メタボラ:日本の若者のリアルか

メタボラ(桐野夏生・2007)

このブログエントリーはどうやら2010年ごろに書き始めたようですが、結局書き終わってなかったので今頃発見して10年ぶりに日の目を見ることとなっています。イタリアに住んでいた時に読んだようですが、恐ろしいことに、読後の微妙に嫌な気持ちと、時事問題盛り沢山の内容に「ほんと?」と思う自分の気持ちしか覚えていません。記憶ってなんだろう。科学の本とかだと割と細かいところまで覚えているのに。で、以下は10年前の私の文章です。すごく尖っていて、今の私の考えと違うところもあるけれど、これはこれで10歳若い私が面白いのでこのまま載せます。

今日はボルゲーゼ公園にブランケット持って昼寝&読書に出かけてきました。風がずーっと吹いていてすごく気持ちよかったです。日本から暇つぶしのために何か長編を、と思って目についたこの本を買っておいていたんですが、ずっと手をつけていなかったので、この際読んじゃおうと、水筒に入れたアイスティー+ハニーを片手に、芝生でゴロゴロしながら今日読みました。文庫本で上下巻。本の感想なんですが、私本当に非常に恐れ入るくらいにまったく知らなかったんですけれど、こういうのが「現在の日本の若者の現実」みたいな感じになってしまっているんでしょうか。いやもちろん、さまざまな事件などのニュースを見たりその若い犯人像を知ったりする段階で、こういったことが最近問題になっているということは知っていたんですが、まだまだマイノリティだと思っていたんですがメインストリームになりつつあるんでしょうか。私は幸せにもこの世界をカケラも知らないって思ってしまいました。これは幸運にも愛情たっぷりに甘やかされて育った私の勝手な感想であると痛いほど分かってるけど、もしこういう若い人たちが日本に思った以上にたくさん存在してるとして、そして実際これに書かれているような理由で結果、辛い人生になってるとしたら、やっぱり厳しいようだけど、どう考えても甘い&弱い。

もちろんこういうことを書くと、私は一体何様なんだ、自分はエラくて強い人間のつもりか?と自分でも強烈に突っ込みたくなりますが、まあいずれにせよこういう厳しいことを書くと、当該する人々は、私なんかには自分たちの気持ちなんか分かるはずがないと思ってしまうんでしょうね。実際そうかもしれません。でもそれを承知の上で、書いちゃいますが、私が仕事上出会う、東アフリカ(タンザニア、ウガンダ、ルワンダやブルンディ)の人々やアジア、特にカンボジア、ベトナムやミャンマーの人々と、それこそ本当にさまざまな国や社会の問題点について語り合い、その根の深さに途方に暮れたりして、それでも前を向いて問題に体当たりしていく政府の人や一般の人を見ていると、こういう日本の若者の「悩み」を聞いたり読んだりする度に、私、大変失礼ですがあなたの悩みは相対的に見て、こういってはなんですが本当に取るに足らない悩みでございますよ、とお伝えしたくなります。海外かぶれしていて申し訳ないですが、これが私の新しい「日常」なのでどうしようもありません。上から目線は重々承知です。この私の発言が嫌な人はこれ以上読むともっと嫌な気持ちになると思いますのでここでやめたほうがいいと思います。

日本の若者が、親が離婚したから、愛情が与えられなかったから、貧乏だったから、というような理由で親を軽蔑したり、「仕方なかったんだよ」と罪を犯したり、自暴自棄になったり、ふらりと自分探しに出ちゃったりしてしまうのは、実は心の一番深いところでは分かる気がします。許せないけど、そういうこともきっとあるよね、と思います。でも、こんなの比較するようなことではないかもしれないけれど、かの国ではそんなレベルの悩みなんて、全員抱えていたりするんですよね。貧乏っていうのも申し訳ないほど、本当に何も持ってなくて、政府に親から引き離されてしまって孤児だけで奴隷のように働かされた過去を乗り越えて、それでも国のためにと政府で働いている人がいるんですよね。もちろんそれで犯罪者になったり悪の組織に入ったりしてしまう人も少なくありません。それをふまえて、日本の恵まれない若者を「仕方ないよね」と言うかどうか。

うまくこの違和感を伝えきれないのがもどかしいのですが、以前、とある日本のニュースで小さい子が万引きをすることを「親のせい」のような報道の仕方をしていて、しかも、コメンテーターのような人たちが「万引きくらい誰でもする」とか言っていて、それに私が非常に憤って、「ウソだよ!万引きしない人は一生しないよ!わたし万引きなんて、考えた事もないし見た事もないよ!」と強く言っていたときに、そこにいた知り合いが、「うーんオレ万引きしたこと何回もあるよ」と言ったんですね。突然のことに怯んだ私に、「だってまわりのやつらはみんなゲームもってて、オレんちはすげー貧乏だったんだよ」「いじめられないようにするためにはそのゲームを持っている必要があった、だからゲームを何度も万引きした」「友達の分も万引きした」と言うのです。そして「キミが今まで万引きをしたことがないのは、家庭環境が恵まれていて、万引きをする必要がなかったからだ」とまで言われました。

そのときは相手を傷つけたくなくてそれ以上は何も言わず、黙ることにしましたが、私が黙ったのは決して彼の話に納得したからじゃありません。私はいまだにそう思わないのです。私はこれはものすごく端的に言ってしまうと、彼の価値観が私のそれとズレてるだけだのことだと思いました。なぜなら、私の家にはゲームなんてなかったから。私の両親の方針だったのかもしれませんが、でも私だって、当時は買って欲しいとすら思ったこともありませんでした。まわりのみんなは持っていましたが、私は必要だと思わなかったんだと思います。私の姉が欲しがったことも一度もないので、私たち姉妹にとって、「うちにないもの」=「うちにないもの」という単純な理解をしていたんだと思うんです。ゲームが嫌いなわけではないですよ。実際今はゲームだってするし。あ、もしかしたら姉はゲームは嫌いかもしれません。私はゲームは好きです。信じられないくらいにヘタですが。

脱線しましたが、それで、たとえそれがクラスメイトのほとんどの家にあるものであっても、家にないものは家にないんだ、ということで納得したんだと思います。そしてこれも家の方針だったのかもしれないんですが、姉と私は本当に毎日すっごく忙しかったんです。数々のお稽古ごとや、YMCAっ子だったのでYMCAに入り浸り、月に2回のキャンプのための準備もあったし、習っていたスポーツの朝練もあったり、従姉妹たちとも近い距離感で遊んでいたので、本当に毎日息つく暇もありませんでした。あと、私は姉が大好きなので、私の基本的な興味は姉に遊んでもらうことで、ひたすらおしゃべりしたりするのが何より嬉しいことで、私の心の中に「万引きする」とかそういう要素が入り込む暇がなかったとしか言いようがありません。ゲームが買えない=万引きする、ということではないんだと思うんです。こうやって分析してみて思うのが、確かに、この「親の愛情」「家庭の愛情」というのが私たちをこのようにした、というのは本当にそうだなと思います。お稽古ごとをやりたくても貧乏だったらできないし、いとこと遊ぶのも、人間関係が良くないとできないし、家の環境が良くなかったら仲良し姉妹、というわけにもいかないだろうし。

じゃあどうするんだ、と思いますよね。私のように恵まれた人にあれこれ言われてもなんの説得力もない。それで前出のカンボジアの孤児だった政府の人に聞くわけです。そうすると彼は「私には家庭がなかった、だから今、幸せな家庭を作ることに命をかけている」とサラッというわけです。「私には食べるものがなかったから、人に食べるものがないことに心を痛めるんです」とにっこりしながら私の仕事に協力してくれるわけです。綺麗事に聞こえる人もいると思うんです。でも、こういう人が一番強い。日本の甘くて弱い人も、恵まれていて人の痛みがわからない私のような人も、こういう強い人に色々と教えてもらって、少しでも誰かのためになれるように、なんとかしたい、とムラムラと、メタボラのお話とは全く関係なく、やる気がわいたのでした。

2 Replies to “メタボラ:日本の若者のリアルか”

  1. わたしも、幼いころから我が家とほかのおうちを「真面目に」比較したことはなかった気がします。へー、あのこのおうちはそうなんだね、とか、せいぜいその程度。「あのこのおうちがこうだから、どうにかして私も!」のような熱意をもってみたことがない、という意味です。そしてあの、充実ということばをはるかに凌駕する忙しい子供時代は、そうでなくても広範な視野を持たない幼い私たちに、他者への深い興味を持たせないのに十分ではなかったかしら(笑)。それにしても楽しすぎる少女時代でした。私にとって世界は、我が家が、そしてmasamiがすべてで、今もなおおしゃべりし始めた瞬間にそこに戻れる幸せをいつもかみしめています。
    世界にさまざまな状況の子供たちがいること、そんな子どもたちに直接アプローチする手段を持っている人がいることも併せて考えると、その魔法の杖をにっこりふって欲しいし、私は私にできることを頑張るから、一人でも多くの人が子供時代を振り返るときに私たち姉妹みたいな気持ちになる世界になるといいねと思ったのでした。長くなっちゃったーこれもDNAでしょうか(笑)。

    1. お姉さま、コメントありがとうございます。子供時代忙しかったよね!週末も予定みっちりだったもんね。あの日々が私たちの後々の性格や信条を作り上げたかと思うと、一見意味のないようなことでも子供にはすごく影響するのかなあといまさらながら不思議にすら思えます。また時間ができたらおしゃべりしてね!

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *