アンドロメダ病原体


アンドロメダ病原体(1969、マイクル・クライトン):このブログの記録によるとこの本は父の書斎から見つけ出して中学生くらいの頃から何度も読んでいるようですが、先月夫のAさんとお話ししている時に話題になって、また気になって再読(電子書籍で)しました。そして今回、全く違うとまではいかなくてもそれなりに違う角度で読んだ感覚が残ったので書き留めておこうと思いました。やはり一番衝撃的な事実は相変わらずで、これが1969年に書かれた本であること、そして事実や創作、嘘や真実が混在しているように狙って作られていることを鑑みて足したり引いたりした上で、なんと、このほぼ全てが精密な創作であることです。初めて読んだときはその収束のあっけなさにかなり置いていかれた気分になったのをはっきりと思い出します。読了直後に焦って、もう一度全部を詳細に渡って読み直したのも覚えているので、衝撃もかなりのものだったと思います。そもそも短い小説だし、しかもたったの5日間を描いたものであるので、あっという間に読んでしまうのもあるんですが、いわゆるページターナーなので章の最後に「えっ?」と思うような伏線が忍ばせてあるテクニックもあって「私何かを見落とした?」と読後に思ってしまったんですね、きっと。なるべくネタバレしない程度に私の感想続きます。

まず序文。いくつかのQuotes(引用)があるんですが、すごくなるほどと思うのに、全部創作なんですね。天才ですね。そして最初のロジャーショーン中尉目線の章は仮定や想像の文である「〜であっただろう」「〜に違いない」で統一されているので不穏な感じを出すのに完璧です。だってもはや確かめる術がないことを最初っから何度も何度も念押しされている気分になるから。

今回思ったのは、火災の場合の2進法で解く電話番号は当時の暗号技術としてどのくらい真実に近いんだろう、ということ。現代では量子コンピュータなんかを使ったりするのかな、と思ってGoogle先生に聞いてみたら、耐量子計算機暗号というキーワードが出てきたので量子コンピュータでもなかなか解けない暗号化技術というのが存在するのかもしれません。それにしても巨体で理系でグランピーなマンチェック少佐が結構やり手に書かれているのが(そしてその後全然登場しない)、この小説の面白いところかもしれないと今回初めて思いました。

97ページ(電子書籍なので本当のページ番号かわからないですけど)に「この種形成の頻度と並んで、それと対応した個体数の頻度が見られる。単純な生物は、複雑な生物よりも、はるかにありふれている。地球上には三十億のヒトがいて、一見おびただしい数のように思えるけれども、細菌をとってみた場合、大型フラスコ一個の中に、その十倍ないし百倍の数が存在するのである。」と書いてあるけど、3度見しますよね。ん?え?三十億?そうかー、1969年はそうだったのかー。77億1500万人(2019)ですよ今や。同じ気持ちになったのが102〜3ページ、「合衆国の科学者人口はソビエト連邦の三倍半にのぼり、研究開発にも三倍半の金額を費やしていた。ヨーロッパ経済共同体と比べれば、四倍の科学者人口であり、七倍の研究費だった。」ソビエト連邦!ヨーロッパ経済共同体!なんかいろいろと懐かしい気持ちになります。

119ページ。「ごく少数のアメリカ人しか、自国の生物科学戦に関する研究の巨大性を認識していないことを、ストーンは知っていた。政府の生物化学戦関係の歳出額は五億ドルを超える。これらの大部分は、ジョンズ・ホプキンス大学、ペンシルヴェニア大学、シカゴ大学などの研究施設に分配され、湾曲な用語で兵器体系の研究が委託されている。もちろん、時には用語がそれほど湾曲でないこともある。例えばジョンズ・ホプキンス大学のプログラムは、”実在または潜在的な障害と疾患の研究、将来ありうる生物戦による疾患の研究、およびある種のトキソイドまたはワクチンへの科学的反応の評価”という名目になっていた。」コロナマップで世界をリードしているジョンズ・ホプキンス大学にはそうなるべくした歴史と研究費と研究の方向性があるわけですね。いや今回兵器は関係なさそうですけど、それを扱っている可能性があるからこそ緊急時に優先される、ということで。

284ページ。「コレラの例が頭にうかんだ。 (…中略…) そして、他のものー解毒剤、治療薬、殺菌法ーを探し求めた。コレラが主に脱水症状から死を招く病気だと認識されたのは、ごく最近になってからである。 (…中略…) 症状を治すことが、すなわち病気を治すことになるのである。」この小説でもこのくだりの後、それが血液の凝固を手当てすることにつながるかを検証してつながらないことに結論づいていますが、物事を見るアングルが大事なことを強調しているわけですね。「レヴィットが指摘したのは、あらゆる人間が、たとえいかに客観的な科学者であっても、生命を論じるさいにいくつかの先天的な偏見を持っていることだった。」というのも面白いです。これは単細胞と多細胞を比較して多細胞の方がサイズとして大きく複雑である、という偏見について書いてある文章ですが、本当にその通りだなと思います。いろんな意味と場合と状態において、完璧に客観的にあろうとすればするほどズレが生じる。「いやいや私のいうことを聞きなさい、あなたは間違っているんだよ、私が言っていることの方が正しいのだから」という賢い皆様、「稲穂かな」の句を一緒にかみしめましょう。

ちょっと関係ないんですが、この小説のオリジナル翻訳がどの程度新訳で改訂されたのかはちょっとわからないところではあるんですが、いろいろな部分で素敵な日本語が出てきてうっとりしました。例えば「いざ行ってみると、カフェテリアは森閑としたものだった。」など、カフェテリアが「深閑」ではなく「森閑」なのがいいなと思いました。あとは「ホール(人名)が到着のしんがりだった。」とかね。しんがり!殿!後駆!とかいてみて思ったんですが、全体的にこの小説を覆っている軍隊感を考えるとこの和訳が雰囲気をくんでいて実はとても良いですね。彼の全盛期はアメリカに住んでいたので、手に入りやすいという意味でクライトンの本は原文で読むことが多かったことと、私の限られた和訳力のせいで物語を日本語にせずに理解し、文章のほとんどをカタカナにして話すようになってしまったことで、こうした美しい日本語に触れずにいたなぁと実感しました。私のような日常の英語への触れ方をしていると、本当に日本語が疎かになります。決してルー大柴さんのように楽しい感じにはならないのですが、小池都知事のようには確実になります。ニュースをそのまま和訳せずに頭に入れるので(インプット)、それをいざ出そうとすると(アウトプット)和訳できてないまま出てきてしまってえっとえっと、となってしまうのです。いつも「気持ちわかるよ、百合子さん」と同情します。

「アンドロメダ病原体」という題名にも苦労を感じます。原作の「ストレイン」は「菌株」だし、微生物界だとそれを「菌株」という日本人専門家も少なく、そのまま「ストレイン」とカタカナ読みしている人がほとんどだと思います。だからと言ってタイトルを「アンドロメダ・ストレイン」にしても大衆には響かないし。でも「病原体」としてしまうと、科学的には訳として間違っていると言わざるを得ない。病原体というのは微生物の中でも特に病気を起こすもので、それにはもちろん菌、例えば病原性の大腸菌とかサルモネラ菌とかビブリオ菌とかがあるし、ウィルス、例えばインフルエンザのウィルスとかコロナとか、ノロとか肝炎ウィルスとかそういうものもあるし、寄生虫なんかも分類に入りますね。このように「病原体」は大きな分類であって決して「ストレイン」ではないのです。「ストレイン」とは「株」とか「菌株」とか訳されていますが、つまりどういうことかというと、微生物の分類の実は一番細かいところ、と言えば良いでしょうか。遺伝子構造をよーく見た時に、同じ「種」であっても構造が微妙にだったり大きくだったり、違うことがよくあるわけですね、それを細かく見て行った時に「同じ」と思われるものにストレイン名をつけて分類していくわけです。

みなさんが知っているものを考えると、大腸菌のO157って流行りましたよね。あれの正式名称はEscherichia coli O157:H7といいます。Escherichia coli、縮めてE. coliが「大腸菌」です。そのO157:H7という部分は強いて言えばストレインの名前、と言っても良いと思われます。どうしてこんなに奥歯に物が挟まったような言い方をしているかというと、ストレインというのは微生物の概念としての分類の種類ではないから。微生物を目の前にして、この個体と同じ種類のものに名前をつけよう、とした時に使う単位が「ストレイン(株)」なんですね。大腸菌の場合はいろんな種類がありすぎて、良い菌、日和見菌、病原菌、とあるので、この病原菌である大腸菌に注目した時に、ストレインにはその病原体である所以の名前をつけがちになるわけです。難しい話をすると、このタイプの大腸菌の表面には2種類の抗原があってO抗原とH抗原とあるわけです。O抗原として157番目に発見された物がある菌株なのでO157となるわけですね。そこでさらに、H抗原を見てみると、H抗原として7番目に発見された物があるタイプなのでO157:H7となっているわけです。H抗原をもたないタイプもあるのでそれはO157:H-(マイナス)と呼ばれます。その後ドイツで感染拡大したO104(オー104)もなかなか手強い病原菌です。

ちょっと話がズレましたが、つまり、「ストレイン」という言葉が日本語として、また分類学上、便宜性を求めるあまりに比較的ルールのない状態になっているのでこのタイトルの和訳が異常に難しくなっているわけです。「病原体」と「ストレイン」とが訳としてかけ離れているが、エンターテイメントのための方法としては「なんとなく医療科学っぽい」という若干の科学的恐怖を与えるという意味で「オッケー(ローラさんのような感じで)」なのではないか、とたくさんの大人が納得しようとした結果なのではないかと思われます。苦労を感じますね。

395ページ。「たいていの人びとは、細菌というとまず病気を連想する。しかし、実をいうと、ヒトを病気にするのは、細菌類のわずか三パーセントに過ぎない。 (…中略…) 事実、人間は細菌の海の中で暮らしているとも言える。 (…中略…) 細菌はあまねく満ちあふれている。そしてたいていの場合、誰もがそれを意識していない。それには理由がある。ヒトと細菌の両方がおたがいになじんで、一種の相互免疫を作り出したのだ。 (…中略…) 進化が潜在的生殖能力の増加を目指していることは、生物学の一つの原則なのだ。細菌にあっさり殺される人間は、適応力がたりないといえる。 (…中略…) 同時に、宿主を殺してしまう細菌も、適応不足である。 (…中略…) 宿主を殺さずに、それに依存して生きていくのが、利口な寄生体のやることである。そして、宿主としても、その寄生体に耐性を持ち、あわよくばそれを逆に利用して宿主のために働かせるのが、いちばん利口なやりかたといえる。」本文の中でもこの文章の後、でも現実問題として今をどうするか、という原始的な疑問が出てきているのでまさにそうなんですよね。私なんかもうっかり生物学の理論をごたいそうに持ち出すんですけど結局外科医のメス vs. 内科医の知識の蓄積みたいなことになってしまって今必要なのは外科医とメスなんだ、とはっきりと思わせられる瞬間なのです。でもね、わかっているんです。内科医の知識の蓄積が長期では必要ってことも。

555ページ。「明らかに、アンドロメダ菌株は脳血管への偏好を示している。」こういうのはクライトンらしくて良いですね。本ではこれは細菌の話ですが、ウィルスって脳が好きらしいです。この前私の外科医である姉と話していた時に、なんの話だったか脳関門の話になって、脳に薬を送り込むのはすごく難しい、それと同時に、その同じ関門(群)がウィルスが脳に入り込むのを防いでいる、というような話になったんですが、その時に姉が「いやあウィルスって本当に脳が好きなのよ。どうにかして脳に行こうとするの。他にウィルスが好きなのは目よ。」と言っていたのをまた思い出しました。ウィルス性脳炎とか、聞いただけで怖いんですけど、ウィルス自体に脳に寄生したい習性があるんですね。怖いですね。目も怖いですね。

初読の時は、オッドマン研究とか、異常なほどの消毒プロセスとかに目がいきましたが、今回はどちらかというと50年経っても全く色あせない論理的思考とスリラーに感嘆しました。レオナルドダヴィンチとか手塚治虫とか、医学者(科学者)が芸術的な想像力を使うと世紀に一人くらいの天才になるといつも思うんですが、クライトンもそうですね。アメリカ人にありがちな(ごめんなさい私のアメリカ人の友人の皆さん)、偏向的な政治的主張もなきにしもあらずですがそれでも十分面白いです。亡くなってしばらく経ちますがやっぱり死んじゃうなんて本当にもったいない、の一言です。また「緊急の場合は」も読みたくなってきました。いや長くなってしまいました。ここまでお付き合いいただいた方、読んでくださってありがとうございました。

2 Replies to “アンドロメダ病原体”

  1. こんな今だからこそまた、こういう地球上の、人類ではない生命体について、そしてそれらと(そんな呼び方していいのかしら?そのみなさまがたと、かもね)共存していくということについて考えさせられるよね。
    2020年大変だったよね、うまく終わってよかったよね、って言える日が早く来るようにと願ってやみません。

    あなたそっくりの姪っ子ちゃんが、「わたしもこれ読む。読んでみる。」って言ってるよ。

    1. あらお姉さま、ありがとうございます。本当ね。長期戦では本格的に共存について考えなければいけないけれど、こうして目の前のこと(教育も経済も)もちゃんとやらなきゃいけないのが厳しいね。姪っ子ちゃんも読んだら感想聞かせてねって伝えてください。彼女がこれをどう読むのか気になります。

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