弁護士ダニエル・ローリンズ

弁護士ダニエル・ローリンズ(2018、ヴィクターメソス):日本語訳で読みました。なぜ買ったかというと、まずベストセラーであるらしくいろんなところで書評を目にしたというのがもちろん一番ではあるのですが、「ハヤカワミステリ」シリーズであることと、杉田比呂美さんのイラストであることが、実は私にとっての二大要素です。いわゆるジャケ買いというやつですね。今までこういう感じで買って好きになったシリーズにマイクルリューインの「A型の女」から始まるアルバート・サムスンシリーズがあります。吉永南央さんの「萩を揺らす雨」など7冊出ている草さんシリーズも好きです。こうしてみると個性の強い正義感の強いミステリが私好きなんですね。全部杉田比呂美さんのイラストつながりでもあります。

また、電子書籍は出さない宮部みゆきさんの杉村三郎シリーズも実は杉田比呂美さんのイラストですよね。しかも、最新の2018年に出た「昨日がなければ明日もない」を買ったときに挟んであった書店の宣伝リーフレットに書いてあったんですが、宮部みゆきさんは上記のマイクルリューインのアルバート・サムスンにインスパイアされてこのシリーズを書き始めたというんですね!私の中で勝手に「なんと!やはり!」となりました。あ、どんどん話が横道に逸れていきますね。で、このダニエルさんなんですが、舞台がソルトレークシティなんですね。私も一度だけ行ったことがありますが、全体的にいろんな意味で町が真っ白でなんだか不思議なところでした。Aさんも一緒に行ったんですが、私たちは当然アジア人の風貌なのでなんとなく肩身が狭い気もしたし、誰もそんなこと気にしてないような感じもしたし、なんともいえない感じ。でもやっぱりこのミステリもそういった口に出さない感じの人種問題に触れていました。

作者のヴィクターメソスさんは米国在住の男性作家ですが、私の印象では、空港なんかで見かけるペーパーバックのコーナーでおどろおどろしい感じの装丁の本にショッキングなタイトル、例えばKillerとかMercyとかそういう言葉が付いているハードボイルドな法廷ミステリ、というんでしょうか、リーガルミステリを書く人、というイメージだったんですね。だからこの日本語になった本で、それこそ杉田比呂美さんが描く、ジーンズにスニーカーの出で立ちでバーで飲んだくれる超絶美人のダニエルが主人公ということを知って「違和感」の一言でした。でも読んでみると「これは包括的に問題の恐ろしさがわかっていないと書けない」ということが分かってきます。つまりテーマは素人のこちらも良くわかるように書いてもらっているんですが、じゃあ一体何が「良く」て何が「悪い」のかは、読み進めるうちに結局わからなくなってきてしまうということなんですね。だからやっぱりヴィクターメソスさんの経験に基づく深い考察とパッションが集結しているということなんだと思います。著者本人も検察官、弁護士と両方の長い経験があるそうです。

主人公のダニエルは美人、という描写があったかどうかは覚えていませんが、息子のジャックの「同級生のお父さんたちみんなが恋している」というくだりがあります。これは女性著者だったら書かないことですね。だって普通に気持ち悪い。これは男性に誤解がよくあると思うんですが、一般女性の7割くらい(多分)は、こんなの嬉しくないし、褒め言葉ではなく、セクハラとまではいかなくとも、一言で言って気持ち悪いです。だってその「お父さんたち」はダニエルがどんな人かなんて全然知らないわけでしょう?そしていつも飲んだくれてボロボロの格好をしているダニエルのどういうところに「恋しているか」と考えただけではっきり気持ち悪いです。良く知っている友達が良いところを素直に褒めてくれるのと、知らない人が「恋する」のは違うのです。でも女性の3割くらいはそれを喜ぶので難しいところですね。

また脱線してしまいましたが、ストーリーは途中で反吐が出そうなくらい嫌な人間を見せられ始めて、胸がざわざわします。でもすぐにダニエルのパッションに満ちた情熱的とすら言える行動を目の当たりにするので、それを不安に思いながらも、ダニエルの周りの人の優しさにも救われつつ、そして「絶対に解決できない問題」を「解決策を見つけずに、でもベストな方法を見出してなんとかしていく人々」を見せつけられて、ちょっとだけなるほど、と思うのが熱いのです。私だけが小説を読みながらひたすら熱くなっていきます。そして二転する最後にアップダウンが来て、胸熱のエピローグに突入です。この章でやっとダニエルが大きく「サポートされる」形になって、そして私が号泣して終わりです。なんという胸がすっきりする結末でしょうか。

ユタ州は北東部がアイダホ州とワイオミン州とに隣接しているのですが、その真ん中くらいのアイダホ州側にあるベアレイクというところで著者が後書きを書いています。その終わりには「とはいえ、この国の法制度にはまだ望みはある。本当に望みがなくなるのは、善き人々が不正を目の当たりにしながら、それを放置する時だろう。」と書いてあります。これはこの本の序章の前にある南アフリカのデズモンド・ツツの言葉として引用してある「不正がまかり通る状況で中立を保つなら、あなたは抑圧者の側に立つことを選んでいる。」に完全に呼応していて、物語にはすっきりしつつも、ビターな後味も感じる、というお話です。366ページに「分かってる。でも、スティードみたいな人間がこんなことをするのは、あなたのような人たちが声をあげないからでしょう」とダニエルが言うのも、これがずばりテーマだからでしょう。そして593ページに「なんとでも言えばいいわ。あなたのように感傷的なタイプは、この国を再び偉大にするだけの気骨なんて持っていないのだから」とサンディがいいます。まさに誰かさんが言いそうなセリフでグッときてクスっとなりました。あの部分のアメリカは病んでますね。全体的に「女性・ダニエル」に関する違和感はそこそこ覚えつつも、どんどん続きが知りたくなる良書でした。読んで良かったです。

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