State of the Union: A Marriage in Ten Parts(2019、Nick Hornby):フライトを待つ時間にフィウミチーノ空港のキオスクでペーパーバックを買って一気読みしました。短いし会話中心の本ということもあるんですが、暇つぶしとはいえ飛行機の中でも2巡目読みするくらい、私にとっては興味深かったです。話の全体を覆っているブリティッシュジョークにありがちなダークでシニカルな感じがとても好みでした。こういった「夫婦の問題」という本のテーマは特に好みではないんですけどね。というのも、ピンとこない、というのが正直なところなんです。
私たち夫婦は15年近くも別々に仲良く暮らしていますが、これといった「夫婦の問題」に直面したことが、多分ない。子供がいないというのが大きいとは思うんですよね。家庭を築いて子育てをしていく上で人生の優先順位というのはどんどん変わっていくだろうし、共働きだとどうしても時間が全然足りないだろうし、あくまでも想像上のことですが、私たち夫婦なんかよりも、揉める要素というか、考えの違いが出てしまう場面が限りなく多くなってしまうんだろうと思ってしまいます。まあ子供がいない夫婦でも揉めてる方はいらっしゃるんでしょうけど。でも私にとっては、そんな「夫婦」のことよりも、限りなく原則に近い部分で私にとってはものすごく深刻なことが浮き彫りにされる話の内容だったので何度も深く考えてしまいました。とはいえ、ニックホーンビーらしく、いきなり最初から、今から夫婦問題のカウンセリングに行くというのに、パブで「飲み過ぎるとカウンセリングの途中でトイレに行きたくなっちゃうよ」「いいね、できれば長いトイレ休憩をお願いしたいね」「でもトイレが長いとウンチしてると思われちゃうよ」というような会話が始まって、空港のカフェに座って読んでいて吹き出しそうになりましたけどね。
今から偉そうなことを書くかもしれないので前もって書いておきますが、私のように半世紀近く生きていると、ちょっとだけいろいろなことが分かってきたような気分になりがちですが、実は逆で、人生の数限りない場面で様々なことに遭遇(曝露)するうちにさらに混乱して色々なことがついには分からなくなってしまう、というのが正直なところ本当のことだと思います。ですから以下の文章は分かっているようで全く分かっていないかもしれない考察ですので、話半分でお読みくださいね。
この本のテーマの夫婦関係や人間関係に関して言うと、そんな人生の大混乱の中で唯一言えることは、「バッチリ合う人」とか「同じ価値観を持つ人」とかそんな人は世の中にはほぼいない、といって間違いないという事実です。例えば二人の人間が、ある時意気投合するとして、それはその二人が人間として丸ごと「バッチリ合っている」のではなく、ある非常に限られた部分のみ、たまたま同じ意見や物の見方(あるいは今風に言うとヴァイブ)を持っている!という非常にシンプルな出来事になります。それはそれでシンプルながら貴重で素晴らしい事です。なぜならそんなことは人生の中で実は滅多にないから。表面上の軽い出来事(例えば「今ピザが食べたいんだよね」「わたしも!」のような状態)だとたくさん起こりうるかもしれませんが、もう少し深い部分になると、完全共感は結構稀だと思われます。そしてそんな二人は「同じ価値観」を「持っている」わけではなく、ある非常に限られた部分において、お互いの価値観を「共有できる」あるいは「寛容することができる」ということに過ぎないと思うのです。
極端な例を出すと、たとえばフィギュアを集めるのが趣味の方がいたとして(別にそれが切手や電車の模型や高級時計やアイドルの写真カードや化粧品やバッグや靴などでも、何でもいいんですけど)、その「収集癖」という人間にそもそも備わっていそうな本能的な感覚の部分がピッタリ合う人と全然合わない人、と言うのがいると思うんですね。収集という行動はやっぱり実際に物を増やしてしまうし、それが大きく多くなってしまうと物理的、金銭的に日常生活を圧迫することになる。そしてその収集物の「重要度」というものが収集家の中で高くなればなるほど、日常生活においてそれよりも優先させるべきものというものがだんだん少なくなっていってしまいかねません。そこで登場するのが「価値観」という言葉なのですが、それは実はモヤっとし過ぎていて説明するのが困難です。例えば自分が結婚を考えている相手が実は極端な何かの収集家で、特に裕福というわけではないけれど困窮はしておらず、家のほとんどがその収集物で埋め尽くされている、と知った時に、それを「いいんじゃない、好きなことにのめり込めるって素敵」と思うのか「経済的に裕福でもないのに狭い家が収集物でいっぱいになってそれにばっかりお金をかけて節約生活を送るのは全くもってごめんです」と思うのかは人それぞれですよね。それを「価値観の違い」とするのか「この件に限っての意見の違い」とするのかで解決方法が全く変わってきますよね。
それでこの本ではそういった非常に限られた事象であるのにもかかわらず心の底にある個々の原則にしっかり触れてしまうような物事を、端的に分かりやすくするために「浮気」とか「ブリグジット(イギリスの欧州連合離脱)」とか「子供じみた男のプライド」とか「分かり辛過ぎる女性の非言語コミュニケーション」とかそういうものにテーマをおいて書いてあるわけです。著者は男性であるのに、男性にありがちな(女性にもありますけどね)非常に小さなことに固執する感じがうまく書いてあって、そうそう、と思いながらも、よく見てる(聞いて知ってる?)なぁと意外に感じました。
どっちが先に待ち合わせのパブに到着するか、いつもの席に座って話すのか、というような微妙な要素の変化も面白いのですが、会話がいつも個性的な方向に向かっていって、本質的な部分では非常に違うと感じられる夫婦なのに、なんだか似たもの夫婦というか、この二人はこの相手しかいないんじゃない、というように思わされる部分もたくさんあったりして、面白かったです。夫婦に限らず、友人でも職場の同僚でも、人は違いに目を向けるよりも相似性に目を向けて、「私も!」「同じ!」というような部分をちょこちょこ前向きに見つけていくようにしたほうが人間関係は良くなるんだろうと思いました。「違い」に集中し過ぎるとその「違い」があまりにも違い過ぎて割と高い確率で絶望するんじゃないでしょうか。だって自分と同じ人なんて多分いないから。相手の「違い」もなるべく寛容することができるように、自分の「こだわり」を一つずつ少しずつ解いていって、いったん「そうなんだ、私と違うね」と落ち着いて思うことにしてその違いを一旦保留し、できれば忘れる、というような行動変容ができればいいなと思いました。
自分と価値観が違う人とは関わらない、とか距離を置く、とかいう人もいますが、それはそれで一つのやり方だとは思います。でも私はこういった部分の努力や向上について考えるのが好きなので、「関わらない」というような比較的悲観的、あるいは消極的な方法ではなく、もう少し人間臭いというか人に関わっていく方向で何かできたら、と思い始めました。もちろん人間関係は双方向の意思や行動によるものなので、一人だけジタバタしてもどうにもなりませんが。職場の人間関係についていつも思うのが、私は親友を探しに職場に行っているわけではないので、別に一緒に仕事をする人みんなと良い友人関係になる必要は全くないわけです。仕事がスムーズにいけばそれはそれで素晴らしいチームワークなのです。でもそれと同時に、過去15年の中で親友だと思える二人に職場で出会ったことを考えると、そういう宝物のような人間関係がどこに眠っているか分からないですよね。それをみすみす「関わらない」ことで逃していくのはちょっと悲しい。人との違い、というのはそもそもあるもので、時にはその違いは大きく、解決し難い。不可能に近いほど難しいからと言ってそこで終わり、という風にするのではなく、違いとは別のところに解決の糸口があるかもしれないと思う様にする。ちょっとシニカルで後ろ向きだけれども、なんとなく明るい気持ちになるような読後感のある軽くて良い本でした。読んでいるとビールや辛口の白ワインがすごく飲みたくなるのでご注意を。