カササギ殺人事件

カササギ殺人事件(2017、アンソニー・ホロヴィッツ):日本語訳で上下巻をキンドルで読みました。読後の正直な気持ちは一言で言えば「お得だったな」です。2段重ねのお花見弁当を買ったと思い込んでいたらもう一段あった!みたいなお得感。そして例によって私の読書パターン化してきましたが、一回上下巻を全部読んだ直後にもう一度全部読まなきゃいられない、というリダンダンシー(重複)感。こんなこと書くとお得なのか損なのかよくわからなくなってきますが一気読みしてまたゆっくり読みたくなる、というのは「面白い推理小説」の特徴であるに違いないので、素直に面白かった!と全力で叫びたいです。

上下巻を2日間で読んで、その期間がわりに短いにもかかわらず、わたしは読後に自分自身に対してびっくりせずにはいられませんでした。というのも、最初に「わたし」が「警告」をするんですが、今思えば、その時に考えたのは「わたし」の彼氏の名前が、私が今リモートで仕事を一緒にしているギリシャ人の専門家と同じ名前だなと思ったことと、ジェーンエアと嵐が丘は何度読んだかわからないほど読み耽ったけれど、ブロンテ姉妹の末の妹のアンの小説は結局わたしは1冊も読んでないな、とふと思ったこと、そしてイアンマキューアンの「贖罪」を以前から読みたかったことを思い出したこと(早速買いました)の3つのみで、その「警告」をふんふんと読み散らかし、これから始まる推理小説の導入部にしてはチープな感じ(ナチョチーズ味のトーティアチップスはちなみにわたしの好きなドリトスのフレイバーです)だなと思いながらページをめくってしまったんです。そして下巻の最初のページで目を見開いて驚愕するまで「完全に」私は「わたし」のことを忘れていたんですね。なんと。私の記憶力とは、私の脳とは、と本当に自分の頭をコツコツと叩きました。いやぁびっくりしました。自分に。

推理小説なので、あまりネタバレすると良くないので多くは書きませんが、ポイントとしては、もうすぐ事件が解決しそうなのにガッツリまだまだ上巻にいると、あれ、と思いますよね。でも事件的にこれがさらに二転三転すると思えない。そしてアティカスピュント(探偵)の勿体ぶった感じと、死にそうな感じにそこそこ辟易したあと、後半に入って、なるほど、これか!あと半分あるのは!と思わせられる感じがいいです。そして考えるのが、これがクリスティへのオマージュだとしたら、クリスティは実はポアロを描写しながら辟易していたのか、と一瞬思いました。が、決して出版社のプレッシャーに追われて「アクロイド殺し」を書いたとは思えないですよね。あれは今やったら「クリスティの2番煎じ」と言われて終わりですが、当時「推理小説のルール違反」かどうかと社会問題になる程ですから、思いついたときに、これ以上ないくらいに興奮して書き始めたと、ぜひ思いたい。でもまぁ、灰色の脳細胞に関しては、もしかしたら「第三の女」くらいの時はちょっとは辟易していたのかも、いやでもやっぱりすっごく好きで書いていたと思いたい。いずれにせよ、探偵は別に好かれなくてもいいって本当だなと思いました。いわゆる「キャラが立っている」ということが大事なんですね。

で、現実に戻って思うのは、ミステリー作家の死際って結構クリティカルだと思いました。書きかけの推理小説なんかがあったりして、結局結末がわからないままになってしまうのもそれはそれでミステリーでいいのかもしれませんが、編集者なんかにとってみたらちょっと発狂する精神状態になり得ますよね。私だったら気になって気になって、もうどうしようもない気持ちになって、精神世界のあっち側に行ってしまうかもしれません。それにしてもこのアティカスピュントの9巻にはたくさんのアナグラムやトリックやシリーズが潜んでるらしいので、いろんなファンたちが今でも解き明かしてくれているのが微笑ましいです。今はインターネットとGoogle先生がいるのでこういうのも楽しめますが、昔だったらしっかりちゃんと色々知ってないとこういう楽しみもなかったかなと思うと、今の時代に生きていてよかったな、こんな時代に本がゆっくり読めるって幸せだなと思います。

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