自分の人生をメチャメチャにしてしまったのか。

トレッキングの前にアウトドアギアやグッズを買うために、シアトル発祥のアウトドアショップであるREIに行くんですが、REIって本当に色々なものがあって楽しいんですよね。全部必要な気がして、たくさん買ってしまう気持ちすごくわかります。そして途中で登山靴が小さすぎることがわかって、交換をキャンプの公衆電話からお願いすると、トレイルのその先のキャンプにREIが無料で送ってくれる、というシーンがあります。これは実話らしく、さすがREIらしいなと思ってしまいました。私もアメリカに住んでいた時にはREIに何度も何度も行っていました。今も気に入って毎日のように使っているのが折りたたみのはさみ。本当にカッコよくて、よく切れるし、大事にしています。あまりに気に入ったので父や母、姉や夫(当時は友達でしたが)にも次々と買って贈り物にしたのを覚えています。みんなまだ持ってるといいな。

当時住んでいたのはワシントン州のプルマンという内陸部なのですが、到着した1996年の夏があまりにも酷暑だったため、その直後にやってきた冬があまりに厳しいことに驚いて、現在の夫のAさんにシアトルのREIに連れて行ってもらって冬のジャケットを買った思い出があります。お店の人と当時の私のカタコト英語でお話ししていた時に「何のジャケットを買いたいの?」と聞かれたのですが、英語力の問題か、文化の問題か、意味がわからず、「これから毎日着ようと思って」というようなことを答えたんですが、今思えば、スキー用なのか、トレッキングなのか、レインギアなのか、というようなそういうことを聞いていたと思うんですね。でも私がトンチンカンなことを言っても、その山が好きそうな背の高いREIのお兄さんはものすごく優しく笑ってくれて、じゃあこっち、とアウトレットの安い方に連れて行ってくれて「ワシントン州の冬は寒いからね」と言って色々選んでくれて感動しました。今思い出しても涙が出そうなくらい嬉しい気持ちになります。

この話には続きがあって、それから7、8年後に、私が博士課程にいた時に同じ教授のもとで修士をやっていて、仲良くしていたZという私より少し年上のシングルマザーの女性がいたんですけど、彼女の二人の子供(姉と弟)は、私はこれ以上いい子たちをアメリカで見たことがない、というほど賢くて可愛らしく、Zが学生をしていたプルマンで育ったんですね。そしてZの修士が終わって、シアトルの南のオリンピアというところに仕事を見つけて家族で引っ越しました。その時にその子供たちは私が買ったようなスノージャケットをプルマンでいつも着ていたので、シアトルやオリンピアでも冬にそれを着ていたら、友達に「スキーにでも行くの?」と聞かれてちょっと笑われたと言っていました。海沿いのシアトルやオリンピアは内陸ほど寒くならないので、スノージャケットは確かに大袈裟に見えたのでしょう。アメリカの子供たちは結構怖くて、こういうからかいからひどいいじめに発展してしまったりするかもしれないので、親は気をつけないといけないので大変、とZも言っていました。その時その子たちは毎日すごい量の本を持って学校に行かなければいけない、という話もしていて、教授のVが「あら、じゃあキャリーケースを買ってあげましょうか?」と言ったらお姉ちゃんのEが礼儀正しくもはっきりと「いえ、それは私たちにとっては社会的自殺なので」と断ったのも印象的でした。Aさんと顔を見合わせて笑っちゃったのを思い出します。あれ、だいぶ脱線しましたね。

映画では野生のキツネに出会うシーンは一瞬でしたが(最後にも)、原作を読んでいた時はそのシーンのページを何度も閉じて、涙を拭いて、またページを開いて、と文字が見えないほど泣きました。シェリルはカリフォルニアの砂漠から北上していくのですが、トレッキング上の小さなミスも、大きな失敗(水がない)も何とか克服して、怖いことも経験して、新しい小さな出会いもあって、完全に成長物語ではあるんですが、それだけじゃなくて、カリフォルニアを抜けて美しいオレゴンに入ると、私の目にも懐かしい、クレイターレイクやフッド山が大画面に映って、本当に嬉しい気持ちで映画を見ました。アメリカってニューヨークのイメージが強い人も多いと思うんですが、私にとっての本当のアメリカってオレゴンの田舎とか、アイダホのネイティブアメリカンのリザベーションとか、ワシントンの山の中だったりするんです。

時間軸が行ったり来たりする映画なので、最初は混乱しますが、だんだん順番がわかってきて、その意味を強く感じるようになるので、さすがニックホーンビィだなと思います。ラマを連れた子供とおばあちゃんのハイカーに出会った時に、礼儀正しい子供がお母さんに教えてもらったというRed River Valleyを歌ってくれ、そこで慟哭した後のシェリルは急に大人に感じました。陳腐なのですが、悲しみや辛いことは人を大人にしますが、同時にすごく優しくするなぁと思って色々と考えさせられました。もちろん、悲しみがなければ優しくなれないという意味ではないのですが、やっぱり人の悲しみをわかってあげられるようになる、というのは自分で経験したのとしてないのとでは大きな違いがあるんだと思います。この映画、ディズニープラスにあるのでもしサブスクしている方はぜひ観てみてくださいね。私ももう一度観ながら、むくむくとトレイルトレッキングに憧れる気持ちも湧き上がってきましたが、PCTはさすがに厳しそうです。でも途中のオレゴンでの1日のハイキングコースなんていいかもしれませんよね。いつか行けたらいいな、と夢見ておくことにします。

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