ザ・万歩計

ザ・万歩計(2008、万城目学):図書館で借りて読みました。万城目氏は出身が大阪で、夫の実家の近くの話が著書にちょくちょく出てくるので勝手に親近感を持っているんですけど、特に実家が近いとかではないらしく、今回このエッセイで初めて知ったんですが、「ミナミ」な方なんですね。夫の実家は完全に「キタ」の人々です。大阪つながりだからかどうかは知らないんですが、夫がかなりのレベルで万城目氏の本を読んでいて、数冊、家の本棚にあるので、帰国した時に本棚の変化をくまなくチェックする私としては、自動的に全部読んでしまう、という読書傾向にあります。奇想天外ファンタジーな方ですよね。でもエッセイは今回初めて読みました。

リゾートで読んだので、人目があるところでこの本を開くことになってしまっていたのですが、何度も吹き出してしまうことがあって笑いを堪えるのに大変でした。その面白さはバラしちゃうともったいないので、ここには書きませんが、気になった部分としては「亜麻色の髪の乙女」のくだり。ドビュッシーといえば「月の光」かこれか、というくらいのものなのでみなさんご存知だと思いますが、その曲の説明に「階段を3段飛ばしで上がったり下りたりする」と表現されているのに「さすが!」と唸りました。それだけで、♪ドーラファレー、ファラドーラファレー、ファラファー、ファレファー、ミレドー♪の音が脳で再生されました。ちなみに、私の絶対音感(と思っていたもの)は数年前からなぜか脳内で半音上がってしまったらしく、何度この曲を聞いても、私の脳には完全な白鍵での♪レーシソミー、ソシレーシソミー、ソシソー、ソミソー、ファミレー♪としか聞こえないのですが、今調べたら案の定半音下だったので慌てて上を書き直しました。最初のドはドのシャープです。あ、でもレのフラットとも言うのでまあどっちでもいいか。今さっとGoogle先生に聞いたら、絶対音感が半音ズレるのは加齢のせいで「あるある」なことらしいです。そうやって人は絶対音感を失っていくものらしい。悲しい。ちなみに話を戻すと、万城目学氏はこの部分を「きょーうのばーんごはーんはいったい、何じゃろなー、母さん」と歌うそうですよ。実際歌ってみると「母さん」のところでツボります。

あと特記すべきなのが「ホーミーを奏でる」という部分があること。いや無理でしょ。同じページに「執筆とはマラソンに似ていると思う。」というくだりで、著者が嫌だな嫌だなと思いながらやるけど終わるとすぐ次の本にとりかかるらしいというのを読んで、何かに似てる、と思ってしばらく考えたけど、何のことはない、私のショボい30分のトレッドミルのランニングでした。あーあ嫌だなーと思いながらジムへ行き、キツいキツい、と思いながら走り、終わって部屋に戻るとまた走りたくなってしまって翌日も行こう、と決めるけど、翌日また同じパターンになる感じ。

最後に心に残ったのは「優等生」に関する記述です。「優等生とは、資質である。性格である。」と断言してありますが、本当にそうだと思います。「加えて私が看破したのは、優等生とは天然である、ということだ。」とも書いてあります。そうだそうだ。なろうと思ってなれるものではない。大自慢大会になりますが、私の姉は今まで私が出会った人の中で一番魅力的で賢くて可愛くて、しかも生まれながらの優等生なんですが(あ、でも人生の途中で、優等生であり続けない楽しさを知ってしまって、それを心からエンジョイした年月もあるという充実のフルライフを生きている人でもあります)彼女は人生のいろんなポイントでよく「えーそんなのちゃんとやれば結果出るよ」と当たり前のように言うんですが、「ザ・優等生」の発言だなとよく思います。姉には一生わかってもらえないかもしれないけれど、私を含め、ほとんどの人が「ちゃんと」やろうと思ってもやれないから結果が出てないんですよね。いやぁ、これは生まれながらのものだと思われます。

吹き出しながら面白おかしく読めて、自転車に乗っていて気持ちが良かったことを書き留めておきたくて作家になったというエピソードも素敵だったので、他のエッセイ集もぜひ読みたいなと思いました。読んでよかったです。

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