Nomadland (2020)

Nomadland (2020) Official Trailer

イースターサンデーだった昨日、感染対策をしっかりしてから、夫のAさんとマティネーの時間に観にいきました。シネマコンプレックスの小さめのシアターに観客は10人いなかったと思うのですが、特大シネマスクリーンでこの映画を観ることができて本当によかったと思いました。私が1996年から2005年まで過ごしたワシントン州東部の州道26号線や州間高速(フリーウェイ)のI-90号線をドライブ中の、異常な風の強さ、雪やみぞれの惨めな匂い、夏の日照りがフロントグラス越しに顔に当たってちょっと痛い感覚、小石がはねて車の窓に当たる音、車と速度を合わせるかのように道の両側を謎にひたすら転がり続けるいくつものタンブルウィードの姿、何時間も変わらない車窓の景色、そういう超リアルな刺激が、大画面には全く描かれていないにも関わらず、私の脳から突然ぐわっと五感に伝わってきて息が詰まりそうになりました。以下ネタバレになりますが感想を書いておきますね。この映画の私の評価はAです。

私の個人的なアメリカでの思い出と切り離すのがちょっと難しかったのですが、全体的にこの映画が素晴らしかったポイントが私の中で大きく分けて3つあったので項目毎に紹介します。まず最初のポイントは「輪」です。円、ということです。この予告編の最初にショートカットの白髪の女性が話しているシーンがありますが、実はそのとき、彼女は主人公の女性(ファーン)がしている結婚指輪について聞き、その指輪が「輪」であることで「終わりがない」と説明するんですね。それで私は、これは昔中島みゆきさん(薬師丸ひろ子さんも)が歌ったように「まわる、まわるよ」ということかなと思ってしまいます。世代を超えて、人を超えて、ぐるぐると同じところをまわっている。でもよく見ると実は同じではない。だって何もかも決して永遠ではない諸行無常だからです。ファーンやその他のノマズが季節労働をするのも、春夏秋冬で気候や気温が変わるのも、老人が亡くなったり赤ん坊が生まれたりするのも、全てがサークルをめぐっているから。でも、同じ季節がやってきて、同じ季節労働の場所に来ても、必ず同じ状況というわけでもない。同じ人に会うこともあるし、会わないこともある。デイヴの家で出てきた感謝祭のターキーだって、毛色の綺麗だった裏庭の七面鳥だし、みんながまわっているということでしょう。「時代」では「くよくよしないで今日の風に吹かれましょう」「別れた恋人たちも生まれ変わって巡り会うよ」「今夜は倒れてもきっと信じてドアを出る」と歌ってありますが、この映画もかなり近いものがありますね。

次のポイントは私のお気に入り、「Coming-of-age」です。そのセオリーについては、ここにちょっと書いたことがあるので気になる方はどうぞ。映画で車にアリが発生して、デーヴの助けをちょっと強目に振り切りながら動くファーンを観た瞬間、あぁ、あのお皿!と私は思ってしまって、案の定、次のボックスにはお皿が、となった時、映画館にいるのに「きゃっ!」と声が出てしまってものすごく恥ずかしかったです。どちらかというと「ひゃっ!」に近かったかもしれません。びっくりさせてごめんなさい、隣にいたAさん。あれは完全にスタンドバイミーのバーンの櫛ですね。最後のシーンでは、あのお皿そのものをどうしたかは描かれていないんですが、夫(ボー)の愛しいデニムのジャケットを含めた家財を全部倉庫から処分するシーンを観て、Coming-of-age特有の、少し苦くてスッキリした涙がでました。何を思い出すかというと、最近でいえば、NetflixのStranger Thingsのウィル(シーズン1で行方不明になった子)。彼はシーズン3で、みんなが真剣にダンジョン遊びをしなくなったことに強烈に悲しみを感じていましたが、最後には引っ越しを機会にゲームをあっさりガレージセールに出すことにして、そのスッキリした顔がいわゆるComing-of-age特有の気持ちを完全に表現しています。上の予告でもファーンが”My daddy used to say, what’s remembered, lives. I maybe spent too much of my life, just remembering.”(私の父が「思い出してもらえるものは生き続ける」と言っていました。私は自分の人生を「思い出す」ことばっかりに使いすぎてしまっているのかもしれない。)と言います。そしてその「思い出す」ためにお皿や写真や物質が必要だったということですね。そしてそれが少なくともいくつかは吹っ切れることになって、それはそれで良いことだけれど、少しさみしいことでもあります。それを「大人になる」という表現にしてしまうと陳腐な感じもしますが、結局はそういうことかなと思います。たくさん辛い思いをした人が、そうでない人よりも優しくなれるのは、こういった瞬間を人よりもずっとたくさん経験してきたからだろうと思います。

最後のポイントは「資本主義と老人」です。日本はギリギリ、年上の人を敬う社会がある(あった)ので比較するとそこまで目立たないのかもしれませんが、やはり労働力と消費力を失った老人はガチガチのアメリカ式資本主義の社会では役割を大幅に失いがちです。何故なら資本主義では「消費」する人が強者(ヒーロー)だから。不動産や投資の仕事をしている親戚にファーンがちょっと噛み付くところがありますが、リーマンショックの影響をもろに受けたUSGの産業城下町に住んでいた、という事実だけじゃなくて、その根本的なマネーゲームであるシステム自体に心の底から腹を立てている、というのがよくわかる言い回しで、”I don’t want to disagree with you, but I really do.”「あなたに反対したいわけではないんだけど、私は(それには)本気で反対です。」と言います。このシーンでは家族だんらんの雰囲気を思いっきり壊してしまったファーンを、お姉さん(ドリー)が強く庇ってくれたことで、そしてみんながごめんね、と言ってくれたことで、もっと情けない状況になってしまいます。私も悔しくて涙がでてしまったんですが、これがどうして情けないかというと、この時ファーンはノマドを続けるための車の修理費を借りようとしてここを訪れているからなんですね。資本主義は憎いし、マネーゲームシステムはとても賛成できるものではないけれど、その資本主義で得たお金を使わなければ、そのシステムの外に出ることすらできないのです。クリスマス時期の季節労働で、ファーンやリンダメイのような老人を良い条件(RVパークつき)の良い賃金で雇ってくれる大会社は、資本主義の象徴のようなアマゾンなのです。じゃあどうすればいいんだ、と途方に暮れますが、最初に書いたように、やはり社会的に、老人への尊敬と労りの価値観を文化的に作り上げるのが最初の一歩かと思います。時間は平等なので、誰もが子供時代を過ごし、若い時代を楽しみ、働き盛りを頑張り、誰もが老人になっていきますよね。誰もが通る道だ、と思えば年老いた人々に尊敬といたわりを持つことは自然なことだし、誰にでも可能なことだと思います。私が以前、アメリカ人の友人に「日本では年上には必ず敬語だし、自然とお辞儀をするよ」と言ったら「でも年上というだけで賢く素晴らしい人ってわけじゃない、おバカな老人だってたくさんいるよ」と言われたことを思い出しました。それは確かにそうなんだけど、でもそれは若い人だって同じですよね。誰もが賢くて素晴らしいわけではない。だから一般的に老人を尊敬していたわる、というのは決して間違いではないと思うわけです。

なんだか社会派のような意見になってしまいましたが、多分、この映画はこういった世代間のつながりのようなものを描きたかった感があるのは確かなので、これを抜きには語れないと思います。この映画にどんな意味を見出すにしろ、とにかく横長のスクリーンにこれでもか、とパノラマに広がる荒涼としつつも絶対的な強さを見せつけてくるアメリカの西部の風景に息をのむこと間違いなしです。結局ノマドランドってどこかな、と思った時に、アメリカ全部のことかな、と思うのですが、長い目で見るともしかしたら地球全体のことなのかもしれません。こういう映画がお好きな方は映画館で大画面で是非。

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *