京都にて

Kyoto前回も書きましたが、6月に一時帰国して、京都でちょっとした仕事があったので行ってきたんですが、すごく楽しかったので書き留めておこうと思います。私のアメリカ人の友人VとS夫婦をご案内という形になった京都旅行でしたが、夫のAさんも同行、義理の両親も大阪から参加、という形で3夫婦で楽しい楽しい1泊2日となりました。私は仕事で抜けたりしたのでずっと一緒にいられなかったのですが、それなりに十分満喫しました。写真は夜のお食事の一部。沢ガニをまるごと揚げてあって、VもSもびっくりです。ぱくっと足を食べて、ライスクラッカーみたいな味ですよ、と言ったら、え!と絶句したあと恐る恐る食べて、本当ねーと感心していました。
東京から京都まであっという間に到着したので、そのあと金閣寺、龍安寺と行きたかったんですが、何しろゆったりとしたVとS夫婦、日本式の足早観光はまったく合わず、金閣寺のみで嵐山へ移動し、そこから天龍寺で枯山水と竹林を散策したあと、旅館へ移動、というコースになったのでした。6月の京都にしてはすずしく、乗ったタクシーの運転手さんもサービスが良く、こんなにキレイで清潔なタクシーには世界中でも乗った事がない!といって驚いていました。確かに。どんな国にいっても、フランスでもイタリアでもタクシーの運転手さんはナイスではありますが、ちょっと車は汚く、汗くさい時もよくありますよね。運転技術はありますがマナーはないといった感じなのが世界共通じゃないでしょうか。日本のタクシーの運転手さん、帽子かぶって手袋までしてることも多いし、車にはレースの飾り(?)までついていることも少なくないですよね。
Kyotoこちらがお宿の様子。全体的に和、というものを強調してありますが、内装としては和モダンでした。至れり尽くせりのサービスで本当に感動しました。いろいろなアクティビティもあって、朝からお茶会入門に参加したりして、みんなでお茶屋さんに行く心の準備ができたね!と喜び合いました。お茶屋さんには結局行きませんでしたが。京都って本当に奥深くて、よくわからないところがいいですね。私も何度行っても、あまりに日本人らしくない自分を反省したり、もっと学ばなくっちゃと新しい気持ちになったり、といろいろと考えることが多いです。
枯山水について説明をしよう、と思ったんですが、それなりにいろいろとグーグル先生に聞いてみたものの、今いちこれだ!と思える説明がないので、我流で”Expressing water without water”的なことを言ってみたら、もともとZen gardenだとかDry landscapeだとかのコンセプトが分かっている二人は、「おおお!」と納得してくれました。いろいろもっと深い意味があるんですけど、全部説明してると3日くらいかかりそうなので、あとはいろいろ調べてね、と言って終わりにしましたが、私の方があとでせっせと調べてほほーうと思う結果となりました。深いですね。枯山水。
Kyotoこの旅館は実は渡月橋あたりにある船着き場から小さな船にのって上流まで行ってからのアクセスとなる旅館なのですが、このお船も風情があってすごく良かったです。川はおだやかだし、嵐山の景色は素晴らしいし、新緑がこれでもか!というほど緑色でいい香りで、日本っていいなと心の底から思いました。
日本では実は自分の休暇ではなく、こうしてVとS夫婦をいろいろなところに連れて行くというような休暇になったので、ちょっとした仕事ぽくなってしまったんですが、この機会に箱根で富士山を見れたし、私も知らなかった東京を満喫できたし、といろいろな発見がありました。
ふたりがどうしてもどうしても、数年前に会った私の姉に会いたい、というので忙しい姉に懇願して無理に時間をつくってもらって、姪と甥にも都合をつけてもらったりして、本当にいろいろとありましたが、こうして細かいことをひとつひとつ心にかけてくれるお友達というのは本当にありがたいです。私もふたりのように、優しい人にならなくちゃと思いました。こうやって、おふたりは希望をはっきり言ってくださるので、一瞬、困らせられてるような気分になったりもしますが、実は、よくよく考えると、困らせようとしているわけではなく、結果的に私が勝手に困った気分になっているだけであって、ふたりの心の底には、本当に優しく温かい想いしかないんですよね。
日本的に考えると「人に迷惑をかけてはいけない」「時間をとらせてはいけない」「こんな時間に迷惑かもしれない」とかいろいろと「察する」文化があって、それはそれできっといいことなんですが、根底にある気持を慮るというのも、実は大事なことだとハっとしました。いろんな人がいろんな想いで生きているとは思いますが、その想いがさまざまな形で表面に出るので、「図々しい人だ」とか「いろいろおせっかいだ」とか「気遣いがたりない」とかの評価が出てしまうこともあるかもしれませんが、結局一番重要なのは、なぜそう言うのか、なぜそうするのか、という一番「底」の部分の気持ちなので、そこさえブレなければ、私だって本当に優しくなることは可能じゃないかなと思えるようになったので、今回はそれだけでも自分にプラスになりました。こんな年齢になってこんな基本的なことを今更学ぶなんて、人間ができてないなぁと反省しきりです。
というわけでいろいろと考えた日本での休暇でしたが、とにかく京都、楽しかったです。お義父さま、お義母さま、おふたりが京都に詳しく、いろいろとパンフレットなど英語のものを探して渡してくださったのが本当に嬉しかったとVがいつまでも言っていました。こんなところで失礼しますが本当にありがとうございました。夫のAさんも忙しいのに本当にありがとう!

2 Replies to “京都にて”

  1. まみー
    私たち3人、V&Sご夫妻にお会いできて嬉しかったよ!
    長男くんは翌日、保育園で、「昨日おじいちゃんとおばあちゃんがきたよ」と言って保育士の先生がたを混乱させたらしいけど(*^^*)
    頂いたお野菜の絵本は今や彼の愛読書です。
    長女ちゃんは、自身の英語が通じてご満悦でした。
    いろいろありがとうね!

  2. お姉さま、返信遅くなってしまってごめんなさい。あのとき会ってくれて本当にありがとう!Kにとってはおじいちゃんとおばあちゃんよね。やっぱり。Mの英語力とコミュニケーション能力にすごくびっくりしたよ。また遊んでね。

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